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辺境の村のモンスターテイマー  作者: スルメイカ
第七部・読めない者/断り方のない決まり編
202/232

第198話 やめると打つ形

 ドレクは桶を提げたままだった。


 灯りは板の下の土へ直に置いてある。二枚目の字は夜には出てこない。木の色が一枚ぶん濃いだけだ。


「読めねえって言ってんだろ」


 返す言葉は出てこなかった。


 ソウは灯りを動かさない。ドレクも動かない。エルクは指の腹で木目を一度だけなぞってから手を下ろした。


「……ごめん」


「謝られても読めねえよ」


「うん」


 エルクは板から一歩だけ離れた。


「渡してないね」


「渡してねえな」


「書いたら渡したことになると思ってたよ。……僕、読めるからさ」


 ドレクは桶を持ち替えた。水の面は揺れなかった。


「おれが持ってんのは聞いたぶんだけだ。聞いてねえところは今日もおれのとこには来てねえ」


「来てないんだ」


「来てねえ」


「そっか」


 板の前の土は昼のあいだに踏み固められている。足の形がいくつも残っていた。


「字が読めないなら、字じゃないので渡せばいいよね」


「音か」


「音。……じゃあ、打つしかないんだ」


 ソウが灯りを持ち上げた。光は板の上の縁まで届いてすぐ戻った。


「言うだけならただよ」


「ただじゃないの」


「打つとなると別だわ。板に載っていないものは打てないでしょ」


「載せる形から作るんだね」


「作るのよ。ライのところはまだ起きてるわ」


---


 ライの棚は小屋の奥の暗いところにある。


 箱は三つとも布の上だ。左は今夜も弱く光っている。真ん中は光らない。ライは棚の下の平らな板へ紙を伸ばして、細い線を二本引き終えたところだった。


「ねえ。足せるの」


『足せます』


「十で終わりじゃなかったっけ」


『頭が十です。頭は増やせません』


「じゃあ足せないでしょ」


『用件は板に載せれば足せます。返さない、を作ったときと同じです』


「混ざらないの」


『頭の位置と用件の位置は違います。同じ形でも混ざりません』


 エルクは膝をついて紙の線へ顔を寄せた。線の右側はまだ何も入っていない。


「どんな形にするの」


『長いのを三つです』


「もう考えてたんだ」


『今決めました』


「早いよ」


『返さない、が短いのを三つだからです。ひっくり返しただけです』


「わざと似せたんだ」


『似せました。別の形にすると、あちらは二つ覚えることになります』


「一つで済むんだ」


『一つで済みます。長いか短いかだけです。頭は一日で覚えた相手です』


 ライは筆を置いて、線の右の空きへ指を置いた。


『ここが困ったところです』


「困るんだ」


『こちらが打てば、やめてよい、です。あちらが打てば、やめる、です』


「音は同じなんだよね」


『同じ音です。打つ側が変われば、意味は変わります。私はそう書きます』


「書くんだ」


『書きます。どちらか一つだと思って読むと必ず取り違えます』


「取り違えたら、どうなるの」


『こちらがやめてよいと打ったつもりで、あちらがやめると打ったことになります。逆もあります』


「こわいね」


『こわいです。ですが二つに分ければ、あちらの覚えるものが増えます。増えたぶんは間違えます』


「どっちも間違えるんだ」


『どちらも間違えます。間違えが少なく済むほうを選びました』


「今日は打たないの」


『今日は決めるところまでです。打てるのは板が持ってからです』


「守るんだね」


『守ります。先に打てば、次に迷うのは私ではありません。打つ人です』


---


 小屋を出ると風が止まっていた。


 物置の角を黒銀が回ってくるところだった。外周のひと回りの途中だ。エルクは横に並んで二歩だけ一緒に歩いた。


『渡す前に、受け取れるか決めておけ』


「聞いてたの」


『聞いておらぬ。同じ形ならそうなる』


「返ってくるってこと」


『返る日があるということだ。返った日に受け取れぬなら渡すな』


「受け取るってどうすればいいの」


『知らぬ。決めるのは我ではない』


「決めとくよ」


『決めておけ。決めておらぬものは来た日に決めることになる』


 黒銀は歩調を変えずに坂のほうへ抜けていった。


---


 朝の畑は縁のところだけまだ固い。


 メルは綴りを腕に載せて開いていた。開いてあるのは人の名の並んでいるほうだ。エルクは畦の上へ乗って、開いているほうを覗いた。


「春は三回出せます」


「三回」


「冬は二回でした。一回増えます」


「増えたんだ」


「出せますが、出す人が畑にいます」


「畑の人を呼ぶんだ」


「呼びます。一回出すと、その日の畑は半分で止まります。翌日の夜もその人たちは立てません」


「三回ともそうなるの」


「三回ともです。出せる数と、出せる人は別です」


 列の前が動いて、鍬の柄が肩の上でそろった。


「ねえ。三回って、いつ出すか決まってるの」


「決まっていません。こちらが決める日なら組めます」


「決まってない日は」


「組めません。その日に畑にいる人を、その日のうちに抜くことになります」


「抜いたら」


「抜けたぶんは、次に人の空く日まで空いたままです」


「……やめるって言われる日って、こっちが決める日じゃないよね」


「違います」


「じゃあ三回あっても、その日に出せるとは限らないんだ」


「限りません。合う日に来れば出せます」


「半日のやつは」


「明日のままです。畑が半分で終わりますので」


「何に使うかは決まってないよね」


「決まっていません。取ってあるだけです」


「取っといてよかったね」


「まだ分かりません。使った日に分かります」


---


 杭は坂の下から順に打ってある。


