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辺境の村のモンスターテイマー  作者: スルメイカ
第二部・辺境建国編
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第88話 最初の法律

「やっぱり、ルールが必要だ」


 クラウの声は、いつになく真剣だった。


 砦跡の中央広場。石造りの柱が等間隔に並ぶその場所に、エルクたちは顔を集めていた。壁補修の終わった砦は以前より人の温もりが感じられ、炊き出しの煙が朝の冷たい空気に溶け込んでいく。


「偵察者が来た。今回は追い返せたけど、次はもっと本腰を入れた調査員が来るかもしれない。そして外からの人間だけじゃない。イェール村の人たちもそのうち来る。住民が増えれば、必ず揉め事も増える」


 クラウはそう言いながら、視線を広場の面々に向けた。リザードマンの長レオル、ラミアの長、メア、ソウ、そしてライ。それぞれの表情は真剣だ。


 ただ一人、エルクを除いては。


「仲良くすれば大丈夫じゃない?」


 のんびりした声が広場に響いた。


 一拍置いて、全員が一斉にエルクを見た。


「それで解決するなら、この世に争いはないわよ」

 ソウが眼鏡を押し上げながら言う。


「仲良くするためのルールが要るんです」

 メアが静かに補足する。


 エルクの足元で、ライがエルクの方をじっと見上げていた。話の内容は聞こえない。しかし、クラウたちの張り詰めた顔と、エルクだけがそわそわとしている様子は十分に伝わっていた。


 エルクの頭の中に、静かな念話が届く。


『……場の空気から察するに、今は真面目な話をしているようです。もう少し、ちゃんと座っていた方がよいかと』


「……ライにも怒られた」


 エルクが小声で呟くと、隣に座っていたメルが「え?」と首を傾げた。


「ライが、ちゃんと座ってろって」


「そうよ。それとね」


 ぺちん、と軽い音がした。メルがエルクの頭を小突いたのだ。


「大事な話だから座ってて」


「……二人がかりは反則じゃない?」


「嘘でしょ。私の方が痛かった」


 メルはにっこりと笑って返した。クラウが苦笑いしつつも話を続ける。


「エルクに仲良くする気持ちがあるのは分かってる。ここにいる皆も、今は善意で動いてる。だけど、それだけじゃ長続きしない。善意は人が増えるほど、すれ違いやすくなるんだ」


