第200話 通さないと返す
半日は昼から切り出してある。
朝のうちに畝の列は端まで行った。坂を上がってきた者が鍬を小屋の壁へ立てかけて戻っていく。ソウは留め金を上から順に押していた。四つとも動かない。
「取ってあったのってこれ?」
「これよ。昼から日が傾くまでだわ」
「短いね」
「短いわ。半日より先は、畑の足を借りることになるの」
ウーゴは一枚目の下のほうへ指を三本並べて置いた。決まりの行が並んでいるところの下は、去年から白いままだ。
「ヨンギョウ、ハイル」
「四行入るんだ」
「ハイル。チイサクスレバ、ゴギョウ」
クラウは帳を石の上へ開いた。筆はまだ抜いていない。
「三行だ。増やさん」
「一行余っちゃうよ」
「余らせん」
「入るのに書かないの」
「入るから書くのは、入るから足すのと変わらん」
ウーゴは並べた指を横へ送っていって、途中で止めた。
「オオキク、カク」
「大きくするんだ」
「オオキクスレバ、ヨンギョウメハ、ハイラナイ」
「余りが消えるんだね」
「キエル。チイサイジハ、カガンデヨム」
ソウは板の前の土を靴の先で均した。
「屈まないで読めるほうがいいわ。屈む人はもともと読む気のある人だもの」
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筆を抜いてから、クラウは抜いた手を一度膝へ戻した。
「読み上げる。書くのはそのあとだ」
「先に言うんだ」
「口で通らん行は、板でも通らん」
エルクは板の前の土へしゃがんだ。日は板の上の縁までしか当たっていない。
「来たものは、通さなくても来たと書く」
「一つ目」
「通さないと決めたものにも、通さないと返す。黙って通さないのは、来なかったのと同じだ」
「……長いね」
「長い。短くすると返すところが落ちる」
「落ちたら」
「通さんだけが残る。冬じゅうやっておったことだ」
クラウは頁の端を押さえ直した。
「読めない者へ渡した決まりは、渡した者が読みに行く」
「三つ目だけこっちの話なんだ」
「こちらの話だ」
「向きが逆になってるね」
「頭の二つは受け取る側だ。終いの一つは渡す側だ」
ソウが二枚目のほうから戻ってきた。
「三つ目がいちばん重いわね」
「重いの?」
「上の二つは来てから動くのよ。三つ目はこっちから動くわ」
「動かなかったら」
「動くって書いてある板だけが残るわ」
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薪を背負った男が坂から上がってきて、板の三歩手前で荷を下ろした。
「四つ目は要らねえのか」
「要らん」
「返して向こうが分からなかったらどうすんだ。分かるまで返すって書いときゃいい」
「四行目が要るようになった時は、たいてい三行目が守れておらん時だ」
「そりゃ去年も聞いたぞ」
「先に、守れておらんと書いた。足すのはそれからだ」
「……書いたのか」
「書いた。読みたければ写しにある」
男は荷を背負い直して坂の上へ行った。板の前の土に足の形が二つ増えた。
ケインは杭の束を肩から落とすように下ろした。手は縄から離さない。
「通さねえって返したら、向こうはこっちが居ると分かるっすよね」
「分かる」
「今まで黙ってたから、分かんなかったっすよね」
「分からんかった」
「分かってて書くんすか」
「書く」
ケインは縄を結び直した。結び目はもう固くなっている。
「おれは分かってねえっす」
「そうか」
「分かってねえって書いといてください」
「書く」
「ほんとに書くんすね」
「従う前に言うた、と入れる。従ったぶんとは並べん」
エルクは束の縄へ指を掛けた。
「ケインが分かってないって言ってくれてるあいだは、まだ大丈夫な気がするよ」
「気がするだけっすよ」
「うん。気がするだけだね」
「おれ明日も同じこと言うっすからね」
「言ってよ」
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柱のてっぺんで羽の畳まれる音がした。
