第80話 イェール村への報告
眩い白光が収まると、そこは王都武魔術学園の鬱蒼とした裏森ではなく、のどかな風が吹き抜ける街道の外れだった。
遠くには、木々に囲まれた小さな村のシルエットが見える。
エルクが転移の目標地点として選んだのは、辺境の未開の地ではなく、王都と辺境の間に位置する場所――イェール村の近郊だった。
「わぁ……本当に一瞬で着いちゃったわね」
ソウが周囲の景色を見回しながら、感嘆の息を漏らす。
エネも、自分の足元で不思議そうに首を傾げているティス(マンティス)を撫でながら、ほっとした表情を浮かべた。
「ここ……もしかして」
「うん。クラウとメルの故郷、イェール村の近くだよ」
エルクがのんびりとした口調で答えると、クラウとメルは驚いたように目を見開いた。
「どうしてここに? 辺境の候補地に直行するんじゃなかったのか?」
「だって、これから国を作るんでしょ? そうなったら、当分は王都方面には戻ってこれないかもしれないじゃない。だったら、辺境に行く前にクラウとメルに故郷の村へ立ち寄らせてあげたいなーって思って」
エルクは、さも当然のことのようにそう言って笑った。
それに、イェール村はエルクにとっても特別な場所だ。大穴の事件でクラウたちを助け、村長やギンと出会い、結果的に武魔術学園へ入学するきっかけを作ってくれた場所なのだから。
「エルク……お前ってやつは」
「ありがとう、エルク! 私、村のみんなにきちんとお別れを言っておきたかったの!」
クラウは言葉に詰まり、メルは満面の笑みでエルクに抱きついた。
「よし、じゃあみんなで村に行こう! でも、ドラゴやウルたちは村に入ると大きすぎて驚かせちゃうかもしれないから、この辺りで待機しててね。スラとライはついてきていいよ」
『承知した。周囲の警戒は任せておけ』
『主よ、行ってくるのだ!』
ウルが静かに頷き、ドラゴが鼻を鳴らす。
エルク、クラウ、メル、ソウ、エネ、メアの六人は、スラとライを連れてイェール村へと向かって歩き出した。
・・・・・
イェール村の広場に、クラウとメルが姿を現すと、村人たちはすぐに気付いて歓声を上げた。
「おおっ! クラウとメルじゃないか! 学園の休みか?」
「相変わらず元気そうだな!」
村人たちが次々と集まってくる中、村長の家から恰幅の良い大人――テイマーのギンが出てきた。
「なんだなんだ、騒がしいと思ったら。……クラウにメル、それにエルクじゃないか! どうしたんだ、こんな時期に揃って帰ってくるなんて」
「ギンさん、お久しぶりです!」
「おう! ……ん? そっちの嬢ちゃんたちは見ない顔だな。エルクの新しい仲間か?」
ギンの視線が、ソウ、エネ、メアへと向けられる。メアの魔眼やラミアとしての特徴的な雰囲気に少し驚いたようだが、テイマーであるギンはすぐに警戒を解いた。
「村長! 村長はいますか?」
クラウが少し切羽詰まった声で呼ぶと、杖をついた村長がゆっくりと姿を現した。
「おお、クラウよ。どうした、そんなに慌てて。……ふむ、エルク君も一緒か。何やら、ただの里帰りではなさそうな顔をしておるのう」
村長の言葉に、クラウとメルは顔を見合わせた。
そして、広場に集まった村長、ギン、村人たちを前に、王都で起きた出来事を順を追って説明し始めた。
春の武術大会での優勝。
突如として空が裂け、闘技場を襲撃した悪魔たち。
エルクと従魔たちがそれを討ち果たしたこと。
そして――エルクたちが王都の管理下に置かれることを拒絶し、学園を休学して王都を離れる決意をしたこと。
「な、なんと……王都でそんな恐ろしいことが……」
「悪魔を倒したって!? エルク、お前さんやっぱりとんでもない奴だったんだな!」
