第72話 ドラゴ解禁と静まり返る闘技場
前回のあらすじ
クラウ善戦→準々決勝勝利
学園武術大会、個人戦準決勝。
次々と番狂わせを起こし、底知れない実力を見せつけてきたエルクに対する観客の視線は、もはや「異端児」を見るものではなく、「得体の知れない化け物」を見るような畏怖に変わっていた。
そんな中、エルクは選手通路の入り口で、深々とため息を吐いていた。
「はぁ〜……ここまで来ちゃったよ。本当は一回戦で負けて、客席でお昼寝してるはずだったのにな〜」
「自業自得よ。あんたが変なところで手を抜こうとするから、余計に気味悪がられて目立っちゃったんでしょ」
ソウが呆れたように言いながら、手元の資料をペラペラと捲る。
「次の準決勝の相手は、魔術科三年のゼイン。実力そのものはサイラスほどじゃないけど、勝敗への執着が異常に強くて、勝つためなら手段を選ばないタイプよ」
「ふ〜ん。また物騒な人だね〜」
「気を付けなさいよ。個人戦のルール上、従魔は一匹しか出せない。エルクの戦い方を研究した上で、必ず何か仕掛けてくるわ」
ソウの忠告に、エルクは「わかったよ〜」と間延びした返事をした。
『兄貴ぃ! 次こそはおいらの出番ッスよね!? 闘技場ごとドッカンと吹き飛ばす準備はできてるッスよ!』
足元では、人間の深刻な事情など意に介さないスラが、一人ノリノリでポンポンと跳ね回っている。
エルクはしゃがみ込み、スラの頭(?)を優しく撫でた。
「スラは本当に元気だね〜。でも、闘技場を吹き飛ばしたら失格になっちゃうし、個人戦のルールもあるから、僕とスラだけでサクッと終わらせようね」
『サクッスね! 任せるッス!』
単純なスラを丸め込み、エルクは光の溢れる闘技場へと歩みを進めた。
この時、エルクはまだ「相手が何かしてきても、僕とスラだけで十分に対処できる」と本気で思っていたのだ。
・・・・・
闘技場の中央。
対戦相手のゼインは、血走った目でエルクを睨みつけていた。
「学園長推薦の天才気取りが……。サイラスやレオンのような甘い連中とは違う。俺の魔法で、貴様のそのふざけた余裕ごと消し炭にしてやる」
「あはは〜、お手柔らかにお願いしま〜す」
エルクがいつものように愛想笑いを浮かべた瞬間、審判の教師が大きく旗を振り下ろした。
「準決勝、開始!」
「死ねぇッ!! ――【炎槍連弾】!!」
ゼインが開始の合図と同時に、自身の杖から無数の炎の槍を放つ。
しかし、その攻撃がエルクたちに届くことはなかった。
「スラ、分裂」
『ぃよッス!』
スラの身体が瞬時に数十匹に分裂し、闘技場を縦横無尽に跳ね回りながら水弾を放つ。
無数の水と炎が空中で衝突し、大量の水蒸気が視界を奪う。
その煙幕を抜け、ゼインが次なる魔法を放とうとした瞬間――。
「(転移)」
ゼインの背後の空間が歪み、エルクが音もなく現れた。
「――っ!? またその空間魔法か!」
ゼインが慌てて振り返り、至近距離から魔法を放とうとするが、エルクは既にそこにはいなかった。再び「転移」で上空へと移動し、ゼインの死角を取り続ける。
試合の主導権は、完全にエルクとスラが握っていた。
スラの分裂による波状攻撃と魔法、そしてエルクの空間魔法による神出鬼没の位置取り。ゼインは防戦一方となり、着実に魔力と体力を削られていく。
「くそっ! なぜ当たらない! ちょこまかと逃げ回るな!!」
ゼインは苛立ちを露わにするが、エルクの表情には余裕があった。
このままいけば、あと数分でゼインは魔力切れを起こし、エルクの勝利で終わる。そう確信していた。
――しかし。
完全に追い込まれたゼインは、正攻法では絶対に勝てないと悟り、狂気的な手段に手を染めた。
「俺が、こんな平民のガキに負けるわけにはいかないんだ……! こうなったら、全て焼き尽くしてやる!!」
ゼインは懐から赤黒い液体が入った小瓶を取り出し、一気に飲み干した。
直後、彼の全身から不吉な魔力が噴き出し、瞳の焦点が完全に狂う。さらにゼインは、杖の石突で闘技場の石畳を力任せに突き刺した。
