第13話 背後の穴
三日が過ぎた。
ホル・エム・アケトの解体作業は、父がいない間にも進んでいる。
いつもの作業場だが、父の姿だけがどこにもない。
調査隊は、今どこにいるのだろう。
何を調べているのだろう──。
「ぼやぼやするな!」
切り出した石をそりで運んでいると、罵声が飛んできた。
自分のことかと身構えたが、声の主はこちらに背を向けている。
ふり向いた顔が、赤い。
父の作業班に所属する石工のメゾンだ。
腕はいいものの、酒癖が悪い。
権力に弱いが、目下に強い。
見習い石工のセスも、何度か嫌がらせをされたことがある。
同世代である父のダクトに、かなり対抗心があるようだ。
覚えのある記章を、これ見よがしに首から下げている。
ダクトが持っていた監督官の記章だ。
人の上に立つ度量すらないこの男が──
「あれで監督官だってさ」
「やってらんないよ」
石工たちの苛立ちが、セスにも伝わってくる。
「ダクトの兄貴が、早く戻ってくれりゃいいんだが」
不満の声は耳に入っているはずだが、メゾンはふんぞり返っている。
「お前ら、ちゃんと働け! 叱られるのは俺だからな!」
日がな一日、唾を飛ばしながら暴言を吐いてばかりだ。
「一発、殴ってやりてぇ」
いつの間にか、セスの隣にジェムが立っていた。
石工見習いの仲間だ。
一つ上の十五歳だが、セスより頭ひとつ分小さい。
「弱い者にしか手を出さねぇ。最低な男だ」
こぶしで殴る真似をしてみせる。
セスは、ぷっと噴き出した。
石工見習いのなかで、誰より憶病なジェムだ。
父親ほど年の離れたメゾンとは、目も合わせられないだろう。
「なんだよ、その目は。俺にだって……あれ? また来たぞ」
ジェムが、セスの背後を指差した。
ふり返ると、踊り子と楽師の一団が歩いてくるのが見えた。
白い装束がまぶしく反射している。
砂の上をひらひらと舞う蝶のように──。
セスは、おやと首をひねった。
解体工事の安全祈願は、三日前に済んでいる。
また事故でもあったのだろうか?
美しい一団に、石工たちは好奇心を隠そうともしない。
優雅に歩いてくるのは七名の娘たちだった。
ヴェールをつけた踊り子が三人、楽器を抱えた楽師が四人。
迷いなく、ホル・エム・アケトへ向かっていく──。
「おい!」
慌てて、メゾンが立ちはだかった。
「何しに来た!」
すると、先頭を歩いていた長身の踊り子が腰を低くした。
恭しくメゾンに敬意を示す。
「本日も、作業の安全を祈願いたします」
「なんだと? 何も聞いてな……」
メゾンが言い終わるより先に、踊り子たちは上着を脱いだ。
褐色の肌があらわになる。
舞いやすさを重視する踊り子たちの衣装は、非常に簡素だ。
短い前掛けを腰につけ、その細い帯を胸の前で交差させているだけである。
視線など意にも介さず、彼女たちは高台にさらりと並んだ。
たおやかに楽器を奏で始める。
踊り子たちの腰がくねった。
止める者は、もういない。
石工たちの表情は陶然としている。
赤ら顔のメゾンは、目つきさえ怪しい。
神聖な儀式に邪心を覚えているようだ。
理性を失わせるのは、酒だけではないらしい。
優雅な奉納の舞が終わると、石工たちは満足そうに持ち場についた。
太陽は、今日も容赦ない。
交代で休憩を取りながら、解体作業は進んでいく。
威張り散らしているメゾンだが、仕事に対する熱意は確かだ。
自分より腕の劣る石工に悪態をつきつつ、自分も使い込んだ木槌を片手に、せっせと石を切り出している。
首なきホル・エム・アケトの胴体は、今日も確実に小さくなっていた──。
「今日は、ここまで!」
陽が傾くのと同時に、メゾンが叫んだ。
終了時間には少々早いものの、文句を言う石工たちはいない。
さっさと日当をもらい、屋台に寄るのも悪くない。
「おい、これも片付けておけよ」
掘削工具の手入れは、石工見習いの仕事だ。
道具は、現場のあちこちに置き去りになっている。
ひとつでもなくなれば、罰が下る。
拾い集めているうちに、セスは崩れたホル・エム・アケトに近づいていた。
視界の端で何かが揺れた。
はっと視線を移す。
白いものが、ホル・エム・アケトの背後にふわりと消えた。
(何だ?)
安全祈願に現れた、あの七人の娘を思い出した。
弦楽器を弾いていた楽師の衣装に似ていた気がする。
奉納の舞を終えた彼女たちは、あのまま帰ったはずだが。
三日前、ダシュル分隊長から解体作業の進捗状況を尋ねられたダクトは、こう答えていた。
『予定どおりではあるものの……少しばかり気になることが』
そして、兵士たちとセスをその場に待機させ、二人は崩れた獅子像の裏側へ歩いていったのだ。
勝手に足が動いた。
知りたい。
崩れた獅子像の裏側には、いったい何がある?
そこに消えた白い影の正体は?
セスは、ゆっくりと獅子像の尾の部分へ近づいた。
おそるおそる獅子像の裏側をのぞき込む。
──誰もいなかった。
ただの錯覚だったのか?
ふと、ふくらはぎに違和感を覚えた。
獅子像の尾と地面が接するところに、小さな四角い穴がある。
その穴の底から、乾いた風が地上へと吹き上がっていた。




