第78話 王都を出る者たち
「じゃあ、行こうか! 僕たちの新しい場所へ!」
エルクが元気よくそう宣言し、空間魔法で一気に辺境へ転移しようと意気込んだのは、つい先日のことだった。
しかし、現実はそう甘くはない。国を作る、王都を出る、と口で言うのは簡単だが、学園の生徒である彼らには、王都を離れる前に済ませておかなければならない事務手続きや、身辺整理が山ほど残されていたのである。
すぐに出発だとはしゃいでいたエルクは、クラウたちに「現実を見ろ」と怒られ、結局、王都での最後の後片付けと手続きに奔走することになったのだった。
・・・・・
王都武魔術学園、職員室。
クラウとメルは、担任の教師を前にして少し気まずそうに立っていた。彼らの手には、それぞれ「休学届」と書かれた羊皮紙が握られている。
「本当に休学するのか? 春の武術大会での君たちの活躍は目覚ましいものがあった。団体戦での働きも見事だったし、これからという時に……」
担任の教師は、優秀な生徒を手放すのが惜しいようで、何度もため息をついた。悪魔襲来という未曾有の危機において、クラウたちは前線で戦い、多くの観客を守った実績がある。学園側としても、彼らは期待の星だったのだ。
「申し訳ありません。ですが、どうしても外の世界で学びたいことができたんです」
クラウは真摯な瞳で真っ直ぐに教師を見つめ、深く頭を下げた。横でメルも同じように頭を下げる。
本当の理由である「エルクと一緒に国を作るから」などと言えば、どんな騒ぎになるか分からない。そのため、表向きは「辺境の生態系と未踏破地域の長期実地調査」という、学園長であるジン爺が用意してくれた名目を盾にしていた。
「……学園長からの強い推薦状もある。私としては引き留めたいが、君たちの決意は固いようだな。怪我だけはしないようにな」
「はい。今までご指導ありがとうございました」
手続きを終え、廊下に出たクラウとメルは、ふぅと大きく息を吐き出した。
「これで、後戻りはできないな」
「うん。でも、ちっとも後悔してないわよ。あそこに残るよりも、ずっと面白そうだもの」
メルは明るく笑って見せた。
同じ頃。
魔術科の教室の片隅で、エネは自分の荷物をまとめながら、ふと窓の外を見つめていた。彼女の表情には、隠しきれない不安の影が落ちている。
エネの足元では、彼女の従魔であるティス(マンティス)が、心配そうにカマをすりすりとエネの膝に擦り付けていた。さらに、彼女の影からはバジリスクのバジちゃんがひょっこりと顔を出している。
「……大丈夫だよ、ティス、バジちゃん。私も一緒に行くからね」
エネは二匹の危険な従魔を優しく撫でた。
エネが王都を離れる決意をしたのは、単にエルクたちについて行きたいという理由だけではなかった。
春の武術大会での騒動以降、王都では「強力なモンスターを従えるテイマー」に対する視線が、急激に冷たく、そして警戒を帯びたものに変わっていた。
エルクのドラゴやウルほどではないにせよ、エネの従魔もまた、マンティスやバジリスクといった非常に危険度の高いハイモンスタークラスだ。もしこのまま王都に残れば、いずれ自分の従魔たちが「危険生物」として討伐対象にされるか、あるいは王国軍に兵器として強制的に取り上げられてしまうかもしれない。
「そんなの、絶対に嫌……。この子たちは、私の大切な家族だもの」
エネは小さな拳をぎゅっと握りしめ、不安を振り払うように決意を新たにした。
一方、武術科の鍛錬場では、ソウが数人の教官たちに囲まれていた。
「ソウ! 考え直せ! お前ほどの剣の才能を持つ者が、辺境の調査などに同行してどうする! 武術科の誇りとして、王都騎士団を目指すべきだ!」
熱血漢の教官が、ソウの肩を掴んで熱弁を振るっている。ソウは武術科の中でも特別な実力を持つと評価されており、教官たちからの期待も非常に高かったのだ。
しかし、ソウはあっさりと教官の手を外し、爽やかな笑みを浮かべた。
