第五十話 水
「えっと……まず、俺はダンジョン攻略には興味ないタイプでな。ダンジョンを自分の足で調べて、それをできるだけリアルに発信することが、ここにいる目的だ」
そんな人もいるのかと、春重は関心を持つ。
ダンジョンボスを倒し、ダンジョンをもとの建造物に戻した者は、英雄として名を残すことになる。多くの者が、金儲けを目標とする中、そういった金にならないものを目当てに戦う者もいる。
しかし、丹波という人間は、そのどちらにも当てはまらない存在だ。
「武器を持ってないのは、どうせ逃げることしかできねぇからだ。戦闘が向いてなさすぎて、モンスターは隠れてやり過ごすのが基本なのよ」
「なるほど、それで『隠密』スキルが高いのか」
「そゆこと。今回は、スカイタワーダンジョンから見える景色を撮りに来た」
丹波は、高額そうな一眼レフを取り出し、にっと笑う。
なんでも、ダンジョン内の非現実感と、晴れ渡った青空の組み合わせが、SNSで大層人気なんだそうだ。
「できるだけ高い階層で撮ったほうがバズるからな。それで、百三十階層を目指してたんだが――――」
そこで、丹波の言葉が止まる。
何事かと見守っていると、丹波は、申し訳なさそうに口を開いた。
「悪い……ダンジョン配信してる身としてあるまじきことなんだが、上手く説明できなくてな。単刀直入に言うと、今、このダンジョンには異変が起きている」
丹波は、真剣な顔で言った。
「百三十一階層に続く道が、完全に浸水してるんだ」
「し、浸水?」
春重が目を見開く。
だって、それはあり得ない。このダンジョンは、上に延びている。もし水で満たされたフロアがあるなら、流れ落ちてくるはずだ。
「俺も目を疑ったさ。けど、本当に浸水してたんだよ……」
「どういう状況だ。もう少し詳しく聞かせろ」
「最初は、色の違う壁かと思ったんだ。けど、近づいてみたら、それが水だって分かった。なんつーかこう……水が、空中で塞き止められてたんだよ。何もないのにさ」
丹波の話を聞いて、もっとも大きなリアクションを取ったのは、桜子だった。その顔には、色濃い困惑が浮かんでいる。
ここにいる誰よりも多くのダンジョンに挑んだ桜子であっても、そんな構造は見たことがない。そもそも、百三十階層が浸水しているなんて話は、一度も聞いたことがなかった。
「このダンジョンの最高到達階層は、百三十……それを成し得たパーティは、そこにいたフロアボスに敗れ、退散したと聞いている。少なくとも、浸水の話なんてなかったぞ」
「俺だってそう思ってたよ! でも、確かに浸水してんだ! この手でも触ったぞ? さっきのモンスターだって、その水の中から出てきたんだ!」
「なんだと……?」
桜子が、信じられないといった様子であとずさる。
春重の目から見て、丹波が嘘をついているとは、とても思えなかった。そもそも、こんな嘘をつく必要がない。階段を上がればすぐに分かる話を、わざわざ誇張する意味もない。
「なあ、一緒に見てくれねぇか!? もしかしたら、俺の頭がおかしくなっちまったのかもしれねぇしさ……」
春重は、懇願するような視線を向けられ、言葉に詰まる。
丹波がモンスターに襲われていたように、おそらく危険は避けられない。しかし、それでも――――。
「ふっ……春重、顔に書いてあるぞ」
「え?」
「気になるのだろう? なら、行ってみよう」
そう言って、桜子は春重の肩を叩いた。
春重は、自身の頬を触り、うーんと唸る。
―――そんなに出てただろうか……。
探索者が、真に持つべき欲望。それは、未知への探求心。春重の中でも、その欲望が育ちつつあった。
「ここまで来たんですから、行ってみましょうよ!」
真琴が隣に立ち、にっと笑う。
「えー……我は帰りたいんじゃが……」
