195-落ち着かない時間
古城から離れて鬱蒼とした森の奥、蔓状の植物が壁に絡まる古惚けた小さな家が立っていた。
用が無ければ誰も寄り付かず、用があっても近付くことを躊躇うそこへ、両目を黒い包帯で覆った白藍色の髪の青年が入っていく。
小さな家と言っても部屋は幾つかあり、屋根裏も部屋として使用している。
部屋のあちこちに鉢があり、何の変哲も無い形の植物から奇怪な形をした植物まで様々生えている。壁際の棚には乾燥させた葉や動物の部位などが詰まった瓶が並ぶ。
青年は迷わず奥の部屋へ進む。開け放たれたドアを覗き、中にいた者を無言で睨んだ。睨んだと言っても彼の両目は黒い包帯で覆われていて見ることが叶わないが、不機嫌な雰囲気は感じ取れる。
その部屋の壁は上半分が全て硝子窓で、天井も半分ほど硝子になっているサンルームだ。家の周囲には木々が茂っているため木漏れ日が優しく降り注いでいる。床や棚には植物の鉢が並び、花が咲いていたり果実が実っているが、どれも人間の街では見られない物だ。青年はここで薬とする植物を育て、新しい品種を作り出している。
大小様々な植物の鉢に囲まれたそこで、金髪碧眼の青年は椅子に座らされていた。彼は部屋に入ってきた青年を見上げ、ばつが悪そうに目を逸らして膝を揃える。彼の背後には癖のある長い髪の少女が退屈そうな目をして立っている。
「……アイトワラス。君は今後一切、僕の能力を使うな」
「うっ……あ、あれは仕方無く……あんたの能力は強力だし使い勝手が良くて」
「弁明が弁明になっていない。完璧な模倣で冤罪の疑いを掛けられても迷惑だが、半端な模倣で軽視されても不愉快だ」
「……そ、それで……どう収拾してきたんだ?」
「…………」
青年は両目から徐ろに黒い包帯を解き、小さなテーブルに載せる。アイトワラスの質問には即座に答えず、部屋の植物の状態を確認し始めた。
「……君が殺し掛けた二人は治療した。あの様子だと離脱しただろうな」
「あんたのことは、何か言ってたか?」
「君の協力者だと思われている。心外だ」
「心外も何も、協力者だろ? カトが寄生虫を完成させてくれたんだし」
「君の使い方には反吐が出るが」
「う……だから、その件は悪かったって……もう何回も謝ったのに……」
「結果的に無事だったから良かったものの、君はまた彼を殺そうとしただろ。僕は生きたままあいつを解剖したい」
「怖い怖い。そんなこと言ったら変転人は皆泣くよ」
「君にそこまでの権威があるとは思えないが、アルペンローゼの解剖許可、これが僕が君に協力する条件だ。それを忘れるな」
「最初は無条件だったのにな……あ、んんっ」
余計なことをぼそりと漏らしそうになり、慌てて咳払いをする。
「忘れてないって。生きたまま解剖は初耳だけど」
アイトワラスは城を混乱させるために寄生虫を作ることを思い付いた。ただ虫を放っただけではすぐに始末されて終わるだろう。だから変転人に寄生させることを思い付いた。変転人なら、おかしな行動をしたとしても簡単に手を出せないからだ。多くの獣は無視しているが、変転人にも人権がある。城がそれを無視するわけにはいかない。
そして自分の変身能力を参考に、アイトワラスは生物を模倣しようとした。だが新しい性質を持つ生物を作ることは困難を極めた。そこでアイトワラスはカトブレパスに相談したのだ。カトブレパスなら興味を示すと思ったからだ。目論見通りカトブレパスはアイトワラスの言葉に耳を傾け、変転人の体に影響を与える生物を創る計画に興味を示した。そして彼は植物を弄って虫のような物を創り出した。古代生物を模したのは、現存する虫と見分けを付けるためだ。植物に虫は付き物で、そして害虫は敵である。そんなものに似せたくなかった気持ちもある。日頃から植物を育てる彼ゆえだ。
そうして創った寄生虫を、どのように影響するか実験も兼ねてミモザに植えて観察した。ミモザは皆同じ容姿をしていて数も多く、代わりが簡単に用意できて、少し失踪しても気付かない。
