第74話 決勝戦・格の違い
前回のあらすじ
研究会メンバーとわいわい→エルク覚悟を決める→決勝戦へ
春の学園武術大会、個人戦。
波乱に次ぐ波乱を巻き起こしたこの大会も、ついに決勝戦の朝を迎えた。
闘技場をすり鉢状に囲む観客席は、立錐の余地もないほどの超満員となっていた。
それも当然だろう。決勝戦のカードは、武術科三年最強の天才剣士と、学園長推薦枠にして『単体で国を滅ぼす竜を従える規格外のテイマー』の激突なのだから。
観客たちは、恐怖と好奇心が入り混じった異様な熱気を発しながら、今か今かと試合の開始を待ち侘びていた。
一方、そんな外の喧騒とは裏腹に、選手控え室の空気は少しばかり抜けていた。
「よし! 今日は僕一人で出るよ〜」
エルクがのんびりとした声でそう宣言すると、周囲にいた研究会のメンバーたちは一斉に目を丸くした。
「……はぁ? あんた、一人で出るってどういうこと?」
ソウが眉間に皺を寄せて尋ねる。
エルクの足元では、出番を今か今かと待っていたスラが『えええーッ!? おいらはお留守番ッスか!?』とショックで平たく潰れていた。
「だって、スラが魔法を撃ったら目立っちゃうでしょ? それに、ドラゴを出したらみんな怖がっちゃうし。昨日のジン爺の話を聞いて反省したんだ。これ以上、僕の力とか従魔の存在をひけらかすのは良くないって」
エルクは腕を組み、「うんうん」と一人で納得するように頷いた。
「だから、今日は僕が一人で出て、適当に剣を避けながら自然に負けるのが一番平和なんだよ。テイマーが従魔を出さない時点で、『あ、今日のエルクは本気じゃないんだな』って相手も観客も察してくれて、丸く収まるはずだよね!」
「……本気で言ってるの、それ?」
ソウが頭を抱え、クラウも呆れたようにため息を吐いた。
「エルク。お前、相手が武術科最強のアレンだって分かってんのか? あいつの剣は、学園の教師すら凌駕するって言われてるんだぞ。従魔なしで生身のお前が、そう簡単に『自然に負ける』なんて器用な真似ができるわけ……」
「大丈夫大丈夫! あはは〜、いってきま〜す」
クラウの忠告を背中で聞き流し、エルクは一人でひらひらと手を振りながら闘技場へと続く通路を歩いていった。
残されたメンバーたちは、顔を見合わせた。
「……あのアホ。自分の身体能力の異常さを全く自覚してないわね」
「うん……。エルクくん、素早さだけで言ったらベルちゃんよりずっと速いもんね……」
ソウとメルが遠い目をしていると、エネが心配そうに呟いた。
「……アレンさん、心が折れなきゃいいんですけど……」
・・・・・
大歓声とどよめきが交差する中、闘技場の中央で二人の少年が対峙した。
一人は、武術科の制服を身に纏い、研ぎ澄まされた刃のような鋭い気を放つ三年生――アレン。
そしてもう一人は、従魔を一匹も連れず、武器すら持たずに、散歩にでも来たかのような気の抜けた立ち姿の一年生――エルク。
「……従魔はどうした」
アレンが低く、静かな声で問う。
「あはは〜、今日はお休みだよ。僕一人で十分かなって」
「……そうか」
エルクの言葉に、アレンの瞳がわずかに細められる。
アレンの目には、エルクのその態度が「自分など従魔を出すまでもない相手だ」という明確な挑発として映っていた。
観客席からも、困惑のざわめきが広がっている。
「おい、あのエルク……スライムも竜も連れてきてないぞ?」
「テイマーが従魔なしで、アレン様に勝てるわけがないだろう!」
「いや、あるいはあの体術だけでアレン様を圧倒する自信があるのか……?」
様々な憶測が飛び交う中、審判の教師が緊張した面持ちで右手を高く掲げた。
「これより、学園武術大会個人戦、決勝戦を開始する! 両者、構え!」
アレンが腰の長剣を抜き放ち、音もなく中段に構える。
対するエルクは、ダラリと両腕を下げたまま、ニコニコと微笑んでいた。
「……始め!!」
審判の振り下ろされた手と共に、アレンの姿が消えた。
縮地。極限まで鍛え抜かれた脚力と重心移動によって、十メートル以上あった距離を一瞬で『ゼロ』にする神速の踏み込み。
「シィッ!!」
短い呼気と共に放たれたのは、回避不能のタイミングで放たれる必殺の袈裟斬り。
並の生徒であれば、反応すらできずに吹き飛ばされているであろう一撃だった。
――しかし。
エルクは、ただ『半歩』だけ後ろに下がった。
それだけで、アレンの全力の一撃は、エルクの鼻先数ミリの空間を虚しく斬り裂く結果となった。
「……ッ!」
アレンは驚愕を顔には出さず、踏み込んだ勢いをそのまま回転力に変え、流れるような連撃へと移行する。
横薙ぎ、突き、逆袈裟。
銀の軌跡が闘技場に幾重もの網目を描き、エルクの身体を容赦なく切り刻まんとする。
だが、当たらない。
かすりもしない。
エルクは、まるで柳の枝が風に揺れるかのように、最小限の動きだけでアレンの剣を全て躱していた。
右へ、左へ、あるいは上体をわずかに反らすだけで。
アレンの神速の剣が、エルクにとってはまるで『スローモーション』のように見えているかのごとき、異常なまでの回避能力だった。
(うーん。アレン先輩、すごく速くてカッコいいんだけど……どうやって負けようかな)
対するエルクの脳内は、目の前の死闘とは完全に切り離された、どこまでも呑気なものであった。
(一回くらい剣に当たって吹き飛んだ方がいいかな? でも、本物の剣だし、痛いのは嫌だなあ。峰打ちみたいにしてくれるならいいけど、そんなにお願いできる空気じゃないし……)
ヒュンッ! と、エルクの頬の横を鋭い突きが通り過ぎる。
(よし、じゃあ剣を避けた直後に、自分で足をもつれさせて派手に転ぼう! それで頭を打ったフリをして気絶すれば、自然に負けられるよね。うん、我ながら完璧な作戦だ!)