「なっ……あいつ、何をしている!?」
「闘技場の地下にある『魔力保護装置』に干渉しているのか!?」
観客席の教師陣が騒然となる。
ゼインは、禁止すれすれの魔力増幅薬を使用した上で、あろうことか闘技場そのものに組み込まれている「魔法ダメージを吸収する安全装置」の魔力回路に無理やり自身の魔力を流し込み、暴走させようとしていたのだ。
「消し飛べェェェッ!!」
ゼインの絶叫と共に、闘技場の石畳の隙間から、赤い閃光と超高熱の炎が間欠泉のように噴き出し始めた。
本来ならダメージを吸収するはずの床が、炎を増幅する巨大な兵器と化している。
その狙いはもはや、エルクとスラだけではなかった。暴走した魔力は無差別に膨張し、闘技場全体、ひいては周囲の結界にまで及ぼうとしている。
『兄貴ぃ! 床から熱いのがいっぱい出てきたッス! おいらが全部冷やしてやるッスよ!』
スラが分裂したまま闘技場を駆け回り、必死に冷却の魔法を放とうとする。
だが、闘技場の魔力保護装置そのものが暴走している以上、スラ一匹の魔法では完全に抑え込むことは不可能だった。
このままスラの冷却魔法とゼインの暴走炎が衝突を続ければ、やがて大爆発を引き起こし、結界を容易く打ち破ってしまう。
ミリミリッ、と。
観客席を守護する安全結界が、異常な熱量に耐えきれず悲鳴を上げ始めた。
「きゃあっ!?」
「結界が持たないぞ! 全員下がれ!!」
観客席の一部――クラウやソウたち『モンスターの国研究会』のメンバーが座っているエリアの目の前で、結界に亀裂が走る。
それを見た瞬間、エルクの中で何かが冷たく透き通った。
(……試合には勝てる。相手も自滅するだろうし。でも、その前に発生する余波で、結界が割れる)
エルクは一瞬だけ、迷った。
その結界の向こう側には、自分を信じて応援してくれている仲間たちがいる。
彼らが炎に巻き込まれて怪我をする光景など、エルクは絶対に見たくなかった。
「……もういい。試合は終わりだ」
エルクは、誰に聞こえるでもなく、静かに呟いた。
個人戦の体裁も、平穏な日常への未練も、全てを捨てる決断。
「ごめんね、スラ。ちょっと下がってて」
『えっ? 兄貴、どこ行くッスか?』
スラが不思議そうに見上げる中、エルクは空間魔法の魔力を極限まで練り上げる。
行き先は、学園の裏手。自身の従魔たちが待機している区画だ。
「空間魔法――『転移』」
エルクの身体がフッと闘技場から掻き消える。
そして次の瞬間――数秒も経たないうちに、闘技場の空中にエルクが戻ってきた。
彼一人だけではない。
その後ろから、エルクに連れられた『規格外の存在』が、悠然と闘技場に降り立った。
・・・・・
ドクン、と。
闘技場にいた全員の心臓が、得体の知れない恐怖で一瞬だけ止まったかのように錯覚した。
漆黒の硬質な鱗に覆われた、見上げるほどに巨大な体躯。
天を覆い隠すほどの雄大な双翼。
そして、深淵を覗き込むような、圧倒的で絶対的な強者の双眸。
最強のモンスターと呼ばれる竜種。その中でも別格の威圧感を放つ巨大な竜――ドラゴ。
『――――』
ドラゴが闘技場に降り立ち、その場にいるすべての者に視線を向けた。
ただそれだけで、闘技場の空気が凍りついた。
ドラゴが放つスキル【威圧】。規格外の竜が放つ本物のプレッシャーを前に、ゼインの動きが完全に硬直する。練り上げていた魔力が恐怖で乱れ、暴走していた闘技場の炎が不安定に揺らぎ始めた。
「あ……ぁ……」
ゼインは杖を取り落とし、ガタガタと全身を痙攣させている。
闘技場にいる数千人の観客も、教師陣も、王都の騎士団でさえも、目の前に現れた「絶対的な絶望の象徴」を前に、一言も発することができずに硬直していた。
「ドラゴ。あれ、危ないから潰してくれる?」
エルクの静かな声が、静寂の闘技場に響く。
ドラゴは主の命令に短く喉を鳴らすと、巨大な翼を大きく広げ、暴走する闘技場の床に向けて力強く羽ばたかせた。
ドゴォォォォォォッ!!
