第四十九話 変身
「おい! 帰ったら食パンを寄越せ!」
いつの間にか、すっかり普段の調子を取り戻したエルヴァーナが、春重に飛びつく。
「分かったよ。じゃあせっかくだし、高級食パンを買いに行くか」
「いいのか!?」
「ああ、大人しくしていたご褒美だ」
「おー! 見直したぞハルシゲ!」
春重は、ばしばしと叩いてくるエルヴァーナに、苦笑いを浮かべる。
というのも、昨日真琴に言われたことが、ずっと胸につっかえていた。ただの食パンを与えるだけなんて、いくらエルヴァーナ自身が望んでいたとしても、甲斐性なしとしか言いようがない。ある意味、これは春重なりの罪滅ぼしであった。
「よし、最後にもうひと稼ぎしますか――――」
「うわあああああ!!」
春重の言葉を遮るように、百三十階層の奥から、男の叫び声が聞こえた。
「い、今のは……」
「人の声だ!」
春重たちは、すぐに通路を駆け抜ける。
すると、向こうからひとりの男が駆けてきた。絶望に染まった顔をしていた男は、春重たちを見つけた途端、再び声をあげた。
「た、助けてくれぇぇえええ!」
そんな男を、翼を生やした三体の〝魚〟が追いかけている。
――――『鑑定』
名前:
種族:フライング・ブラックフィッシュ
年齢:
状態:通常
LV:91
HP:1882/1882
SP:0/0
スキル:『翼撃(LV8)』『噛みつき(LV7)』『危険感知(LV6)』『水泳(LV7)』
春重の『鑑定』によって、モンスターの情報が開示される。
「見ろ! ハルシゲ! 魚が飛んでる! 魚のくせに、生意気じゃ!」
「今は大人しくしててくれ……!」
げらげらと笑うエルヴァーナを下がらせ、春重は剣に手をかける。
「戦闘準備!」
春重の言葉で、桜子と真琴が身構える。
「真琴! 彼を避けて矢を当てられるか!?」
「はいっ!」
なんて頼もしい返事だ。一刻を争う状況だというのに、春重は思わず口角を上げた。
「〝オペレーションアロー〟!」
真琴が、三本の矢を放つ。その矢は、真っ直ぐ男へと向かっていった。
「え!? ちょ、ちょっと――――」
男の顔が恐怖で引き攣る。次の瞬間、矢は男の体をぬるりと避け、その背後に迫っていたモンスターの脳天を捉えた。
〝オペレーションアロー〟によって放たれた矢は、威力が低い分、真琴の意思によって、ある程度軌道を操れる。精密な射撃を要求される際、真琴はこの技を多用していた。
「動きは止めました! あとはお願いします!」
「ああ! 春重!」
桜子が『空間跳術』のスキルを駆使し、一気にモンスターとの距離を詰めた。
同じく、春重も『空間跳術』を使用する。
「〝桜花一閃〟!」
「〝ブレイクスラッシュ〟!」
桜子の斬撃が、二体のモンスターを真っ二つに斬り裂く。
春重の振り下ろしが、残った一体を叩き潰す。そうして、辺りは沈黙に包まれた。
「はぁ……はぁ……た、助かったぁ……」
男が、その場にへたり込む。
やたら無精髭が似合う、背の低い男だった。くたびれたポロシャツに、デニム。
特徴的なビール腹も相まって、いかにもずんぐりむっくりな体型をしている。
年齢は、四十代ほどで、春重よりは少し年上に見える。
「大丈夫ですか!?」
慌てて真琴が駆け寄ろうとすると、春重がそれを制する。真琴は、はっとした顔になって、足を止めた。
申し訳なく思いつつも、春重は男に向かって『鑑定』を発動する。
探索者の中には、モンスターではなくプレイヤーをターゲットに略奪の限りを尽くす悪人がいる。目の前の男が、そうではないという保証はない。
名前:丹波正臣
種族:人間
年齢:42
状態:疲労
LV:62
所属:
HP:877/1405
SP:410/1855
スキル:『隠密(LVMAX)』『鑑定』『精神耐性』『罠察知(LVMAX)』『緊急回避(LV4)』『索敵(LVMAX)』『反応速度向上』『直感』『拡張』『脚力強化』『空腹耐性』
「えっと……丹波さん、でいいのかな」
「あ、ああ。そうだけど……あんた、鑑定持ちかい?」
「はい。すみません、勝手に詮索してしまって」
「いや、ダンジョン内じゃ警戒すんのが当然さ。最近はゴロツキも多いしな」
ゴロツキという言葉に、真琴がほんのわずかに顔をしかめる。彼女は、いわゆる半グレ集団に襲われたことがある。そのときのことを思い出してしまうのも無理はない。
よっこいせ、と言いながら、丹波はダンジョンの壁に背中を預け、乱れた息を整える。
昔、上司に連れていかれた競馬場で、彼によく似た人を見た気がする。春重がそんなふうに思うくらい、彼はどこにでもいるような、くたびれたおっさんだった。とてもじゃないが、レベル62には見えない。