しかし想定外のことが起こった。虫がアルペンローゼに寄生したのだ。それは事故だった。アルペンローゼの治癒力に関心を抱いていたカトブレパスは、きちんと管理をしなかったアイトワラスを責めた。城の獣に目を着けられると面倒なため、出入りを禁止されていることもあり城には近付かずにアイトワラスに任せていた代償だった。
カトブレパスはアルペンローゼに寄生した虫を適切に除去して処理するつもりだったが、その前に彼は旅行に行き、花街に戻ってもカトブレパスが接触する前に姿を消した。ヴイーヴルが彼を連れて宵街に行ったのは誤算だった。
アイトワラスはフェルニゲシュの解放を、カトブレパスはアルペンローゼの解剖を。それが二人の目的だ。
提案したのはアイトワラスだが、虫の構想を固めて下地から全て創り上げたのはカトブレパスだ。
巨大虫の存在は明るみに出て大騒ぎとなった。植物とは思えない動きをするそれに、自然界にいる昆虫らと同類の生物だと誰もが思っただろう。
サンルームで俯いて植物の状態を確認するカトブレパスの手元には、指先ほどの小さな黒い実が生っている。彼が言うにはそれは根を張らない自走型の植物なのだそうだ。カトブレパスは果皮が裂けそうになっている堅い実を摘み、床に落として踵で踏み潰す。落花生の殻が割れるような音が靴底から漏れる。果皮が裂開すれば中から虫の種が零れて成長し、この小さな家を破壊するだろう。その前に処分しておく。
「虫がもう必要無いなら処分したいんだが。裂開果は始末が面倒だ」
「目的は達成したし、虫はもういらないな。カトの御陰で助かったよ」
「なら処分しておいてくれ、アリス」
「ん。わかった」
アリスと呼ばれた少女は変換石を削って拵えられた容器をテーブルに置き、黒い実の生る鉢を持ち上げる。長い年月を掛けて漸く完成した物も簡単に廃棄する。完成して満足し、彼はもう興味を失った。
彼女が鉢を部屋から出す間に、カトブレパスはその容器に粗目糖のような粒を注ぎ入れる。
アイトワラスは少女を目で追い、容器に視線を戻す。
「いつ見ても不思議と言うか……無名とは言え従順な獣だな、アリスちゃんは」
「従順であれば不相応の能力が使用できるからな」
「あっ、それ!」
唐突に声を上げたアイトワラスに、カトブレパスは不快感を露わに眉を寄せた。
「アリスちゃんが木を動かして目眩まししたんだけど、カトの入れ知恵か? ああいうことを突然やられるとびっくりするんだけど」
「君が突然僕の能力を使用したことの方が驚いたが」
「ごめんって……」
戻って来たアリスは粗目糖のような粒が入れられた容器を持ち出す。アイトワラスはそれを目で追う。
その容器は能力を出力するための媒介だ。獣の杖のような役割を果たす。中に入れた粗目糖のような物は、力が封じられた薬のような物だ。粗目糖の中には幾つかの力が含まれており、使用したい力を出力することができる。印に近い物である。変転人にはそれを使用する力は無いが、獣なら有名より劣る無名でも使用することが可能だ。飴入れのような見た目から、その容器をボンボニエールと呼んでいる。
アリスは好奇心旺盛で、カトブレパスの遣ることに興味を示してここで手伝いをしている。カトブレパスの作り出したボンボニエールを使用させてもらえることも共にいる理由の一つだ。無名の獣である彼女には名が無かったが、彼女が好きな童話の主人公から名付けた。
黒い実の鉢を燃やし尽くしてアリスはサンルームに戻る。カトブレパスは彼女に雑用を任せ、一応は持ちつ持たれつの関係を築いている。
「僕はこれ以上は関与しないが、フェルニゲシュはこのまま放置しておくのか?」
「今は理性が飛んでるけど、落ち着いたら話ができるはずだ。そうしたら話をして、オレは御礼を言う」
「何日後だ? 落ち着くまでに花街が残っていればいいがな」
「そんなに?」
「……少なくとも死骸の処理に数日は要するだろうな」
「オレは気にしないけど、あんたの家も壊されて無くなるか?」
「無くなっても記録は全て頭にあるから問題無い。だが君に居場所は無いだろうな」