 その言葉に、レオルが太い腕を組みながら頷いた。


「クラウ殿の言う通りだ。部族の中でも、ルールがなければ強い者が好き勝手に動く。共通の決まりがなければ、今日の善意は明日の争いになる」


 ・・・・・


 話し合いは、砦内の小部屋へ移った。


 広すぎず、狭すぎない石造りの部屋。ウーゴが補強した梁の下に、簡素な木の卓と椅子が並べられている。クラウ、ソウ、メア、レオル、ラミアの長が卓を囲んだ。


 ライは部屋の隅の棚の上に静かに座り、じっと場を見渡していた。


 エルクは隅の椅子に腰かけ、退屈そうに天井を眺めている。メルはその隣で、エルクが逃げ出さないよう監視するように座っていた。


「まず確認させてほしいんだが」

 クラウが口火を切る。

「今日決めるのは、国の憲法とか難しいものじゃない。まずは、ここで一緒に暮らすための、最低限の決まりだ。誰もが守れる、シンプルなものでいい」


「同意する」

 レオルが短く答えた。


 ラミアの長は、メアを通じて言葉を伝えた。


「長は、弱い者や子供を守る仕組みが大切だとおっしゃっています。ラミアの中には子供も多い。強者に踏みにじられない規則が必要だと」


「それは当然の話だ」

 クラウがそれを書き留めた。


「人間側としては、役割と責任を明確にすべきだと思う」

 ソウが続けた。

「誰が何を担当するか、誰に頼ればいいか。それが曖昧だと、困ったときに全員が立ち止まることになる」


 だが、ここで最初のズレが生まれた。


「待て」

 レオルが低い声で言う。

「強い者が前に立つのが自然な秩序だ。役割を先に決めるというのは、その秩序を崩すことにならんか」


「崩したいわけじゃないけど、強さだけで前に立てる場所を決めると、それが圧力になることもあるでしょ」

 ソウが言い返した。


「圧力?」


「信頼で前に立てる仕組みの方が長持ちする。強さは必要だけど、それだけじゃないわ」


 レオルは少し黙った。否定はしないが、すぐには頷かない。


 ・・・・・


 しばらく意見が行き交う中、エルクの頭に再び念話が届いた。


 今度はウルだった。


『主よ。あの緑の小さいのが、しきりにお前の方を見ている』


 ウルはライのことを言っているらしかった。エルクがちらりと棚の上のライを見ると、ライはじっとエルクに視線を向けていた。何か言いたそうだが、エルクが話し合いに加わっていないため、伝えるタイミングを測っているようだった。


「ちょっと待って」


 エルクが少し身を起こし、ライに向けて声をかけた。


「ライ、何か言いたいことある?」


 部屋の視線がエルクとライに集まる。ライはクラウたちの言葉の内容は分からない。しかし場の流れと、エルクが自分に話しかけたことで、伝えるべき時だと判断したようだった。


 念話がエルクに届く。


『従魔は主の命令が最優先、という方向に話が向かっていませんか。そうなりそうな空気を感じます。それが正しいのかどうか、エルクさん自身はどう思っているのかと思いまして』


 エルクは少し考えた。それから、ぼそりと言った。


「ライが聞いてる。従魔は主の命令が最優先って方向になってないかって」


 クラウが驚いたように眉を上げた。


「……そうなりかけてたな。確かに、そこを曖昧にしておくのは問題か」


「そうよね。従魔を主の道具として扱うことにも繋がりかねないわ」

 ソウが静かに言った。


「ライ、ありがとう」


 エルクがそう伝えると、ライはぷるりと小さく揺れた。返事というより、受け取ったという合図のようだった。


 ・・・・・


「僕の命令より、皆が嫌じゃないことの方が大事じゃない?」


 会話が一段落したところで、エルクがのんびりとした口調でそう言った。


「だって僕、いつも正しいわけじゃないよ。さっきも仲良くすれば大丈夫って言ったら全員に止められたじゃん」


「それは……」

 クラウが言葉を探す。


「誰かの命令が絶対っていう仕組みにすると、その人が間違えたとき皆も一緒に間違った方向に進むよ。僕も含めて、誰かの言いなりにならなくていい。皆が嫌だって言えて、相談できる方がずっとましだと思う」