ひとりだけ難色を示すエルヴァーナに、丹波が困惑気味の顔を向ける。
「あ、あのよぉ、この嬢ちゃんはなんだ?」
「我は白銀竜――――」
「あーっと!」
春重は、慌ててエルヴァーナの口を塞ぐ。モンスターと行動を共にしているなんてことが知られたら、問題は避けられない。ましてや、丹波はインフルエンサーだ。話題のひとつとして、大々的に取り上げようとしても無理はない。
「こ、この子はエルって言います! 一見子供に見えるけど、俺たちの立派なパーティメンバーです!」
「そ、そうなのか?」
「こう見えて、めちゃくちゃ強いんですよ!」
「へぇ。……そうは見えねぇけど」
エルヴァーナが、口を塞がれたまま、何かを叫ぶ。馬鹿にされていると思ったのだろう。今にも丹波に噛みつきそうな剣幕だ。
「ま、最近は中学生ですら探索者になるやつが出てきてるらしいからな。お嬢ちゃんみたいなやつがいても不思議じゃねぇか」
丹波が、軽快に笑う。それに対し、エルヴァーナはますます怒りを露わにしたが、なんとか春重が押さえ込んだ。
「よし、じゃあ俺についてきてくれ」
春重たちは、丹波についていくようにして、百三十階層の奥へ進む。
しばらく真っ直ぐ進むと、そこには黒い壁があった。いや、よく見ると、表面が水面のように揺らめいている。
「……確かに、水だ」
春重が、そう呟きながら指で触れる。すると、波紋が広がり、指には水滴がついた。
「一体、どういう原理なんでしょう……」
ダンジョンでは、人智を越えた事象が当たり前のように存在する。ただ、この光景は一段と奇妙だった。脳が理解を諦め、恐ろしいとさえ感じる。
「二人とも、構えろ」
桜子がそう告げると同時に、水の中からさきほどのモンスターが飛び出してくる。
春重は、反射的に剣を握り、モンスターに向かって振り抜いた。そのひと振りで両断されたモンスターが、床に落ちて霧散する。
「なるほど、こうやって出てきたわけか」
「っ! まだ来ますよ!」
春重たちは、水面から距離を取る。すると、それを追いかけるように、水面から巨大な蛇が顔を出した。
「ひいぃ……! なんだあいつ、気持ち悪ぃ……!」
丹波の動揺が響く。
深い緑色の体に、てらてらと輝く滑らかな鱗。牙はとても長く、時折、その先端から毒々しい液体がぽたりと落ちる。鋭い縦長の瞳孔は、睨まれただけで鳥肌が立つ。
名前:
種族:シー・サーペント
年齢:
状態:通常
LV:105
HP:2267/2267
SP:0/0
スキル:『噛みつき(LV8)』『毒属性(LV6)』『危険感知(LV4)』『水泳(LV8)』『水砲(LV9)』
シー・サーペントが、大きく体を反らす。その瞬間、真琴の『危険感知』が反応する。
「春重さん! 防御を!」
「ああ!」
春重が前に出て、剣を構える。
シー・サーペントは、春重に向かって、口から巨大な水球を放った。『水砲』スキルによる攻撃である。
「〝ソードガード〟!」
『大剣』スキルの成長によって使用可能になる、剣を盾のように扱う技。
春重は、その技をもって、水球を受け止める。強烈な衝撃と共に、水球が弾け、春重の全身を濡らした。
続けて、大口を開けたシー・サーペントは、春重を飲み込まんと迫ってくる。
「させません!」
真琴が放った矢が、シー・サーペントの双眸を捉える。柔いところを貫かれたシー・サーペントは、体をくねらせ悶え苦しんだ。
「これで終いだ――――九重流、壱ノ舞!」
いつの間にか、桜子がシー・サーペントの上空を取っていた。
落下の勢いを剣に込め、シー・サーペントの首に向かって振り下ろす。
「――――桜月!」
桜子の一撃が、シー・サーペントの首を易々と斬り落とす。力なく崩れ落ちたシー・サーペントの胴体は、そのまま霧散した。残った頭部も、やがて牙だけを残して、跡形もなく消滅する。