「いいよ。フェルが解放されるならそれで。大きな借り……だからさ」
アイトワラスは過去を思い出し、慈しむように口元に笑みを浮かべる。あの時フェルニゲシュがいなければ、アイトワラスは今ここに存在していないだろう。その感謝は何をしても足りることはない。
「僕も充分データを得ることができた。虫草によって変転人の脳を乗っ取り、操縦権を得る……非常に興味深かった。ミモザは特殊だが、他の有色の変転人はすぐに破裂するようだ。アルペンローゼに寄生したことを除けば概ね想定通りだ」
「根に持つな……。獣には寄生しなくて良かったよ」
「獣に寄生しないのは当然だ。僕の体で検証したからな」
「うわ……」
アイトワラスは苦笑いを浮かべながら顔を顰める。草だと知っていても虫に酷似した物を自分の体内に入れたくない。カトブレパスはそういったことに躊躇が無い。必要だと判断すれば自傷も厭わない。自分で即座に治療できるのだから安心なのだろうが、そんなことをしているから変人などと言われるのである。
* * *
宵街の科刑所では狴犴と贔屓が険しい顔を付き合わせて唸っていた。
黒種草に抱えられた鴟吻が狴犴の部屋に騒々しく駆け込み、花街圏にいる蒲牢達を千里眼で捉えたと言う。花街圏に焦点を合わせたまま、鴟吻は興奮気味に二人に訴えた。蒲牢の片腕が無く、饕餮も負傷していると。
鴟吻の奮闘により、長らく状況が不明だった蒲牢達の状況を知ることができた。最悪の状態である。
蒲牢の実力なら心配は無いと信頼して送り出したのに、これは由々しき事態だった。蒲牢の傷は既に止血され、本人の顔にも苦痛が浮かんでいないことには胸を撫で下ろしたが、これでは次の手が打てない。饕餮もベッドに横になっており、痛々しく包帯が巻かれている。狼狽する鴟吻を宥めるのに少し時間が掛かった。
鴟吻は目を閉じて千里眼で遠方を見ながら、杖を抱えて紙切れに言葉を書き込む。彼女が紙から手を上げると、黒種草は新しい紙切れを小さな手に置く。
目を開けてしまえば千里眼の効果は失われる。もう一度蒲牢達に焦点が合う保証は無い。だがこのまま目を閉じていたとしても、長時間見続けることは叶わない。遠方であればあるほど鴟吻の消耗は激しく、慣れない距離に焦点を保つことも難しい。
鴟吻は紙切れを蒲牢達に送り、最初に送ったノートの文字を読み取って会話をする。それを読み上げ、狴犴と贔屓にも共有する。
兄弟としては、すぐにでも戻って来いと言いたい所だ。だが宵街の安全を考えるのが統治者の仕事だ。フェルニゲシュを放置して引き返せとは言えなかった。
蒲牢達の要求に応えて食料を調達しに走る黒種草を見ながら、狴犴と贔屓は口論混じりに最善を模索する。与えられた猶予は多くない。
「フェルニゲシュを取り押さえるのは困難だろうが、蒲牢に烙印を持たせることも一考した方がいいな。あれほど強力な印は花街には無いようだ」
「代替の無い烙印を簡単に送れない。例として挙げたが、使えとは言っていない。それに獏如きの力も封じ切れなかったことを忘れたのか?」
「獏は特殊だからな……。だったら代わりになる印はないのか?」
「殺せる印はあるが、目的は殺すことではないだろう? 安全な印となると役に立たない。四肢を拘束するような印はあるが……あれは私が創作した印だからな」
「狴犴しか使えない印か?」
「ああ。抵抗する罪人を押さえるためにな」
狴犴は宵街から離れられない。統治者が宵街を留守にして遠方の花街へ行くのは不安と危険が大きい。
「他者に干渉する印はあまり広めない方がいい。それ以外に用途が無い印は妄りに使用すべきでない。私もその印は罪人以外には使用しない」
「確かに罪人や狩猟以外には用途を思い付かないが、悪用なら幾らでもできるな」
「ふ、二人共……目が霞んできたわ。そろそろ限界みたい」
黒種草が鴟吻の口へチョコレートを補給しているが、それでも消耗は激しく、それだけでは足りない。
「贔屓は行けないか?」