グリフは板の真上まで来て、そこから動かずにいる。エルクは指を三本立てた。立てたまま自分で見ている。
「去年は三つだったね」
『三つだ。俺が一つ持って行った』
「欄の下と柱と空だったよね」
『空は俺だ』
エルクは立てた指を二本折った。
「……今年は一つでいいんだ」
『一つか』
「一つ。あの人に渡すんだもん。三つ置いても、届くところは一つだよ」
グリフは首を一度だけ下げた。
『向こうは字だ。……これは字ではない。持って行かん』
「運べないんだよね」
『運べぬ。俺の口から出れば、それは俺の音になる』
段の下からウーゴが上がってきた。彫る道具は帯に挿していない。
「柱にも彫るのかと思ったよ」
「オトハ、ホレナイ」
「彫れないね」
「ホレバ、ジニナル」
「字になっちゃうんだ」
「ジハ、ヨメナイモノニハ、ナイ」
「冬は彫ったよね」
「ホッタ。アレハ、ヨメルモノノブンダ」
「今日は彫らないんだ」
「ホラナイ。……ホリタイガ、ホラナイ」
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書くのは日の高いうちだと決めてあった。
クラウは字の高さをウーゴの指二本ぶんに取った。一行目を入れ終えたところで手を止めて、板から一歩下がる。
「読めるか」
「読めるよ」
「そこからだ。近くで読めても意味が無い」
「ソウは」
「読めるわ。畑からは無理ね」
「畑から読む行ではない」
二行目は長かった。終いの一字が縁へ寄って、寄ったぶんだけ行が下へ曲がっている。
「曲がってるよ」
「曲がっておる」
「書き直す?」
「直さん。直せば、そこだけ墨が新しくなる」
「そのままにするんだ」
「そのままだ。曲がっておるのも、その日に書いたということだ」
三行目を入れ終えて、クラウは筆を硯の縁へ置いた。白いところは残っていない。
帳の後ろのほうを繰って、冬に綴じた紙を一枚抜く。
「一つ目は今日から使える。だが、冬のぶんが一つ残っておる」
「板に無い印のやつだね」
「分からんと入れてある。来た、とは入れておらん」
「書き足すの」
「足さん。あの日の行はあの日のものだ」
「じゃあどうするの」
「今日の行へ入れる。冬のぶんを数え落としておったとな」
「怒られそうだね」
「怒るやつがおれば読んだということだ」
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ライは紙を二枚持ってきて、板の下の縁へ沿わせて置いた。
縁の上の側には去年の欠きが並んでいる。名前の脇に一つずつだ。下の側はまだ木のままだった。
『下の縁はまだ一つです』
「返さないのやつだね」
『それだけです。今日で三つになります』
「上のと間違えない?」
『上は名の脇にあります。下には脇に名がありません』
「指で辿るんだ」
『辿ります。名を越えたところから下です』
ウーゴが下の縁へ欠きを入れはじめた。深さは指の腹で測っている。
「ミッツ」
「三つだね」
『通さない、が短いのを二つと長いのが一つです』
「やめてよいのほうは」
『長いのを三つです』
「返さないと似てない?」
『終いだけが違います。短いのが三つと、短いのが二つに長いのが一つです』
「暗いところで分かるかな」
『終いは長さが変わります。長さなら冷えても残ります』
「強く打つのは駄目だったもんね」
『駄目です。冷えると先に手のほうが鈍ります』
ウーゴは三つとも入れ終えて順に押さえた。
「フカサ、オナジ」
『同じにしてもらいました。深いほうが大事だと読まれますので』
ライは紙を縁から離した。
『板が持ちました』
「これで打てるの」
『ここからは打てます』
「昨日までは打てなかったんだよね」
『打てませんでした。今日からです』
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ソウは二枚目の前へ回った。留め金の下の白いところは、春に入ってから一度も減っていない。
「二枚目じゃないのね」