「お言葉ですが、教官。王都騎士団の訓練より、エルクくんたちの傍にいる方が、よっぽど命懸けの実戦経験が積めるんですよ。私、強いモンスターと戦ってみたいですし」
「なっ……! お前は自分の才能をなんだと思っている!」
「研究会の実戦担当、防衛・訓練係ってところですかね。それじゃ、今までお世話になりました!」
教官たちの引き留めを背中で受け流しながら、ソウは颯爽と鍛錬場を後にした。彼女の足取りは軽く、これから始まる未知の戦いへの期待に満ちていた。
・・・・・
その日の午後。
「モンスターの国研究会」の部室には、手続きを終えたメンバーたちが集まっていた。
部室の荷物はすっかり片付き、がらんとした空間になっている。エルクは持ち帰る予定のクッションの上で、のんびりとあくびをしていた。
「それにしても、王都の中はどこもかしこもエルクの話ばかりね」
ソウが窓の外を眺めながら、呆れたように言った。
「私が武術科の棟を歩いてた時も、すれ違う生徒がみんなヒソヒソ話してたわよ」
「どんなこと言ってたの?」
メルが身を乗り出して聞く。
「『あの英雄エルクが王都を見捨てて逃げるらしい』とか、『いや、モンスターの軍隊を集めて独立国家を作るつもりだ』とか。ひどいのになると『王家に反逆して、王都を焼き討ちにする計画を立てている』なんて噂まであったわよ」
ソウの報告に、エネが顔を青ざめさせる。
「は、反逆だなんて……そんなこと、これっぽっちも思ってないのに」
「噂なんてそんなもんさ。好意と恐怖と、面白半分の悪意が適当に混ざり合って、尾ひれがついてるだけだ」
クラウが腕を組みながら、苦虫を噛み潰したような顔をした。
王都の人々にとって、悪魔を瞬殺したエルクと従魔たちの力は、希望であると同時に、制御不能な圧倒的脅威として映っているのだ。
「ねぇねぇ、王都焼き討ちってどうやるの? ドラゴにブレスでも吐かせればいいのかな?」
当の本人であるエルクは、噂の深刻さを全く理解していない様子で、お茶をすすりながらのんきなことを言っている。
「馬鹿! 冗談でもそんなこと言うな! お前が言うと冗談に聞こえないんだよ!」
クラウが即座に突っ込みを入れた。
「まあまあ、クラウ。でも、警戒はしておいた方がいいわよ。噂が広がれば広がるほど、それを不快に思う貴族や、逆に利用しようとする輩が出てくるからね」
ソウが冷静に分析する。
その言葉が予言であったかのように、部室の扉がコンコンとノックされた。
「……誰だ? こんな時に」
クラウが警戒しながら扉を開けると、そこには仕立ての良い服を着た、いかにも胡散臭そうな笑みを浮かべる恰幅の良い商人と、その護衛らしき男たちが立っていた。
「やあやあ! 突然の訪問、失礼いたします。私は王都で商会を営んでおります、ゴルドーと申します。エルク様はいらっしゃいますかな?」
「俺たちは忙しいんだ。何の用だ」
クラウが冷たく応じるが、商人は愛想笑いを崩さず、ずかずかと部室に入ってきた。
「いやいや、エルク様が辺境で新たな拠点……いやさ、新たな『国』を創られるという素晴らしいお話を耳にしましてね! 我々商会も、英雄殿の偉大なる事業にぜひとも支援をさせていただきたく、参上した次第でございます!」
商人は大仰な身振りで語り、護衛に持たせていた木箱をどんと机に置いた。蓋が開かれると、中には金貨がぎっしりと詰まっている。
「これはほんの挨拶代わり。資金援助はもちろん、開拓に必要な物資、人材、武器防具など、何でも我が商会が手配いたしましょう! さあ、エルク様。ぜひこのゴルドーと専属契約を!」
その言葉を聞いたエルクの目が、キラリと輝いた。
「わぁ、すごい! 資金も物資もくれるの? じゃあ、くれるならもらおうかな――」
「馬鹿野郎!!」
「エルクくん、ストップ!!」
エルクが金貨の箱に手を伸ばそうとした瞬間、クラウとソウが左右から猛烈なタックルをかまし、エルクを物理的に押さえ込んだ。
「ぐえっ!」
「痛い痛い! なんで止めるのさ、クラウ、ソウ!」
「お前は本当に何も分かってないな! タダより高いものはないって言葉を知らないのか!」