「龍属相手は荷が重いな……大人しく接近させてもらえればいいが。それに、その間に人間の街に虫が出現したら誰が始末するんだ?」
二人の煮え切らない会話に、黙っていようと思っていた黒種草は苛々してきた。何を悠長に会話しているのだと。長命な獣は時間が無限だと思っているのだろう。負傷しているのなら一刻も早く呼び戻して安全を確保すべきだ。何を躊躇うのか。やはりこの兄弟は嫌いだ。
「また身内を殺し掛けるのか?」
狴犴と贔屓は無言で黒種草へ目を遣る。この変転人は臆することなく統治者に意見する。
「……ロタ」
鴟吻は目を閉じたまま彼を窘める。鴟吻は過去に贔屓を手伝って宵街の統治に携わっていたが、罪人の報復を受けることになった。そのことを黒種草に話した。罪人は危険だから近付くなと戒めのために話したつもりだった。だが彼は罪人より、鴟吻を護れなかった贔屓や狴犴に恨みを抱くようになってしまった。
悪いのは罪人である。彼らを責めてほしくない。鴟吻はそう思っているが、黒種草は納得できない。
狴犴は無言のまま、贔屓は黒種草を観察する。二人は彼のことを碌に知らない。鴟吻を護っていること以外は彼女から聞いていない。
「……身内の立場なら、勿論無理はさせないよ。僕も……戻ってほしいと思っているが、今の統治者は狴犴だ。狴犴の判断も理解はできる。蒲牢達には今、宵街を背負ってもらっているんだ。蒲牢にも許可は得ている。死は誰も望まないが、尻尾を巻いて逃げる無様だけは花街に見せるなと言ってある。そうだな? 狴犴」
「ああ」
「くだらないプライドだな」
黒種草は鼻で笑い、贔屓と狴犴を睨む。狴犴は眉を寄せるが、贔屓はフと自嘲するように笑んだ。
「獣はくだらないプライドを捨てられないものだよ。片腕を失った蒲牢がそのまま帰るなんて、屈辱でしかない。蒲牢はあまり主張しないが、龍属の矜恃は筆舌に尽くし難いものだ」
「……。もう一人の死に掛けてる奴はどうするんだよ」
「饕餮か? 彼女は安全な場所に置いておけばいい」
「そいつ、前に死んだんだろ? 何度も危険に放り込んで、死んだらまた化生するって楽観ッ……」
睨んでいた目が見開かれ、黒種草は床に叩き付けられた。抗えない程の力が加わり、まるで無数の見えない手に全身を押さえ付けられたかのように身動きが取れない。床に頬を擦り付け、あまりの重さに起き上がれない。
贔屓の能力だ。笑みを消して見下ろす彼を黒種草は睨め上げる。贔屓の加重は獣さえ抵抗を許さない。変転人では逃れられない。
「僕達は命を軽視していない。ただ意思を尊重しているだけだ」
「…………」
尊重と言う言葉は自由を許す寛容な言葉だが、黒種草には血が通っていない冷たい言葉に聞こえた。
「変転人には難しいか? 無色は弱者ではないと僕は認識しているんだが、改めるべきだろうか?」
鼻に付く言い方をする。黒種草は贔屓を睨んで目元を歪めた。変転人は無色だろうと獣の足元にも及ばない。草は逃げることもできず踏み潰されるだけだとでも言っているようだ。
「口答えするなって? そんな態度だから宵街から獣がいなくなって、変転人からも不満が出るんだ。お前らみたいな奴を傲慢って言うんだよ」
吐き捨てる彼に掛けられた圧は増すことはなかったが、軽くもならなかった。
「……ロタ、やめて。責める相手が違うわ。二人は少し不器用かもしれないけど……最善を尽くそうと、宵街のために尽力してるのよ」
「最善を尽くして死人が出れば世話ないな! 敵は圧倒的なんだろ? じゃあいつまで自分が強者だと自惚れるんだよ! 弱者には弱者の戦い方があるだろ! 何で弱者が強者に正面から遣り合おうとすんだよ!」
「!」
「プライドなんかゴミだ! 捨てちまえ!」
獣は蔑視されることを嫌う。舐められた先にあるのは死に近い蹂躙だと脳に刻み込まれている。生きるためには、自身を貶めることはできない。
「……君は、弱者の遣り方なら強者に勝てると言いたいのか?」
冷たい目に小さな炎が宿ったことに気付き、黒種草は鼻で笑う。贔屓は突き放そうとはしていない。ただ頭が固いだけだ。
