↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
辺境の村のモンスターテイマー  作者: スルメイカ
第七部・読めない者/断り方のない決まり編
203/232

第199話 誰が読みに行くか

 段は上から三つ目までが濡れていた。


 雪解けの水が石の継ぎ目を伝って下りている。エルクは乾いているほうへ足を置いてから口の手前で止まった。ドレクは濡れていない段へ座って荷縄をほどいている。桶は昨夜と同じところへ伏せてあった。


「昨日のやつ、本気だよね」


「本気だ」


「勢いかと思った」


「勢いじゃねえ」


 ドレクは縄を膝の上でそろえた。端の結び目だけをほどかずに残す。


「読める人が持ってったほうがよくない?」


「駄目だ」


「なんで」


「おれが読めねえからだよ」


 エルクは段の縁へしゃがんだ。濡れた石は指を置いても冷たいだけで滑らない。


「読めねえやつが持ってきゃ、読めねえまま渡せる」


「読めないままって」


「読める奴が持ってくとな。読める形にして渡しちまうだろ」


「形にしたらだめなの」


「だめじゃねえ。そのぶんはこっちの形だ。向こうのじゃねえ」


 言いかけたことは声にならなかった。エルクはそのまま段の下のほうへ目をやっていた。


「僕が打ったら、たぶん読んでから打つよ」


「打つだろうな」


「打つと思う」


「やめとけ」


「やめとくよ」


 ドレクは縄を肩へ回して立ち上がった。桶はそのまま置いていった。


---


 段の内側に黒銀が伏せていた。


 前脚は口の外の日のほうへ伸ばしてある。エルクは上の縁に立ったまま声をかけた。


『今朝は誰も通っておらぬ』


「下りないよ」


『そうか』


「行きたいとは思ったけどね」


『思うたか』


「思った。それで、やめた」


 ウルは前脚を日の当たらないところまで引いた。爪の跡が石の粉の上に三筋だけ残る。


『よい。……我は止めぬつもりでおった』


「止めてくれないんだ」


『止めれば、主は次も待つ』


「待つと駄目なの」


『待たれる者は自分で引かぬ。引くのは自分で決めた者だけだ』


「厳しいこと言うね」


『我は数える者だ。引いた日も数に入る』


---


 当番小屋の戸の前は朝のうちだけ土がやわらかい。


 ソウは戸の脇の杭へ縄を掛け直していた。掛けたぶんから順に長さをそろえていく。エルクは戸の枠へ肩をあずけて立った。


「ドレクだって」


「聞いたわ」


「反対?」


「反対じゃないわ。一人で下りるのは無しよ」


「二人にするんだ」


「二人にするの。決めたのはこっちでしょ」


「相手は」


「あんたじゃないわ」


「まだ何も言ってないよ」


「顔に出てるのよ」


 ソウは残りを杭へ掛けきってから、手の甲で額を押さえた。


「下には読める者が要るの」


「ライのこと?」


「ライの言うことが分かる人よ。器の数はライが持つでしょ。持ったぶんを受け取る人がいないと、下で止まるわ」


「僕かクラウだね」


「クラウよ」


「なんで」


「下で二人とも打ちたくなったら、止める人がいないもの」


 エルクは戸の枠から肩を離した。


「僕、打ちたくなるかな」


「なるわよ」


「そっか」


「なるから外すの。嫌いだから外すんじゃないわ」


---


 畝の端は昨日より一列ぶん先へ延びていた。


 綴りは畦の上に開いたままだ。メルは風で捲れないよう端を石で押さえている。エルクは列の切れたところから畦へ上がった。


「日はいつにするの」


「決めません」


「決めないんだ」


「決めた日にすると、その日に合わせて無理をする人が出ます」


「じゃあどうやるの」


「その日の畑で決めます」


「畑が決めるんだ」


「畑が早く終わった日の夕方に言います。朝には分かりません」


「短いね」


「短いです。長く取ると、取った日から数える人が出ます」


 メルは押さえていた石をずらして、頁を一枚めくった。名の入っている側へ指を移す。


「下は二人です。上は減らしません」


「上を減らすと」


「上が空きます。上が空くと、下の人が上がってから立つ人がいません」


「三回のうちの一回は使うの?」


「使いません」


「使わないんだ」


「これは交代ではありません。渡しに行くだけです。三回は取ってあります」