村人たちは驚愕と興奮でざわめいた。ギンも信じられないといった顔でエルクを見つめている。
だが、村長だけはどこか納得したように、ふぉっふぉっと笑い声を漏らした。
「なるほど、なるほどのう。エルク君が村を救ってくれた時から、お主は普通の道を歩かんじゃろうと薄々思っておったが……まさか悪魔まで倒してしまうとはな」
「あはは……まあ、なりゆきで」
「それで、これからどうするつもりなんじゃ? 王都を離れて、どこへ行くというんじゃ?」
村長の問いかけに、エルクは真っ直ぐに答えた。
「僕たち、辺境で国を作るんだ」
ぴたり、と。
広場の空気が凍りついた。
風の音だけが虚しく吹き抜けていく。
「……えっ?」
「く、国を作る? 国って、あの国か?」
「辺境で!?」
一瞬の静寂の後、爆発したかのように村人たちが騒ぎ始めた。
「エルク君、それは本気で言っておるのか?」
「うん! 人間もモンスターも、誰かに縛られずにのんびり昼寝できる場所が欲しいなって思って! リザードマンやラミアのみんなも一緒にね」
エルクの底抜けに明るい笑顔に、村長は呆気を取られ、やがて大きなため息をついた。
「……お主というやつは、本当に規模が違うのう。国を作るときたか」
クラウが一歩前に出て、真剣な表情で補足する。
「村長、俺たちも本気です。王都の都合でモンスターを道具として扱うやり方には、もうついていけません。俺とメルも、エルクと一緒にその国を……俺たちの居場所を作ります」
クラウとメルの強い決意の籠った瞳を見て、村人たちはようやくそれが冗談ではないのだと理解した。
・・・・・
その日の午後。
エルクたちが村はずれで少し休憩していると、数人の村人たちが連れ立ってやってきた。
王都や貴族社会の窮屈さに馴染めずに村に戻ってきていた若者たち。
森での暮らしに慣れ、未知の土地に興味を持つ屈強な狩人。
家を建てる技術を持つ大工の兄弟。
そして、薬草の知識に長けた老婆などだ。
「クラウ、メル。それにエルク」
若者の一人が代表して口を開いた。
「俺たちも、連れて行ってくれないか?」
「えっ?」
「俺たちも、新しい場所でやり直したいんだ。王都の貴族が威張り返るこの国じゃなくて……お前たちが作るっていう、その新しい場所でさ。大工仕事でも、狩りでも、何でも手伝うからよ!」
薬草に詳しい老婆も深く頷く。
「わしも、辺境の珍しい薬草には興味があってのう。怪我の手当てくらいなら役に立てるじゃろうて」
エルクは目を輝かせた。
「本当!? 嬉しいな! もちろんいいよ、みんなで一緒に――」
「ちょっと待て、エルク!」
即答しようとしたエルクの肩を、クラウがガシッと掴んで止めた。
「なんで止めるのさ、クラウ。人が多い方が拠点作りも進むじゃないか」
「駄目だ。気持ちはすごく嬉しいけど、今はまだ連れて行けない」
クラウは集まった村人たちに向き直り、深々と頭を下げた。
「みんな、本当にありがとう。でも、俺たちがこれから行く場所は、未開の辺境だ。どんな危険なモンスターが出るかも分からないし、寝る場所も、食べるものすら十分に確保できる保証はない」
クラウの言葉に、村人たちは静まり返った。
「国を作るっていうのは、ただ仲間を集めてワイワイやるだけじゃないんだ。人を受け入れるってことは、その人たちの命と生活に責任を負うってことだ。俺たちにはまだ、みんなを安全に守って養えるだけの基盤がない」
ソウもクラウの隣に並び立ち、同意するように頷いた。
「クラウの言う通りよ。エルクくんの力があればモンスターは蹴散らせるかもしれないけど、それと『人間が安全に生活できる環境』を作ることは別問題。いきなり大勢で行って、食料が尽きたり病気になったりしたら全滅よ」