「勝てる保証があるなら弱者とは言わないだろ」
「フ……強気な弱者だな。いいだろう、君の話を聞こう」
贔屓は振り向き、狴犴の表情を窺う。溜息を吐きたそうな顔をしていた。だが拒絶はしない。鴟吻の侍者は随分と口が達者のようだ。
* * *
「……ろせ……殺せ……早く殺せ……」
一時的に地下牢に収容されたスコルは、呪詛のように同じ言葉を漏らしていた。
それを少し離れた場所から睚眦と螭が様子を窺っている。睚眦は地下牢を巡回する立場から、螭はハティを殺した責任からだ。
湿っぽく暗い地下牢の中で、スコルは虚ろな目で訴えてハティの許へ逝きたがっている。もう魂は片足を彼女の許へ入れているようだ。
「何だよ……何を言えば殺してくれるんだよ……」
いつまであれを聞いて見ていなければならないのかと、二人は困惑と退屈を浮かべながら空の牢に背を預ける。
睚眦の携帯端末に連絡が入った時、救いの糸だと思った。殺して良いと言われるか、解散と言われるか。
端末を開いて浮かんでいた文字を見て睚眦は眉を顰めた。彼女の表情で螭も面倒を察する。
「新しい指示ですか?」
「……ああ。フェルニゲシュの首輪の情報が欲しいんだと」
「首輪ですか? 確か力を封じる印のような物……ですよね? それは王に関する最高機密では?」
「それと。螭、花街に行く気はあるか? ドラゴン退治をするそうだ」
「まあ。遠征ですか? 宵街の中なら吝かではありませんが、遠征はお断りしますね。私はそこまで宵街に入れ込んでないので」
「だと思った。狴犴もお前が行くなんて思ってない」
「あら。理解があって良かったです」
龍属の二人は和やかに笑い合い、話を戻す。
「首輪の方だが、拷問はしなくていいらしい。この場で情報が得られるなら、って所だな」
「楽観的な期待か、機密を保持する気力を失っている確信があるのか……判断力の鈍った衰弱する身に圧力を掛けるんですね」
「お前が質問してみるか?」
「そうですね。拷問ではないなら遣ってみましょうか」
螭は微笑み、大きく口を開けた縦穴の壁に沿う細い通路を下って向こう側の縁へ行く。睚眦は柵に手を掛け、頬杖を突いて見守った。
スコルの檻の前に立って一度微笑みを消した後、螭は口の両端をゆっくりと引き上げた。
気配に気付き、スコルは虚ろな顔を上げる。口角だけを上げた悍ましい冷笑に、スコルの全身にぞわりと寒気が走った。
「私の質問に答えられたら、殺してあげます」
拒否できない威圧感を纏い、螭は独断の提案をする。実際に殺すか偽りか、それを考える暇も与えない。時間が止まった世界で思考も停止し、無意識に口を開かせるような圧力があった。圧倒的な高みから見下ろす龍属の瞳は全てを凍り付かせる。
「フェルニゲシュの首輪。これについて知っていることを全て話してください」
あんなに死にたがっていたスコルは、この女に恐怖を感じていた。恐怖があると言うことは、まだ生に執着があると言うことだ。スコルは無意識に唇が震えた。
「知ってますよね? 同じ城に棲んでたんですから」
催促する螭に、だがスコルは口を動かすことができなかった。喉がからからで舌が貼り付いて動かない。どうしようもなく喉が渇いていた。
「……おかしいですね。死にたいんですから、飛び付くように答えてくれると思ったんですが」
「…………」
動かないスコルに螭は小首を傾ぐ。ただ質問をして、それに答えてもらうだけなのに、難しいものだ。
見兼ねた睚眦は頬杖を突きながら、彼女に呼び掛ける。地下牢ではあまり大声を出すべきではないが、重要な情報を叫ぶわけではないので構わないことにした。
「螭、殺気を抑えろ。拷問の基本だ。殺気を出し過ぎると罪人は畏縮して頭が真っ白になる。弱った奴は特にな」
「あら……これは失礼しました。何事も適量、ですね」
拷問をしているわけではないのだが、螭は指摘の通りに殺気を鎮めた。怖がらせれば話してくれると考えたのだが、怖がらせ過ぎても良くないようだ。調味料も効かせ過ぎると邪魔になる。
