第77話 国作り、まずは引っ越しから
春の武術大会での優勝、そして悪魔の強襲という大事件から一夜が明けた。
王都武魔術学園は、未だに昨日の喧騒と混乱の余韻を引きずっていた。騎士団や学園の教師たちが慌ただしく見回りを続け、生徒たちは不安と興奮が入り交じった顔でヒソヒソと噂話に花を咲かせている。
そんな物々しい空気の中を、エルクはいつもと変わらないのんびりとした足取りで歩いていた。
「ふわぁ……よく寝たなぁ。昨日は色々あって疲れちゃったよ」
大きなあくびを一つこぼし、エルクはぽりぽりと頭を掻く。
昨日、大観衆の前で「俺たちの国を作る」と宣言した張本人であるにも関わらず、その顔に気負いや焦りは微塵もなかった。
エルクが向かっているのは、魔術科従魔専攻の校舎の端にある「モンスターの国研究会」の部室だ。いつも通り、皆と顔を合わせてのんびりお茶でも飲もうと考えていた。
ガチャリ。
部室の扉を開けた瞬間、エルクは思わず目を瞬かせた。
「え? 何してるの?」
エルクの口から、素っ頓狂な声が漏れる。
部室の中は、まるで嵐が過ぎ去ったかのような、あるいはこれから嵐を迎えるかのような大騒ぎになっていた。
机の上には大量の書類や本が積み上げられ、クラウがそれを必死に分類している。メルは棚の奥から薬草の瓶や保存食を次々と引っ張り出し、エネがそれを丁寧に木箱に詰めている。ソウは武術科のジャージ姿で、大きめの備品を運び出しやすいように入り口付近に固めていた。
エルクの暢気な声を聞いた瞬間、作業をしていた四人の動きがピタリと止まり、全員の視線がエルクに突き刺さった。
代表してクラウが、額に浮かんだ汗を拭いながら声を張り上げる。
「何してるの、じゃないだろ! お前が昨日、明日から引っ越しの準備だって言ったんだろ!」
「えっ、そうだっけ?」
「言ったわよ! 皆の前で堂々とね!」
メルが腰に手を当てて、ジト目でエルクを睨む。
「あはは……完全に勢いで言っちゃったから、あんまり覚えてないや」
エルクは困ったように笑いながら後頭部を掻いた。昨日、王族や騎士団からの干渉を拒絶し、自分たちとモンスターの居場所を作るために建国を宣言した。その流れで確かに「明日から準備だ!」と言った気もする。
「お前の勢いでどれだけこっちが苦労してると思ってんだよ……。ほら、突っ立ってないで手伝ってくれ」
クラウがため息をつきながら、エルクに書類の束を押し付けた。
「うわっ、重い! これ何?」
「今までの研究資料と、魔物観察日誌、それに飼育記録だ。学園から借りてる備品と、俺たちの私物と、従魔用の道具も分けなきゃいけないんだぞ」
部室を見渡すと、確かに持っていくべき物は山ほどあった。
エネが申し訳なさそうに微笑む。
「薬草や予備の食料も、なるべく持っていきたいですからね。辺境に行くなら、最初は物資の調達も難しいと思いますし」
「それにしても、すごい量だね……。あ! そうだ!」
エルクは名案を思いついたとばかりにポンと手を叩いた。
「僕の空間魔法で、この荷物全部と皆を一気に目的地へ運んじゃえばいいんじゃない? それなら一瞬で引っ越し完了だよ!」
エルクがドヤ顔で提案したその時、エルクの頭の上にちょこんと乗っていたライ(プチスライムウィザード)が、ふるふると体を揺らした。
『エルクさん、それは却下です』
「えー、なんでさ、ライ」
『転移先の安全確認が全くできていない状態で、大量の荷物と人員を一度に送るのは危険すぎます。もし転移した直後に強力なモンスターの群れに囲まれたら、荷物を守りきれませんよ』
ライの冷静かつ理路整然とした指摘に、エルクは「うぐっ」と唸る。
「……確かに。荷物落としちゃったら大変だしね」
「そもそも」
腕組みをしたソウが、呆れたような、けれど楽しげな笑みを浮かべてエルクを見た。
「まだ行き先が決まってないわよ。どこに転移するつもりだったの?」
「あ……」
エルクは完全に言葉に詰まった。
国を作る、辺境に行く。そう宣言はしたものの、具体的な場所など一切決めていなかったのだ。
「行き先も決めずに引っ越し準備させてたのかよ……」
クラウが深い疲労を感じさせるため息を吐いた時だった。
「行き先なら、ワシに心当たりがあるぞい」
部室の扉が音もなく開き、立派な白髭を蓄えた老人が姿を現した。
王都武魔術学園の学園長であり、エルクにテイム魔法を教えた恩人でもあるジン爺だ。
「お爺ちゃん! 心当たりって?」
ジン爺はゆっくりと部室の中央の机に進み出ると、懐から古びた羊皮紙の巻物を取り出し、バサッと広げた。
