第81話 リザードマンの村へ
イェール村の近郊から空間魔法で転移したエルクたちは、一瞬にして目的の地へと降り立った。
そこは、王都から遠く離れた険しい山岳地帯の奥深く。以前、王都での悪魔襲来事件の前に、エルクたちが一時的な避難場所としてジン爺に手配してもらった隠れ里だった。
切り立った岩肌と豊かな森に囲まれたその場所には、エルクたちが保護したリザードマンとラミアの部族が、ひっそりと、しかし穏やかに暮らしている。
転移の光が収まると、見張りに立っていたリザードマンの戦士たちが慌てて槍を構えたが、相手がエルクたちだと分かると、すぐに警戒を解いて歓声を上げた。
「おおっ! エルク殿ではないか!」
「クラウ殿にメル殿も! それに大きな従魔たちも一緒だな!」
リザードマンたちが口々に歓迎の言葉をかける中、集落の奥から一際体格の良いリザードマンの戦士が歩み出てきた。
リザードマンの部族をまとめる長であり、優れた戦士でもあるレオルだ。
「エルク。それに皆も、よく来てくれた。大歓迎だが……学園はどうしたのだ? 今はまだ、お前たちが学ぶ期間の最中だったはずだが」
レオルは不思議そうに首を傾げた。
春の武術大会での出来事は、この遠く離れた山岳の村にはまだ詳しく伝わっていないようだ。
エルクは頭の後ろで手を組み、いつものようなのんきな笑顔を浮かべて答えた。
「やっほー、レオル。学園はね、辞めてきた!」
「……は?」
「馬鹿野郎! 休学だ、休学! 勝手に退学扱いにするな!」
すかさずクラウがエルクの頭を軽く小突いた。
そこへ、少し遅れてラミアの長も姿を現した。彼女は美しい女性の上半身と、艶やかな蛇の下半身を持つ艶麗な姿をしており、その表情には深い知性が宿っている。
「どういうことかしら? 王都で何かあったの?」
ラミアの長の問いかけに、エルクはポンと手を叩いて明るく言った。
「実はさ、王都の偉い人たちがあれこれうるさくて面倒になっちゃったから、皆で一緒にのんびり暮らせる場所を作ろうと思って。だから、王都を出てきたんだ!」
エルクの底抜けに明るい報告に、レオルとラミアの長、そして周囲にいたモンスターたちは、完全に思考が停止したように固まった。
「……皆でのんびり暮らせる場所?」
「うん。僕たちの国を作ろうと思ってね」
数秒の沈黙の後、レオルが厳しい表情でエルクを睨みつけた。
「エルク……。お前、自分が何を言っているか分かっているのか?」
「え? 国を作るって言ったんだけど」
「言葉通りの意味だとしたら、それは王国に対する反逆だぞ! いくらお前たちが強くとも、王都と真っ向から対立すればどうなるか……。そして、我々リザードマンやラミアまでその争いに巻き込まれる可能性があるということだ!」
レオルの言葉は重く、そして現実的だった。
彼らは人間から迫害され、ようやくこの場所で平穏を得たばかりなのだ。エルクの勢いだけの「国作り」に巻き込まれて、再び王国の討伐軍に追われるようなことになれば、部族は今度こそ滅びかねない。
「えっと……戦争するつもりは全然ないんだけど……」
「言葉足らずよ、エルクくん!」
しどろもどろになるエルクを背後に追いやり、ソウが前に出た。クラウも並んで立つ。
「レオル殿、ラミアの長殿。エルクの言い方が極端でしたが、これは王国と戦争をして独立を勝ち取るための戦いではありません」
クラウが冷静な声で説明を始める。
「人間とモンスターが、人間側の都合だけで管理・搾取されない場所を作るための試みなんです。王国に反旗を翻すわけではなく、王国の法が及ばない辺境の地に、誰も手出しできない拠点……自治領のようなものを作るのが目的です」
「そうよ。王国の貴族や騎士団は、エルクくんの従魔たちや、あなたたちのような知性あるモンスターを、ただの『便利な道具』や『兵器』としてしか見ていないわ。私たちは、そういう扱いを拒否したのよ」
ソウの言葉に、レオルは腕を組み、深く考え込んだ。
ラミアの長もまた、目を伏せて思案している。人間がモンスターをどう扱うか、彼女たちは身をもって知っているからだ。
「しかし……王国がそれを黙って見過ごすとは思えん。必ず干渉してくるはずだ」
レオルの懸念は拭えない。
その時、エルクたちの後ろに控えていたメアが、静かに進み出た。
魔眼を持つラミアである彼女の存在は、同族であるラミアたちにとっても特別だ。
「長。レオル様。クラウ様たちの言葉は真実です」