凄まじい轟音。
それは魔法ではない。ただの物理的な「一撃」――ドラゴの翼が引き起こした、台風すら児戯に等しい圧倒的な『暴風の衝撃波』であった。
物理的な超質量の風圧が、暴走していた炎を、魔力増幅の術式ごと跡形もなく吹き飛ばす。
闘技場全体を飲み込もうとしていた危険な魔力は、ドラゴのたった一度の羽ばたきによって、あまりにもあっけなくまとめて押し潰されてしまった。
「ヒッ……ァ、アァァァァッ!!」
目の前で起きた現実と、ドラゴが放つ威圧に耐えきれず、ゼインは白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
「そこ……まで! 勝者、エルク・選手……!」
審判の震える声が響き、勝敗そのものは一瞬で決着した。
ドラゴは役目を終え、心地よさそうにエルクに巨大な頭をすり寄せる。
エルクも「ありがとう、ドラゴ。助かったよ〜」と優しく撫で返した。
――しかし。
問題は、「試合に勝ったこと」ではない。
「…………」
観客席からは、歓声はおろか、拍手の一つすら起きない。
水を打ったような、いや、死に絶えた墓場のような完全なる『静寂』
エルクが、単体で国を滅ぼしかねないような巨大な竜を、「人前で堂々と連れてきたこと」そのものが、会場の空気を恐怖で塗り潰していた。
教師陣は絶句して身動き一つ取れず、王都騎士団の面々は、信じられないものを見る目で剣の柄に手をかけ、一触即発の殺気を放ち始めている。
彼らの目には、エルクがもはや「優秀な学生」ではなく、「王都を一瞬で滅ぼしかねない厄災の主」として映っていた。
観客席からは、恐怖混じりのどよめきが、波のように広がり始めている。
その異様な空気に、ようやくエルクも気がついた。
「……あれ〜?」
エルクが首を傾げて観客席を見上げる。
最前列では、ソウ、メル、エネ、クラウたち『モンスターの国研究会』のメンバーが、一斉に両手で顔を覆って天を仰いでいた。
さらに視線をずらすと、来賓席で試合を見ていた学園長――ジン爺はエルクから目を離さず、隣にいるダイキン先生に笑いかけながら言葉をかけている
「ほっほっほ! やってしもうたのぅ」
ジンからエルクの話を聞いてはいたダイキンではあるが、ここまで規格外だとは思っていなかったようで
「やってしまったどころの騒ぎじゃないですよね? これ、面倒なことになるじゃないですか」
エルクの顔から、さーっと血の気が引いていく。
やってしまった。それも、絶対に後戻りできない最悪の形で。
本気で青ざめ、滝のような冷や汗を流しながら立ち尽くすエルク。
もはや誰も、明日行われる個人戦の『決勝』を、ただの学生大会の試合として見ている者はいなかった。
読んでいただきありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。