エルクが頭の中で「自然な負け方」のシミュレーションを完成させ、ウンウンと頷いていた、その時だった。
「……ふざけるな」
ピタリと。
アレンの剣が止まり、彼が低く震える声を漏らした。
「えっ?」
エルクが首を傾げると、アレンは肩で激しく息をしながら、ギリッと奥歯を噛み締めていた。
その顔には、怒りでも、憎しみでもなく――深い『絶望』が刻まれていた。
「……貴様、俺との試合中に……別のことを考えているな?」
「ええっ!? そ、そんなことないよ! アレン先輩の剣、すごく速くて避けるのに必死で……」
「嘘をつくな!!」
アレンの悲痛な叫びが、闘技場に響き渡った。
「俺には分かる……! 貴様の目は、俺の剣の軌道はおろか、俺自身を全く見ていない! 貴様にとって、俺の全力の剣は……考え事をしながら捌ける程度というのか!!」
アレンの言葉に、観客席が静まり返った。
武術科最強の天才が、全力で攻め続けているのに、相手は一切反撃もせず、ただ上の空で考え事をしながら全てを避けていた。
それは、単なる強さの誇示よりも遥かに残酷な、絶対的な『格の違い』の証明だった。
(バレてるぅぅぅ!?)
エルクは内心で激しく動揺した。
自分では必死に相手の剣に集中しているフリをしていたつもりだったが、武の道を極めようとするアレンの研ぎ澄まされた直感は、エルクのわずかな視線のブレや呼吸の乱れのなさから、その「余裕」を完全に見抜いていたのだ。
「……俺は、この日のために全てを懸けてきた。武術の頂を極めるために、血を吐くような努力をしてきた……!」
アレンの手が、震えている。
「だが、貴様は……従魔さえ出さず、武器すら持たず、ただ片手間で俺の全てを否定した。これが……これが、理不尽という名の『本当の強さ』か……!!」
カラン、と。
アレンの手から長剣が滑り落ち、闘技場の石畳に虚しい音を立てた。
天才剣士のプライドは、エルクの底知れない異常な身体能力と、それに伴う無意識の「余裕」の前に、粉々に砕け散っていた。
「……俺の、負けだ」
アレンはそのままその場に膝をつき、両手で顔を覆った。
完全に心が折れてしまった人間の姿だった。
「えっ……? ちょ、ちょっと待ってよ! 僕、まだ転んでないし、負ける演技もしてないんだけど!?」
エルクが慌ててアレンに駆け寄ろうとするが、審判の教師が呆然としながらも、マニュアル通りに旗を振り下ろした。
「ア、アレン選手、降参! よって勝者……エルク・選手!!」
静まり返っていた闘技場が、一瞬の沈黙の後、爆発するような『どよめき』に包まれた。
「う、嘘だろ……? アレン様が、一撃も当てられずに自分から剣を捨てたぞ……!?」
「あのエルクって奴、テイマーじゃなかったのかよ!? 従魔がいなくても、武術科最強を絶望させるほどの体術を持ってるってことか!?」
「化け物だ……スライムも竜も囮で、あいつ自身が一番の化け物なんだ……!」
歓声は一切なかった。
あるのは、理解不能な存在に対する恐怖と、震え上がるような畏怖のざわめきだけだった。
「あはは……。どうしてこうなっちゃったのかなぁ〜……」
エルクは、膝をつくアレンの前で、一人取り残されたように頭を掻くことしかできなかった。
自然に負けるどころか、相手の心をへし折って完全無欠の勝利を収め、その上「肉弾戦でも最強」という新たな伝説を王都中に刻み込んでしまったのだ。
目立たずに終わるというエルクのささやかな目標は、あまりにも残酷な形で打ち砕かれたのであった。
・・・・・
そんな、騒然とする闘技場の熱狂と恐怖の渦とは別の場所。
闘技場の遥か上空を、一人見上げていた。
研究会のみんなと一緒にいる『魔眼』を持つメアであった。
彼女の特異な『魔眼』は、闘技場で無双するエルクの姿ではなく、その遥か上空――王都の空そのものに焦点を合わせていた。
「……あぁ」
メアの顔から、血の気が引いていく。
彼女の視界の中で、澄み切った青空に、まるでガラスにヒビが入るかのような、黒く淀んだ無数の『亀裂』が走るのが見えた。
それは、ただの天候の変化ではない。
世界の外側から、強引に空間をこじ開けようとする、圧倒的で邪悪な魔力の奔流。
「……来る」
メアが、絶望に満ちた声で小さく呟く。
エルクの優勝という異様な空気に包まれた王都に、彼女の予知した「空が裂ける時」が、いよいよ現実のものとして訪れようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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