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辺境の村のモンスターテイマー  作者: スルメイカ
第八部・やめると言った者/宛先のない返事
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第219話 戸口の分身

 目を開けると窓から差す日はもう真上を過ぎていた。


 スラの本体は藁の上で平たく伸びていた。手前のソウが寝ていたところはもう空いている。奥の端ではラネの脚が二本だけ縁からはみ出していて、ときどき思い出したように宙を掻いた。


 戸口の敷居に丸いのが一つ載っていた。スラの分身だ。日向と日陰のちょうど境目に収まってこちらへ縁を向けている。


『起きたッスね。起きたなら、昼ッス』


「ずっとそこにいたの?」


『主が寝てからずっとッス。起こさねえで起きるまで置いとくって決めてたッス』


「置いとくって、何を」


『おいらの一個をッス』


 分身は縁をちょっとだけ持ち上げた。得意なときの形だった。


『ソウはさっき起きて井戸へ行ったッス。顔洗ったら薪小屋へ行くって言ってたッス』


「薪小屋?」


『クラウが帳を開けて待ってるッス。レオルも来てるッス。朝からずっと土間にしゃがんでるッス』


 エルクは藁から体を起こした。


「なんで分かるの。ここから見えないのに」


『薪小屋の屋根にも一個置いてあるッス。井戸の縁にも一個ッス。見たのを本体に戻すと、こっちの一個にも来るッス』


「つないでるんだ」


『夜は下に入らねえッスけど、昼の上なら全部つながるッス』


 分身はころりと転がってエルクの膝の前で止まった。


『レオル、帳の前にいるのに中を覗かねえッス。クラウが先に読むかって訊いたら、主が起きてからでよいって言ったッス』


「僕を待ってたの?」


『待ってたッス。だから起こさなかったッス。待ってる人がいるって知ったら、主はもう寝られねえッス』


 エルクは笑いかけて途中でやめた。たぶん当たっていた。


 奥の藁でラネの脚がまた宙を掻いた。本体が縁を薄く伸ばしてその脚を包みこんだ。


---


 薪小屋へ向かう道は板の前を通っている。


 板の上の縁にウーゴが木の指を当てていた。名の脇に並んだ欠きの一つを指の腹でゆっくり撫でている。ソウの名の脇だった。


「ソウノ、カケ。キノウ、ツカッタ」


「もう知ってるの?」


「スラ、イッタ。アサ、イチバン」


 ウーゴは欠きから指を離さなかった。下の縁には目もやらない。用件の欠きの脇にある浅いしるしにも触れなかった。


「こっちにも彫る? 使ったしるし」


「ホラナイ。アタマハ、マイニチ、ツカウ」


 ウーゴはもう一度だけ欠きを撫でて指を下ろした。木の上には何も残っていなかった。


---


 薪小屋の戸板はまだ新しい木の色をしていた。


 中ではクラウが割り台に帳を広げていた。脇には器の紙が一本丸めて置いてある。エネは自分の紙を膝に載せていた。メルは綴りを抱えて戸口の脇の柱にもたれていた。


 スラの言ったとおりレオルも来ていた。大きな頭だけを戸口から差し入れ、体は外の日向に残している。屋根の端からは小さな丸いのが一つ覗いていた。


「起きたか」


「うん。待たせちゃった?」


「待ったのは我の勝手だ」


 クラウが帳の向きを変えてエルクのほうへ押した。今日の頁に行が並んでいる。


「読むぞ」


 エルクは割り台の前にしゃがんだ。


「来た。二度目のやめる。聞いたと返した。頭だけ返った」


 筆の尻が最後の行の下を軽く叩いた。


「……通してはいない」


 エルクは帳の字を目でたどった。どの行もクラウのいつもの細い字だった。墨はもう乾いている。


 何か言おうとして口を閉じた。言えば言ったぶんだけ行の上に何かが乗る気がした。エルクは割り台の縁から手を下ろした。


 エネが膝の紙から顔を上げた。


「板に無い頭は五つ目です」


 クラウが帳を前の頁へ戻した。来た日を数える行に印が並んでいる。冬に一つと春に三つ。そのあとに一つ。最後の一つだけ墨が濃かった。


「聞いたと返したのは一つです」


 エネは自分の紙にも同じ数を書き入れた。筆を置いてから少しだけ付け足す。


「箱のことは、分からないほうに入れたままです」


「うん」


 エネはそれ以上言わなかった。


---


 戸口でレオルが首を起こした。


「我が今年の春に言うたのは、あれでなかったらどうする、であった」


 クラウの筆が止まった。


「覚えている。答えなかった」


「答えぬままであったな。それでよい」


 レオルの目は帳ではなく戸口の外の坂へ向いていた。


「来たのはあれではなかった。やめると言うた。こちらは通さぬと返した。そして今度は聞いたと返した」


 垂れた尾の先が外の土を一度払った。


「通さぬまま、聞いたと返した」


「そうだよ」


 エルクが言うとレオルはしばらく黙った。


「……半分だ」


 小屋の中で誰も動かなかった。


「何をやめたのかは、誰も知らぬ」


 メルの綴りの頁が風で一枚めくれた。メルの指がそれを元へ戻した。クラウは帳に何も足さなかった。


---


 戸口に影が差した。


 ケインだった。髪に藁が一本ついている。上の番を終えてから寝ていたらしい。目のまわりがまだ腫れぼったかった。


「……もう読んだんすか」


「今読んだとこ」


 ケインは戸口に立ったまま割り台の帳を覗いた。字を一つずつ追っていく目だった。