 ケインは束をほどいて次の一本を立てた。ソウは縄の端を持って待っている。


「やめられたら終わりなんすよね」


「終わりって、あっちの持ち場が」


「そうっす。一回空いたら戻せねえって去年聞いたっすよ」


「誰から」


「メルっす。冬の前っす」


 ソウは縄を短く持ち直した。


「終わるわ」


「ほらっす」


「終わるけど、やめるって言えないまま細るのは、もう見たわ」


「細るって、どっちのことっすか」


「どっちもよ」


 ケインは槌の頭を土へ下ろした。


「おれ、止めてるつもりなんすけどね」


「止めてるわよ」


「止まってねえっす」


「止まってないわね。……あんたが間違ってたら、とっくに止まってるわ」


「褒められてる気がしねえっす」


 エルクは打ち終わった杭の列の途中に立ったままでいた。


「ケインは打たないほうがいいって思ってるんだよね」


「思ってるっす」


「僕もそれ、消せてないよ」


「消せてねえのに打つんすか」


「打つよ。……消えないまま打つんだと思う」


「そういうの、おれいちばん困るっす」


---


 当番小屋の角の糸は張り替えたばかりだった。


 ラネは結び目を口の中で数えている。アラーネは柱の裏で根元のほうを押さえていた。


「二本とも私は今日触っていないのよ~」


「私がみたの! 二本ともよ!」


「見たわね~。書いたかしら~」


「書いたわ! 右のは私の糸よ!」


 ミナは小屋の壁へ背をつけて座っていた。今日は聞き手が来ていない。


「一人なんだ」


「みんなはたけ」


「怒ってる?」


「おこってない。はたけはしごとだもん」


 エルクは壁づたいに座ってミナと同じほうを向いた。ミナは膝の上で指を組み直した。


「したのはなし、きまったの」


「形だけね。音で渡すことにしたよ」


「やめてよいっていうの?」


「うん」


「やめるっていっていいっていわないと、やめるしかなくなるよ」


 すぐには返せなかった。


「それ、誰のこと言ってるの」


「いわない」


「聞いちゃだめ?」


「だめ。ミナのじゃないもん」


「分かった」


「でもね。いうところがないと、だまってやめるしかないでしょ」


「……ほんとだね」


---


 門の内側の砂は日暮れから先に冷える。


 ライオは門柱の内側へ体を据えていた。刻は入ったばかりだ。クラウは門柱の根元へ帳を開いて置いている。エルクはその向かいへしゃがんだ。レオルは門をくぐったところで止まって、坂のほうは見ずに立った。


「長いのを三つにするって」


「返さないの逆か」


「逆。ひっくり返しただけだって」


 レオルは腕を組んだ。組んだまま動かさない。


「渡した形はそのまま返るぞ」


「返るよ」


「やめてよいと打てば、やめると打ち返せる。同じ形だ」


「ライもそう言ってた」


「分かって渡すのか」


「分かって渡すよ」


「受ける形は」


「無いよ。まだ作ってない」


「我は反対だ」


「反対なんだ」


「反対だ。やめてよいと渡しておいて、やめると言われた日に代わる者を出せぬ。それは渡したことにならぬ」


「三回じゃ足りないんだよね」


「足りぬ。出せる人は畑におると聞いた」


「聞いたんだ」


「メルから聞いた。……それでも我は数を理由にはせぬ」


 クラウが筆を抜いた。


「我は反対したと書いておけ」


「書く」


「書いた上で、我は止めぬ」


「止めないの」


「止めぬ。止めれば、こちらは黙ったままだ。黙って通さぬのが今の形だ」


「……冬じゅうやってたやつだね」


「やっておった」


 ライオは門の外の道から目を離さずにいた。


『止めぬと言うた者も、あとで数えられる。……それも書かせておけ』


「レオルのぶんも?」


『我のぶんもだ。今日ここで聞いた者は皆入る』


 筆が入って、行は二つで止まった。


「形は板へ載せておらん。載せる日は別に決める」


---


 入口の外は宵のうちだけ風が下りてくる。


 ドラゴは石段の脇の土へ腹をつけていた。胴の先だけが灯りの届くところにある。


「ねえ。上と下で同じ音って出せる?」


『尾ならどこでも同じ音だ』


「合わせるのは難しい?」


『我は遅い。速いほうが合わせよ』


「じゃあこっちが合わせるね」


『それでよい』


 ドラゴは首をわずかに上げてから戻した。


『呼べ。外におる』


---


 夜の板の前には灯りが二つ出ていた。


 一つは板の下。もう一つはソウが手に提げている。クラウは帳を石へ開いた。ライは紙を膝へ載せて座っている。エルクは灯りの輪の外側へ立った。グリフは柱のてっぺんで足だけを動かした。


『上からだと、二枚目の白いところがよく見える』


「見えるんだ」


『見える。下の三分の二だ』


「数えてたの」


『数えておらん。白いところは数えぬ』


 クラウは門で入れた行の下へ日を書いた。


「反対は入れた。形はまだ入れておらん」


「明日入れるの」


「明日は誰が持って行くかを決める。載せるのはそのあとだ」


『こちらも一枚きりです。この形の写しはまだ作りません』


「なんで」


『写しを配ると、板に載る前にそのぶんの場所へ行きます』


「どこも同じ形だよね」


『同じ形です。ですが、どれが元か決めていません』


 クラウは筆を置いた。


「決まったのは形だ。あと一つ残っておる」


 ソウが灯りを石へ戻した。


「誰が打つの」


 誰も言わなかった。


 ライは紙を膝から上げない。クラウの筆は硯の縁に置かれたままだ。柱の上の足も止まっている。


 ソウは板から目を上げて、灯りの届かないところへ顔を向けた。


 ドレクが立っていた。桶は今夜も提げたままだった。


 ドレクは桶を石へ下ろした。


「おれだ」


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