それは、王国の現在の地図ではなく、ずっと昔に描かれた辺境の古地図だった。
「ここじゃ」
ジン爺のシワだらけの指が、地図の端にある山岳地帯の一角を指し示した。
「ここは……リザードマンとラミアが暮らし始めた山の、さらに奥ですか?」
エネが地図を覗き込みながら尋ねる。
「いかにも。かつて王国が辺境開拓のために築いた、古い砦の跡地じゃよ。周辺のモンスターが強すぎたことと、王都からの補給路の維持が困難になったせいで、とうの昔に放棄された場所じゃ」
クラウが顎に手を当てて考え込む。
「放棄された砦跡……。王国軍ですら維持できなかったってことは、かなり危険なんじゃないですか?」
「人間にとってはな。じゃが、お主らには関係なかろう? むしろ地形は険しく、人間の軍は入りづらい天然の要害じゃ。それに、水源があり、豊かな森が広がり、鉱石も採れる。古い城壁の基礎も残っておるから、一から開拓するよりはずっと楽じゃろうて」
ジン爺の言葉に、ソウの目が輝く。
「確かに、拠点化できれば防衛の面でも理想的ね」
「お爺ちゃん、ありがとう! じゃあ、そこに行こう!」
エルクが嬉しそうに言うと、ジン爺は真剣な表情でエルクを見据えた。
「よいか、エルク。ワシが王都で時間を稼いでやる。王城には、お主らは辺境の長期調査へ向かったとでも言っておくわい。じゃが、永遠には無理じゃ。王国はいずれ必ず干渉してくる。その間に、お主らの居場所を、誰も手出しできないような形にせい」
ジン爺の言葉には、学園長としての立場を超えた、孫のような存在を案じる響きがあった。
「分かってるよ。絶対に、皆がのんびり暮らせる場所を作るから」
エルクは力強く頷いた。
「よし、場所は決まったな。だがライが言った通り、いきなり全員で大移動するのは無謀だ」
クラウがリーダーらしく場をまとめる。
「まずは先遣隊を出して、拠点の安全確保と最低限の生活基盤を整えよう。後からイェール村の協力者や残りの荷物を運ぶ形がいい」
「賛成。じゃあ、誰が行く?」
メルの問いかけに、すぐさま意見がまとまる。
「先遣隊は、俺とエルク、メル、ソウ、エネ、それにメアだ」
クラウが指名したメアは、先日仲間になったばかりの魔眼のラミアだ。未来を視る彼女の力は、未知の土地を開拓する上で非常に頼もしい。
さらに、同行する従魔の選定が行われた。
「戦闘の主力としてウルとドラゴ、ライオ。制圧と防衛にスラとライ。上空からの偵察にグリフ。これは必須だね」
エルクが自身の従魔たちを挙げる。
「あとは、拠点作りの要になるウーゴ(ウッドゴーレム)と、物資の運搬と管理にダクト(プロダクトスライム)も連れて行こう。それから、アラーネとラネの姉妹がいれば、糸で仮設の住居や罠が作れるから大助かりだね」
「俺とメルの従魔、ベルとファンも連れて行く。スーちゃんもな」
「私のティス(マンティス)とバジちゃん(バジリスク)もお願いします!」
エネも意気込んで言う。
こうして、先遣隊のメンバーと同行する従魔たちが決定した。
・・・・・
翌朝。
学園の裏手にある、人目につかない森の中に、先遣隊の面々が集まっていた。
エルクはダクトに詰め込んだ大量の物資を確認し、ウルやドラゴたち従魔の様子を見る。皆、新しい場所へ向かうことに微かな興奮を覚えているようだった。
「準備はいいか、皆」
クラウの問いかけに、全員が力強く頷く。
その時、メアが手にした古地図をじっと見つめているのにエルクは気づいた。
魔眼を持つ彼女の瞳が、地図の一点を捉えて微かに揺れている。
「メア、どうしたの? その場所……未来が見えません、とか?」
エルクが首を傾げて尋ねると、メアは静かにエルクの方を向き、微笑んだ。
「危ないってこと?」
「いいえ、主様。そういうことではありません」
メアは地図から目を離し、これから向かう遥か彼方の空を見上げた。
「何も決まっていない、ということです。王国が決めた運命でも、誰かが敷いたレールでもない。あそこには、私たちがこれから創り上げる真っ白な未来があるだけです」
「そっか。それなら、安心だね」
エルクは心底嬉しそうに笑った。
誰かに押し付けられたルールではなく、自分たちで決める場所。
「じゃあ、行こうか! 僕たちの新しい場所へ!」
エルクが空間魔法を発動する。
眩い光が一行を包み込み、そして次の瞬間、彼らの姿は王都から完全に消え去った。
まだ名前すらない、モンスターと人間の新しい国の候補地を目指して。