「返ってきたじゃねえっすか」


 しばらく黙ってから小さく付け足した。


「……また来るっすよ、これ」


「来たら、一行目の通りよ」


 声は戸口の外からした。ケインが脇へ寄るとソウが入ってきた。前髪の先がまだ濡れている。


 ケインの目がソウと帳を一度ずつ往復した。


「……一行目っすね」


「そうよ」


 ソウは戸口に近い壁へ寄りかかった。ケインはそれ以上は言わなかった。髪の藁に気づいて指でつまみ、戸口の外へ捨てた。


 メルが綴りを開いた。


「今夜の下はクラウとドレクです」


「順番だね」


「順番です。ゆうべのことで動かしてはいません」


 メルの指が行を一つ下りた。


「ラネは今夜も下です。今は寝ています」


 屋根の端の丸いのが縁を伸ばしてきた。


『寝てるッス。脚はもう半分起きてるッス』


 エルクは噴き出しそうになって口を押さえた。ケインが何かという顔でこちらを見た。


「なんでもない。ラネはちゃんと寝てるって」


「……そうっすか」


---


 日が峰へ傾きかけたころ、段の口へ向かう道でラネに追いつかれた。


「エルク! 今夜も私が下よ!」


「メルから聞いた」


「聞いたあとが知りたいのよ! 返ったあとの夜って、どんなだか!」


 エルクは足を止めてラネを見下ろした。


「寝た?」


「寝たわ! スラが寝かせたもの!」


「石の糸は?」


「ほどくのはやめたわ! 今夜もあれに張るもの!」


 後ろから芯を二本抱えたアラーネがついてきていた。


「寝てたのは本当よ~。脚は寝てなかったけどね~」


「脚はいいのよ!」


「張ったら私は上がるわよ~。あとはあの子の糸だものね~」


 姉妹は先に段の口のほうへ下りていった。


 エルクは門のほうへ回った。


 ドラゴは土手から下りてきて門の前で首を振っていた。昼に寝ていた草の切れ端がまだ鱗の間に挟まっている。


「昼はちゃんと寝た?」


『横になった。……寝たかどうかはスラに訊け』


 門柱のてっぺんから丸いのが一つ顔を出した。


『寝てたッス。いびきで土手の草がそよいでたッス』


『そよいではおらぬ』


『そよいでたッス。おいら上から見てたッス』


 ドラゴが首を下げて門柱の上へ鼻先を寄せ、ふっと吹いた。分身はころりと転げ落ちた。


『……今のはそよがせたのだ』


『ずるいッス!』


 分身は石組みの陰で平たくなって震えていた。笑っているのか怒っているのか形だけでは分からない。エルクは門柱に手をついて笑いをこらえた。


 ドラゴは坂の下へ首を向けた。


『朝のことを一つ言う。坂に見えたものは無い。……ただ』


「うん」


『坂の下の畑に朝の早い者が一人立っておった。溝の向こうの畑だ』


「夜の上の番をやめた人だね」


『鍬を振っておった。畝の端まで一度も手を止めなんだのだ』


「畑のほうが要るって言ってたからね」


『言うたのならそうであろう。我は鍬を見ただけだ』


 ドラゴは顎を石に載せた。


---


 段の口ではクラウとドレクが灯りを提げて待っていた。


 口の縁のウルが鼻先を上げた。


『名は』


 クラウが名を言った。ドレクが少し遅れて続いた。


『二。……糸の者と器の者は先に下りておる』


 ウルは鼻先を段の奥へ一度向けてから戻した。


『入れた』


 クラウがドレクのほうへ顔を向けた。


「入れたそうだ」


「おう」


 ドレクは灯りを持ち替えた。エルクが言い直す前にクラウが自分で言い直していた。


 羽音がして口の脇の杭にグリフが降りた。


『上は揃った。ゆうべと同じ顔だ』


「ありがと」


 クラウは頷いただけで段の一段目へ下りた。ドレクがそのあとに続く。灯りが二つ、段の暗がりへ沈んでいった。


---


 その夜エルクは自分の寝床で眠った。


 昼過ぎまで寝ていたせいか眠りは浅かった。目が覚めたとき窓の外はまだ暗かった。もう一度目を閉じても藁の匂いばかりが近い。エルクは起き上がって段の口へ歩いた。


 灯りの輪の中でウルが腹ばいになっていた。


『主は下りぬぞ』


「分かってる。座るだけ」


『座るだけなら数えぬ』


 エルクは待つ人の石に腰を下ろした。ほかの石は空いている。坂の上には上の番の灯りが小さく並んでいた。


『眠れなんだか』


「昼に寝すぎたみたい」


『ゆうべの続きを見に来たのであろう』


「……そうかも」


 ウルはそれ以上訊かなかった。耳だけが段の暗がりへ向いていた。


 東の峰の縁が少しずつ薄くなっていった。


---


 段の奥から跳ねる音が上がってきた。


 灯りの輪の中へ転がり出てきたのはライだった。体の前に丸めた紙を一本抱えている。クラウとドレクの足音はまだ聞こえなかった。


『主』


「早いね。二人は?」


『朝の刻は書きました。二人は灯りを落としてから上がります。私が先に来ました』


 ライはエルクの膝の前で止まった。紙を抱えたまましばらく動かなかった。


『……まだ、ぬる、ではありません』


 エルクは石から腰を浮かせた。


 ライが紙を少しだけほどいた。灯りの下に中夜のあたりの線が出てくる。ぬる、の跳ねがいつもの形で並んでいた。そこから少し間が空いている。


 その先に入っている跳ねは、毎晩そこにあった並びではなかった。


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