クラウは再び、村人たちを真っ直ぐに見つめた。
「だから、まずは俺たち先遣隊が拠点に行って、安全を確保して、生活の基盤を作る。みんなを受け入れるのは、それからにさせてほしいんだ」
クラウの真摯な言葉に、村人たちは顔を見合わせ、やがて納得したように頷いた。
「……分かった。クラウがそこまで言うなら、待つよ」
「おう! 立派な拠点を作って、俺たちを呼んでくれよな!」
話し合いの結果、まずは少人数の協力者だけが後日、生活基盤が整った段階で合流することになった。
イェール村からは、大工の職人二人、腕利きの狩人一人、薬草係の老婆、そして力仕事を手伝える若者数人が、第一次の移住希望者としてリストアップされた。
「よかったね、クラウ。これで最初の住民の目処が立ったよ!」
エルクが笑いかけると、クラウは少し照れくさそうに頭を掻いた。
「ああ。ますます責任重大になったけどな」
・・・・・
夕刻。
村を出発するエルクたちを、村長やギンたちが見送りに来ていた。
「クラウ、メル。体に気をつけるんじゃぞ。エルク君たちの足手まといにならんようにな」
「はい! 村長も元気で!」
「行ってきます!」
村長は、のんびりと笑うエルクに視線を向け、穏やかな声で語りかけた。
「エルク君。村を救ってくれた時から、お主は普通の道を歩かんと思っておったよ。じゃが、まさか国を作るとはな……。ならばせめて、お主らが疲れ果てた時に帰る場所の一つくらいは、この村に残しておいてやろう」
その温かい言葉に、エルクは少しだけ驚いたように目を見開き、そして、今日一番の柔らかい笑顔を向けた。
「……ありがとう、村長さん。でも、絶対に成功させるから、安心して待っててね!」
エルクたちは村人たちに大きく手を振り、村はずれで待機していたドラゴやウルたちと合流した。
「よし、じゃあ今度こそ辺境へ向けて出発だ!」
エルクが空間魔法を発動させる。
巨大な魔法陣が一行を包み込み、眩い光と共に、彼らの姿はイェール村から完全に消え去った。
・・・・・
エルクたちが転移で去ってから、わずか数十分後のこと。
激しく土煙を巻き上げながら、一頭の早馬がイェール村の広場へと駆け込んできた。
馬に乗っていたのは、王都から派遣された王国軍の使者だった。
「村長はいるか!!」
使者は馬から飛び降り、息を弾ませながら村長の家に詰め寄った。
広場にいた村人たちが、何事かと警戒して遠巻きに見守る。
「ワシが村長じゃが。王都の使者殿が、こんな辺境の村に何の用かな?」
村長は杖をつきながら、ゆっくりと外に出てきた。
「とぼけるな! 王都から逃亡したエルクという少年と、クラウ、メルというこの村出身の生徒たちが、先ほどこの村に立ち寄ったという情報を得ている! 奴らはどこへ行った!!」
使者が剣の柄に手をかけ、鋭い口調で怒鳴りつける。
王都の監視網は、エルクたちが空間魔法を使った痕跡から、大まかな転移先を割り出していたのだ。
しかし、村長は使者の剣幕にも全く動じることなく、のんびりとした口調で空を見上げた。
「さて、どこへ行ったかのう。若者たちの足は速くての。ワシのような年寄りには、とても追いつけんよ」
「ふざけるな! 奴らは国家の重要監視対象だ! 行き先を知っているなら吐け!」
「ほっほっほ。どこへ行ったかは知らんが……彼らには、明るい未来が待っておるじゃろうて」
のらりくらりと躱す村長を前に、使者は苛立ちを隠せないまま舌打ちをした。
すでにエルクたちは、王国の手が及ばない、本当の未開の地へと足を踏み入れていたのである。