クラウがエルクの首根っこを掴んで怒鳴る。
「いいか、こいつらは純粋な善意で支援するわけじゃない! 今のうちに俺たちに恩を売って、辺境で新しい利権を独占したいだけだ! 将来的に俺たちの国で採れる資源や、交易の優先権をふんだくるための投資なんだよ!」
ソウも冷ややかな視線を商人に向けて言い放つ。
「それに、ここで貴族や大商会の金を受け取れば、後々『あの時支援してやっただろう』って、私たちの行動に口出ししてくる首輪になるわよ。国を作るのに、最初から他人の首輪を嵌められてどうするのよ」
「あ……なるほど。そういうことか」
エルクは二人の説明を聞いて、ようやく事の重大さを理解したようにポンと手を打った。
「そういうことだ。エルク、お前は黙ってろ。交渉は俺がやる」
クラウはエルクを背後に庇うように立ち塞がり、商人ゴルドーに向き直った。その目は、普段の温厚なクラウではなく、研究会の実務を担うリーダーとしての鋭さを帯びていた。
「申し訳ないが、ゴルドー殿。俺たちはまだただの学生の集まりに過ぎない。辺境での調査も、個人的な目的に過ぎません。貴方のような大商会と契約を結ぶような段階にはないんです。お引き取りを」
「な、なんと! これはもったいない。しかし、辺境の開拓は困難を極めますぞ? 我が商会の後ろ盾があれば……」
「必要ありません。俺たちの居場所は、俺たちの手で作ります」
クラウの毅然とした態度に、商人は舌打ちを堪えるような顔をして、渋々木箱を持って引き下がっていった。
・・・・・
その後も、似たような目的で近づいてくる貴族の使いや商人が何組か現れたが、クラウとソウの鉄壁のガードにより、すべて追い返された。
「ふぅ……疲れた。まさか出発前にこんなに押し売りが来るとはな」
夕暮れ時になり、ようやく静かになった部室でクラウが肩を揉む。
「クラウ、お疲れ様。でも、これで王都からの変な支援はシャットアウトできたわね」
メルが労いの言葉をかけ、お茶を差し出す。
結局、研究会が受け取ることにしたのは、ジン爺が個人的に用意してくれた物資だけだった。
辺境の古地図、高品質な医療道具、長期保存が効く食料、そして簡易結界具。
ダクト(プロダクトスライム)がそれらの物資をぷるん、と飲み込んで体内に収納していく。国を作る以上、最初から王都の金や貴族の力に頼りすぎれば、必ずそれは足枷になる。自分たちの足で立つという、クラウたちの賢明な判断だった。
「よし。これで学園での手続きも、荷物の整理も、厄介事の処理も全部終わった。明日こそ、本当に王都を出発するぞ」
クラウの言葉に、全員が力強く頷いた。
すっかり日が落ち、夜の帳が王都を包み込む頃。
部室の戸締まりをして、寮へ帰ろうとした彼らの足がピタリと止まった。
誰もいないはずの廊下。その部室の扉の前に、一枚の封筒がぽつんと置かれていたのだ。
「……なんだ、これ」
クラウがいぶかしげに封筒を拾い上げる。
封筒の裏には、重厚な蝋で封印が施されており、そこに押された紋章を見た瞬間、クラウの顔色が変わった。
「王家の、紋章……。差出人は、王城からだ」
その言葉に、その場の空気が一気に張り詰める。
クラウは慎重に封を開け、中に入っていた書状に目を通した。彼の眉間には、みるみるうちに深いシワが刻まれていく。
「クラウ……なんて書いてあるの?」
エネが恐る恐る尋ねた。
「……『辺境移住の前に、王国への正式な説明を求める。明日、王城へ出頭せよ』……だそうだ」
クラウが重々しい声で内容を読み上げる。
エルクは首を傾げた。
「説明? 別にいいんじゃない? 国作りますって言って、そのまま出発すれば」
しかし、クラウはギリッと歯を食いしばり、書状を握りしめた。
「甘いぞ、エルク。……これは、ただの説明要求や、時間稼ぎなんかじゃない」
クラウの鋭い視線が、闇に沈む廊下の先を睨みつける。
「これは、俺たちの出発を遅らせ、そのまま王都に縛り付けるための『鎖』だ」