「はぁ、マジで助かったよ。あんたらが来てくれなきゃ、今頃魚の餌だ」
「お前、ひとりなのか? パーティには属していないようだが」
「おう。俺はダンジョン配信系のインフルエンサーだからな!」
「ダンジョン配信系?」
探索者歴がもっとも長い桜子ですら、その言葉に首を傾げた。
「体を張ってダンジョンの情報をゲットして、ネットに上げてんのよ。結構有名なんだぜ? あんたらだって、一度は見たことあると思うけどな」
「……生憎だけど、分からないな」
「じゃあ、これならどうだ?」
そう言って、丹波は懐から何かを取り出す。それは、まるで化粧品のコンパクトのようだった。六角形で、中央には青い宝石が埋め込まれている。
「こいつを押すとなぁ――――」
丹波が、宝石の部分を指で押す。
春重がわずかに警戒心を抱く中、宝石が光り輝き、丹波の体を包み込む。
そして、光が晴れると、そこにはゴーグルをつけた、ツインテールの〝少女〟がいた。
『こんまりりー! みんなのダンジョンアイドル! 〝星空まりり〟だよー!』
まりりと名乗った少女は、くるっと回転し、決めポーズを取る。
声も、立ち居振る舞いも、どこからどう見ても、可愛らしい少女だ。
春重は、少女の姿に見覚えがあった。探索者になるときに、この少女が、映像で分かりやすく基本的な知識を教えてくれたのだ。
「おお! すごいすごい! なんと面妖な! 見た目が変わったぞ!?」
退屈そうにしていたエルヴァーナが、興奮気味に目を見開く。
春重は、君だって変わるじゃないかという言葉を、グッと呑み込んだ。エルヴァーナの発言にいちいち突っ込んでいたら、キリがない。
『ほら、探索者なら、必ず見てるはずでしょ?』
「あ、ああ……確かに」
まりりが、再び宝石に触れる。すると、彼女は再び光に包まれ、一瞬のうちに、丹波の姿へと戻ってしまった。
「なんだ、もう少し驚いてくれるかと思ったのに。これでも、一応名の知れたインフルエンサーなんだぜ?」
丹波が、不満そうに唇を尖らせる。これが、先ほどのまりりであったなら、可愛らしいと言われていたかもしれないが、おっさん姿では、人をドン引きさせるだけだった。
「いや、十分驚いてますけど……というか、どうやってるんだ……?」
「『変化のコンパクト』を使っているのだろう。自身の体を、念じたものに変化させるアイテムだ。本来は、モンスターの姿になって、敵をやり過ごすことを目的としているのだが……」
桜子が困惑しながら言うと、丹波は得意げな顔になって、コンパクトを見せびらかす。
「想像力が強ければ、どんな姿にだってなれるんだ。俺はこいつを使って、ダンジョン内の情報を届けてるってわけ!」
「は、はぁ……なるほど」
「なんだよ、反応悪ぃな」
「その、どうして女の子の姿になる必要があるのかなぁと」
「分かってねぇな。まずは俺を見ろ!」
丹波が、春重に向かって顔を近づける。
髭を生やした強面から急に近づかれて、春重は思わず仰け反る。しかし、それでは失礼だと思い、言われた通り、目を離さずに丹波を見た。
「よし、じゃあ次はこっちだ」
そう言って、丹波はまりりに変身する。今度は、体を反らさずに済んだ。
再び、まりりが丹波に戻る。
「ほら、どう思った?」
「えっと……変身した状態のほうが、接しやすそうだなぁと」
「そういうことだ! こんなおっさんがいくら配信したところで、誰も見てくれやしないのよ! 世知辛い世の中だぜ! まったくよぉ!」
けっと唾を吐いて、丹波は足元を蹴る。そういう態度が取っつきづらいのではないかと思ったが、余計な口論になりそうだと思って、春重は口を噤んだ。
「それで、インフルエンサーとやらが何をやっていたんだ? 見たところ、大した装備も持っていないし、攻略しにきたわけではなさそうだが」
「そりゃもちろん――――って、そういや、あんた。元アブソリュートナイツの九重桜子じゃないか?」
丹波が目を見開くと、桜子は気まずそうに目を逸らした。
「なんでこんなところに……そ、そうだ! コラボしてくれよ! そしたら再生数だってうはうはだぜ!」
「そういうことには興味ない。それより、さっさとここにいる理由を話せ」
桜子から冷たい目を向けられ、丹波は「ひっ」と悲鳴を上げて怯える。
丹波のことを、情けないとは思わない。桜子から睨まれたら、誰だって怯える。無論、春重だって。
「わ、分かりましたよぉ……」
小者のような口調になった丹波は、小さく息を吐いて、顎に手を当てる。
どう説明したものか、そう考えている様子だった。