「取ったままなんだ」


「取ったままです。使う日が別に来ます」


---


 溝の底は上のほうだけ砂が溜まっている。


 ケインは木の板で砂をすくって脇の窪みへ移していた。エルクは溝をまたいだ向こう側へしゃがんだ。


「おれは上っす」


「下じゃないんだ」


「上っす。上が空いたら、下の人が上がって来られねえっすからね」


「去年から同じこと言ってるね」


「同じっす。去年言って通ったんすから、今年も同じっす」


 ケインは板を土へ倒して、柄になっているところを足で押さえた。


「おれ、まだ反対っすよ」


「知ってるよ」


「反対のまま上に立つっす」


「それでいいの」


「よくねえっす。でも穴あけるほうがもっとよくねえっす」


「納得はしてないんだ」


「してねえっす。してねえまま立つっす」


「じゃあ、そう言っといてよ」


「言うっす。おれ、言うのだけは得意っす」


---


 段を三歩下りると空気の匂いが変わる。


 ウルは内側の石で顔を上げた。エルクの後ろにクラウがいて、その後ろにドレクが立っている。


『名は』


「名前だって」


 三人とも名を言った。ウルは聞き終えてから顎を前脚へ戻す。


『三だ』


「今日は当番じゃないよ」


『分けて持つ。下りた三と、立った零だ』


「零のほうも持つんだね」


『持つ。立っておらぬ日は立っておらぬと分かるようにしておく』


 灯りはクラウが提げた。ドレクは手ぶらのまま先に下りていった。


---


 器の台の脚は下の三本だけ新しい。


 ダクトは楔を一つ抜いて、口で長さを確かめてから打ち直していた。エルクは台の向こう側へ回って高さを覗く。ライは器の縁へ指を添えたまま動かずにいた。


「水平、狂ってた?」


「狂っておりませんぞ。踏まれておりますな」


「踏まれるんだ」


「人が増えますと足が増えますからな。増えた足のぶんだけ噛ませ直しますぞ」


「毎回やってるの」


「毎回ですな。減った日はやりませんぞ」


 ライは器から指を離して壁のほうへ顔を向けた。


『打つ人は壁の前です。器の前とは離します』


「離して聞こえるの」


『聞こえます。返りは器が先に拾います。耳より早いです』


 クラウはドレクのほうへ体を向けた。


「器が先だそうだ。お前の耳より早い」


「早くていい。おれは打つだけだ」


「打つだけだ」


「返ってきたのは誰が言うんだ」


「俺が言う」


 ドレクは壁の前の床を靴の先で二度なぞった。窪んでいるところは夜のうちに踏み固められている。


「あんたが打ちたくなったらどうする」


「打たん」


「言い切るのか」


「言い切る。打つ者と読む者は分ける」


「分けねえと」


「読んだ通りに打つ。返ってきた形へこちらが合わせにいく」


 ドレクは壁から一歩離れた。


「合わせたら向こうのが消えるのか」


「消えはせん。こちらのが混じる」


「混じったら分かんねえな」


「分からん。だから分ける」


 ライは器の縁へ指を戻した。エルクは壁の低いところを見ていた。指で押した跡はどこにも付いていない。


---


 丸太の足は六本のうち二本だけ据え直してあった。


 レオルは残りの一本を肩で押さえている。ドレクが下から楔を噛ませ、噛ませ終わってから二人で手を離した。エルクは積んである丸太の上に腰かけて見ていた。


「読めぬ者に持たせるのか」


「持たせるよ」


「読めぬままだぞ」


「読めねえほうがいいんだよ」


 ドレクが言ったきり誰も続けなかった。レオルは肩の土を払って、払った手をそのまま下ろした。


「……我は反対したと書いてある。それでよい」


「取り消さないんだ」


「取り消さぬ」


「取り消してもいいんだよ」


「取り消せば、次に反対する者が困る」


「困るの」


「一度取り消した者がおれば、反対は取り消すものになる」


 レオルは次の丸太のほうへ歩いていった。


 羽音が坂のほうから下りてきて、丸太の山の端へグリフが降りた。埃が横へ流れて、エルクは袖で顔をかばった。


『坂の下まで見てきた。誰も来ておらん』


「零だね」


『零だ。……上へ置いてくるのをやめた』


「置いてくるって」


『これまでは上の欄に書けばそれで済んでおった。今日は下まで持ってきた』


「わざわざ降りたんだ」