「では改めて。フェルニゲシュの首輪のことを聞かせてください」
全身を突き刺す殺気が弱まり、スコルの脳も徐々に弛緩する。だが喉の渇きは失せることがなかった。
「…………」
スコルは俯いて冷たい地面を見詰め、小さく口を動かす。誰もいない空間に何かを呟き、スコルは螭の耳にも届く声量で言葉を紡ぎ始めた。
「……残念だけど、僕は知らないんだ。フェルニゲシュは大罪を犯して首輪を掛けられた。その首輪がどんな物なのか」
「大罪とは? 何をしたんですか?」
「大昔のことだけど、人間の町や村を幾つも焼き払ったらしい。僕が城に棲む前の話だから、詳細は知らない」
「そうですか……他に知ってることは? 本当に何も知らないんですか?」
「……仕組みは知らないけど、首輪を維持するためにゲンチアナの犠牲が必要」
「! ……犠牲とは、死ぬということですか?」
「そう。フェルニゲシュがゲンチアナを殺す。その血を浴びる。理性が無いからフェルニゲシュは何も覚えてないけどね。そういう悪趣味な発案は大体カトブレパス。ハティがズラトロクから聞いた、って……」
ハティの名前を出すとぷつりと言葉が途切れ、スコルは呆然と俯いた。殺されるまでの間、何とか声を搾り出していたが、名前を出すと揺らいでしまう。もう何もかも限界だった。
素直に言葉を吐いたのは、もう何も考えたくなかったからだ。話す前に、引き離されてしまったハティへ最後の言葉を掛けた。すぐにハティの所に行く、そう彼女に呟いて吐き出した。
「カトブレパス……初めて聞く名前ですね。城と関係のある人ですか?」
「…………」
スコルの耳に螭の声は届いていない。彼は呆然と虚ろな目で俯くだけだった。
螭は仕方無く腰を落として蹲み、目線を下げる。彼の空虚な目に近くなる。
それでもスコルは何の反応も示さず、螭は痺れを切らして杖を召喚した。
離れた場所から眺めていた睚眦はぴくりと眉を動かすが、螭は能力を使用するわけではなかった。檻の外からではスコルまで距離があり、触れる――正確には突くために杖を出した。地下牢には通路を含め、持ち上げられる道具は転がっていない。いつどんな形で罪人に利用されるかわからないからだ。
螭は檻の間に杖を挿入し、スコルの夜色の頭をこつんと軽く突く。相変わらず反応は薄いが、目の中の意思はまだ失われていない。
「カトブレパスは何者ですか? その方が首輪のことを御存知で?」
「……カトブレパスは……医者で……変転人の先生。変転人になったばかりの人に……簡単な読み書きと、最低限の情報を教える……」
「まあ……。聞く限り悪い人には思えないですね。ですが、悪とは目に見えない場合が圧倒的です。花街でその方を当たってみると良さそうですね」
「じゃあ……僕はもう用無しだね。殺して……」
「少々お待ちくださいね」
螭は杖を下げ、睚眦の所へ戻る。退屈そうに眺めていた睚眦は頬杖を下ろした。
「どうだった?」
「あの方は首輪を詳しく知らないそうです。王の代わりに実権を握っていても差があるみたいですね。知っている心当たりとして、カトブレパスという方を挙げられました。花街で医師と、変転人の教育を行っているようです」
「カトブレパス……? 首輪のことを答えたくないからって捏ち上げたわけじゃないよな?」
「それは何とも言えませんね。かなり衰弱してるように見えますが、もし演技だとすれば相当な喰わせ者ですよ」
「だよな……。私はあいつを見張っておくから、螭は狴犴に知らせてくれ。あいつが少しでも襤褸を出したら殴ってやる」
「わかりました」
ハティを殺したことは咎められることではないと螭は思っていたが、殺すのは尚早だったようだ。反省室に入る程ではないので、睚眦と共に地下牢で見張りを言い付けられてしまった。頼まれたからには引き受けるが、罪人の食事作りを地霊に任せ切りなので心配である。
宵街の混乱は終わっていない。変転人が多く棲む下層も未だ混乱の直中だ。そちらはラクタヴィージャと無色達に任せているが、科刑所から報告できることが何も無いのが歯痒かった。