「二枚目はやめた者の板だ。これは受け取る側の話だ」
「こっちのほうが空いてるわ」
「空いておるのと、そこへ入れるのは別だ」
「入れたらどうなるの」
「やめた者の下へ受け取り方が並ぶ。読んだやつは、やめた者の決まりだと思う」
ソウは白いところへ指の背を触れさせてすぐ引いた。
「三つのままね」
「三つのままだ」
坂のほうからレオルが来て、板の二歩手前で止まった。読み上げはとうに終わっている。
「今日は言わぬ」
「反対しないの?」
「我の行はもう入っておる」
「同じことは二回言わないんだね」
「二度言えば二つ数えられる。我の反対は一つだ」
「一つなんだ」
「一つで足りる。……足りておらぬのは、ほかのところだ」
レオルは三行を上から下まで読んでから、二枚目の白いところを長く見ていた。
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戸板は薪小屋の脇へ出したままだ。
ダクトは四枚を並べ直して、端から順に表を上にした。ライは膝を折って終いの行へ指を置いている。
「終いが変わりましたな」
『変わりました。またぐ字を選び直します』
「どこで切りますかな」
『渡した者が、まで表です。読みに行く、を裏の頭にします』
「途中ですぞ」
『途中です。終いまで表へ入れますと、裏は開きません』
ダクトは一枚を裏返して裏の頭の空きを目で測った。
「四枚とも書き直しますぞ」
「二枚でよくない?」
「よくありませんな。形の違うものが混じりますと、あとから来た者はどちらかを間違いだと思いますからな」
「古いのは」
「持って上がりますぞ。置いてまいりますとそちらを読む者が出ますからな」
ライは紙の幅を四枚とも測ってから、切る字を一枚ずつ変えた。
「面倒だね」
『面倒です。揃えるほうを選ぶと読ませたい行のほうが動きます』
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日が傾いて坂の下の水の筋が二本とも影へ入った。
下の一枚を替えに行くのはエルクとダクトになった。段の口の石の上でウルが待っている。首は坂のほうを向いたままだ。
『下りるのは二だ』
「数が先なんだ」
『数は目で足りる。……名は』
エルクが名を言った。ダクトは写しの束を抱え直してから自分の名を言った。
『入れた』
「読み上げのとき上にいたよね」
『おった』
「聞いてたんだ」
『聞いた。読んではおらぬ』
「同じじゃないの」
『同じではない。我は字を数えぬ』
「じゃあどっちで数えとくの」
『聞いた者に入れておけ。聞いた者と読んだ者を一つにすると、読める者の数が増える』
「増えると困る?」
『困る。読める者が多いほど、渡したと思う者が増える』
段を下りると柱の札が先に灯りへ入った。冬に彫ったままで新しい行はどこにも入っていない。ダクトは替えた写しを紐で吊るして、紙の下の端が石へ触れていないのを二度確かめた。
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畑の縁は日が落ちると先に暗くなる。
メルは綴りを閉じて、閉じた上へ手を置いた。
「明日です」
「明日?」
「明日は畑が早く終わります」
「朝にならないと分かんないって言ってたよね」
「始めは分かりません。終いは分かります」
「終い?」
「残っているのは畝の終いだけです。長さが数えられます」
「数えられたら言えるんだ」
「言えます。数えられない日は言いません」
戸を閉めながらソウが聞いていた。
「二人ぶんは前の日から寝かせるのよ」
「今日からだね」
「今日からよ。スラのところは空けてあるわ」
戸口の灯りが動いて、明かりの輪が外へ出た。ドレクが受け取ってそのまま溝のほうへ歩いていく。
歩きながら片手で荷札を抜いて向きを直し、帯の外へ挿し直した。切り欠きのほうが外を向く。
暗くなっても指で分かる向きだ。灯りは溝の縁づたいに下りていってそこから先は止まらなかった。