 部屋がしばらく静かになった。


 レオルがゆっくりと腕を解き、深く息を吐いた。


「……お前は、自分の権限を自分で削るのか」


「権限ってよく分からないけど、皆が嫌じゃなければいいんだよ」


「単純すぎる話だな。だが、その単純さが根っこにあれば、枝葉は後から生やせる」


 クラウは何かを書き留めるように視線を落とした。ようやく方針が見えてきたような表情だった。


 ・・・・・


「まとめよう」


 クラウが卓の上に羊皮紙を広げた。


「まず、ここで生きていくための約束を六つ決める。誰でも覚えられて、誰でも守れるものにする」


 全員が顔を上げた。


「一つ目。仲間を傷つけない」


 反対意見は出なかった。


「二つ目。種族だけで相手を決めつけない」


 レオルが少し目を細めたが、頷いた。自分たちが人間に決めつけられてきた歴史を、彼はよく知っていた。


「三つ目。食べるため以外に、無駄に命を奪わない」


 ラミアの長の方から、メアを通じて賛意が伝えられた。


「四つ目。困ったことは一人で抱えず相談する」


「これは難しいのではないか」

 レオルが言った。

「強者の文化では、一人で解決するのが誇りだ」


「誇りを捨てろってわけじゃないわ」

 ソウが答えた。

「一人で抱えて壊れる前に話してほしい、それだけよ。弱音を言える場所があった方が、結果として全員が強くなれる」


 レオルはしばらく考えてから、静かに頷いた。


「五つ目。この場所に助けを求めて来た者は、まず話を聞く」


「受け入れるかどうかは後で決めるってことか?」


「そう。追い返す前に、話を聞く」


 エルクが小さく「それがいい」と呟いた。


「六つ目。誰かを道具として扱わない」


 これも、反対意見は出なかった。ここにいる全員が、道具として扱われてきた側の歴史を持っていた。


 ・・・・・


 クラウは六つの決まりを書き終えて、一度全員に向けた。


「これが最初の法律だ。……正確には、法律と呼ぶには雑すぎる。抜け穴だらけで、解釈の余地も多い。本当に国として動くなら、もっと細かく詰めていかないといけない」


「だからこそ、この場所らしいと思います」


 メアが静かに言った。


「難しい言葉ではなく、誰でも意味の分かる言葉で書かれている。この場所に集まった皆が、この六つを心で守ろうとするなら、それで十分です」


 クラウは少し唸ってから、苦笑いした。


「……まぁ、言いたいことは分かる」


 エルクはのんびりと頷いた。棚の上のライが、ぷるりと小さく揺れた。言葉は届かなくとも、場が落ち着いたことは伝わったようだった。


 ・・・・・


 夕方。砦の入り口に、一枚の板が掲げられた。


 ウーゴが丁寧に整えた木の板に、クラウが墨で六つの決まりを書き込んだものだ。文字は大きく、誰でも読めるように。


 エルクとクラウ、ソウ、メル、エネ、レオル、ラミアの長、メア。全員が揃って、その板を眺めていた。


「なんか、本当に始まった感じがするね」

 エルクが言った。


「当たり前だ。始まったんだよ」

 クラウが答えた。


「長い話し合いだったけど、やった甲斐があったわね」

 ソウが小さく息をついた。


 メルは少し目を潤ませながら、「うん」と頷いた。


 その時だった。


 メアがぴたりと動きを止めた。


 妖しい魔眼が、ほんの一瞬だけ大きく見開かれる。瞳の中に何かが映ったように、光が揺れた。そして、すぐに元に戻った。


「メア?」


 エルクが気づいて横を向く。メアは静かに、板の前を見つめていた。


「……見えました」


「何が?」


「たくさんの者が、この板の前を通っていく光景です」


 低い声で、しかしどこか嬉しそうに言った。


「リザードマン。ラミア。人間。それ以外の種族も。この場所を目指して歩いてくる、多くの者たちが、この板の前を通り過ぎていく」


 夕焼けが砦の石壁を赤く染め、その中に一枚の木の板が静かに立っている。


 エルクはそれをしばらく眺めてから、ゆっくりと笑った。


「じゃあ、その人たちが来る前に、もうちょっと住みやすくしておかないとね」


「お前がそれを言うな。自分の昼寝のことしか考えてないくせに」


 クラウの呆れた声が、夕暮れの砦に響いた。


 ・・・・・


 その夜遅く、クラウは卓の前で羊皮紙を広げていた。


 六つの決まりの下に、小さな文字で備考を書き足していく。抜け穴の確認、解釈の方向性、これから細かく詰めるべき事項。


「国を作るって、思ってたより地道だな」


 誰に言うでもなく呟く。隣ではベルが丸くなって眠っていた。


 窓の外の砦の入り口で、板は夜の月明かりにわずかに照らされていた。


 まだルールは六つだけだ。この先、住民が増えれば、新しい問題が必ず出てくる。六つだけでは到底足りなくなる日が来る。


 しかしクラウは、今夜だけは、そのことをそっと横に置いた。


 最初の決まりが生まれた。それで十分だと、今夜だけは思うことにした。

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