『降りた。持ってこねば、ここの者は誰も来ぬことを知らぬままだ』


「上まで見に行かないとね」


『行かぬ者がおる。行けぬ者もおる。……ならば俺が下りればよい』


---


 入口の外の地面は昼のうちに乾く。


 ドラゴは乾いたところへ尾だけを伸ばしていた。胴は窪みの影に入ったままだ。エルクは段の三つ目の踊り場まで下りて、そこで止まった。


『打つぞ』


「並びじゃないよね」


『並びではない。一つだけだ』


 尾が土を打った。音は段の壁へ一度当たってから下りてきた。


 下からライが上がってきて、踊り場の手前で止まる。


『拾いました』


「紙には」


『書きません。並びではありませんので、棚には入りません』


「じゃあ届いたってことだけ分かるんだ」


『届いたことだけ分かります』


 エルクは段を上がってドラゴの脇へ出た。


「届いてたって」


『ならばここでよい』


「もっと近くなくていいの」


『近いと上に響く。上に響けば上の者が数える』


「数えると困る?」


『上の数と下の数が同じ形になるのだ。同じ形は後で分けられぬ』


「離れてても遅れないの」


『遅れる。我は遅いのだ』


「合わせるよ」


『合わせよ。場所はここだ』


 ドラゴは尾を引いて窪みの影へ戻した。土に残った跡は一つだけだった。


---


 当番小屋の土間は昼でも冷える。


 敷き藁の上にスラの本体が広がっている。分身は戸口に一つ。エルクは敷居をまたいでしゃがんだ。


『寝かせる相手が決まったッスね』


「聞いたんだ」


『聞いてねえッス。二人ぶん場所を空けろって言われたッスよ』


「誰に」


『ソウッス。前の日の昼だって言われたッス』


「当日じゃないの」


『当日じゃ遅いッス』


「遅いんだ」


『夜に立つ人はその前の日から始まってるッス。当日だけ寝かせても足りねえッス』


「知らなかったよ」


『おいらも去年は知らなかったッス。寝てもらった人に聞いたッス』


「聞いたんだ」


『聞いたッス。寝かせる側は寝てねえッスからね。分かんねえッスよ』


 本体の縁が敷き藁の端まで伸びて、それから戻った。


『二人とも寝るとは限らねえッスけどね』


「寝ないかな」


『ドレクは寝ねえッス。横にはなるッス』


「横になるだけでもいいの」


『いいッス。横にならねえよりはいいッス』


---


 水場の縁の石は日が落ちてもしばらく温い。


 クラウは帳を膝へ載せて開いた。頁の端は下の湿りを吸って少し波を打っている。エルクは伏せた桶の上へ腰を下ろした。


「今日決まったの、いくつ?」


「四つだ」


「言ってみて」


「下りる二人。器の前。外の音。上に残る者」


「五つじゃないの」


「上に残る者は決めておらん。ケインが自分で言うただけだ」


「決めたことになるでしょ」


「ならん。言うたことになる」


「厳しいね」


「言うたぶんは書く。決めたぶんとは別の行だ」


 クラウは頁を手のひらで押さえた。押さえたところから先はまだ白い。


「日は」


「入っておらん。畑が出す」


「並びは」


「載せておらん」


「載せないと打てないんだよね」


「打てん」


「ライも言ってたよ。板が持ってからだって」


「そうだ。載せるには行が要る」


「行って、板の?」


「板だ。載せる場所を先に作らねばならん」


 エルクは踵で桶の縁を軽く鳴らした。


「明後日の半日、あるよね」


「ある。ソウが取ってある」


「それ、並びを載せるのに使うんだ」


「使わん」


「使わないの」


「先に足す三行のほうだ」


「三行って、こないだのやつ?」


「守れておらんと書いたやつだ。あれを書かんうちは、並びの場所は空かん」


「順番があるんだ」


「ある。並びから載せれば、守れておらんところの上に並びが乗る」


「乗ったら?」


「乗ったぶんは見えなくなる」


 クラウは頁の端をそろえて帳を膝から下ろした。表紙の上を親指で三度叩く。三度目のところで指が止まった。


「明後日だ」


「間に合う?」


「三行だ」


 水場の下の道をドレクが下りていく。途中で足を止めて、石段のほうを一度だけ振り返った。振り返ったまま、しばらく動かなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。