メアは、静かだがよく通る声で語りかけた。
「私の魔眼は、王都に残った場合の未来を視ました。……王都に残れば、私たちラミアやリザードマンは、いずれ人間の研究材料として解剖されるか、無理やり使い捨ての兵器として最前線に立たされる未来しかありません」
その言葉は、集まっていたモンスターたちに冷たい衝撃を与えた。
研究材料。兵器。
それは、彼らが最も恐れていた人間の身勝手な欲望の結末だった。
「ですが、エルク様たちと共に行く未来には……まだ何も描かれていません。何も決まっていない、真っ白な未来があるだけです。私は、その未来に懸けたい」
メアの切実な訴えは、ラミアの長、そしてレオルに強く響いた。
魔眼の予知がどれほど絶対的なものか、彼らはよく知っている。王都に恭順していればいずれ破滅が待っているのなら、エルクたちと共に未知の未来を切り拓く方が、まだ生存の希望がある。
「……相変わらず、お前たちの行動には肝を冷やされるな」
長い沈黙の後、レオルがふっと息を吐き出して言った。
「いきなり部族を挙げての全面協力とはいかん。王国軍が攻めてきた時に、部族の女子供を危険に晒すわけにはいかないからな。……だが、候補地の調査や拠点の整備程度なら、戦士を出して協力しよう」
「本当!? ありがとう、レオル!」
「感謝するのはまだ早いぞ、エルク」
喜ぶエルクをよそに、今度はラミアの長がメアの肩にそっと手を置き、メアを通じてエルクに語りかけた。
「主様。ラミアの長も、協力を認めると申しております」
メアが通訳するようにエルクへ伝える。
「ただし、条件があります。私たちラミアやリザードマンを、王都との争いの『盾』にしないこと。私たちを最前線に立たせ、捨て駒にするような真似はしないと、約束していただけますか?」
それは、部族の命を預かる長として当然の要求だった。
人間の中には、モンスターを前衛の肉盾として使い潰す者がごまんといる。彼らがエルクたちを完全に信用するためには、その一点だけは明確にしておく必要があった。
しかし、エルクはその条件を聞いて、不思議そうに首を傾げた。
「え? 盾にするって、どういうこと?」
「ですから、王国軍が攻めてきた時に、私たちを身代わりに……」
「そんなこと、するわけないじゃないか」
エルクは迷わず、そしてきっぱりと頷いた。
「君たちは僕の道具じゃない。一緒に昼寝して、一緒にご飯を食べる『仲間』なんだからさ。仲間を盾にするようなこと、僕が許さないよ」
エルクの瞳に嘘や計算は一切なかった。ただ純粋に、心の底からそう思っているのだ。
その素直すぎる言葉に、メアは小さく微笑み、ラミアの長も安心したように頷いた。レオルもまた、エルクらしい答えに毒気を抜かれたように苦笑した。
「……分かった。お前のその言葉、信じよう」
レオルが分厚い胸を叩き、改めて協力を約束する。
「それで、候補地というのはどこなのだ? この山岳地帯には、我々が暮らすこの場所以外にも、いくつか隠れ住める場所はあるが」
「うん。お爺ちゃん……学園長が古地図で教えてくれたんだけど、この山のずっと奥に、古い砦の跡があるらしいんだ」
エルクがジン爺から受け取った古地図を広げて見せると、レオルは地図の一点を指差し、そして険しい表情で地図の先――山脈のさらに奥深くを睨みつけた。
「古い砦跡……あそこか。確かに、地形としては天然の要害で、拠点にはうってつけだろう。だが……」
「だが?」
クラウが聞き返す。
「あそこには、この山脈の空を統べる『空の主』がいるのだ」
レオルの重々しい言葉に、エルクの頭に乗っていたスラが「ぷるっ?」と震え、隣にいたグリフがビクッと翼を竦ませた。
「空の主……?」
「ああ。途轍もなく巨大で、凶暴な鳥型のハイモンスターだ。我々も決してあの領域には近づかないようにしている。あの者の許しを得られぬ限り、あの砦跡を拠点にすることなど不可能だぞ」
レオルが警告するように告げる。
しかし、エルクの反応はレオルの予想とは全く違うものだった。
「へぇー! 空の主か! どんなモンスターなのかな、早く会ってみたいね!」
「お前なぁ……話聞いてたか?」
「大丈夫だよクラウ! 話し合えばきっと分かってくれるって!」
のんきに笑うエルクと、頭を抱えるクラウ。
彼らの新しい国作りの第一歩は、その「空の主」との交渉から始まることになったのだった。




