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辺境の村のモンスターテイマー  作者: スルメイカ
第七部・読めない者/断り方のない決まり編
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第193話 白いところ

 朝のうちは板の面に影が半分かかっている。


 日が上がるにつれて影の縁が下がって、二枚目は下のほうまで明るくなった。写しは板の脇へ戻してある。裏を上にしたままだ。エルクは板から二歩離れて、光の入っている高さへ手のひらをかざした。明るいのは下の三分の二のほうだ。字のあるところはまだ影に残っている。


 白いのがよく見えるのは朝だけだった。日が回れば上まで明るくなって、白さは字の下の余りに見える。エルクは手を下ろした。そこが空けてあるのか、それとも埋められないのかは、どちらも同じ白さに見えた。


 坂の下から女が一人上がってきた。手には何も持っていない。


「鍬、余ってるか」


「小屋の脇にあるわ」


「借りるぞ」


 女は返事を待たずに小屋のほうへ回った。戻ってくるときに板の前で足を止める。柄を肩へ載せたまま顔だけ向けた。


「やめてよいって書いてあるのに、三つしか入ってねえんだな」


 エルクは石のほうから一歩出た。


「読んだの」


「そこだけな。冬に読んでるのを横で聞いた」


「少ないと思う?」


「思わねえよ。三つで足りてんだろ」


 女は柄を担ぎ直した。


「足りてねえなら、もっと入ってるはずだからな」


 そのまま坂を下りていった。ソウは写しの角へ手を置いたが動かさなかった。


「……足りてるのかしらね」


「三つだもんね」


「戻った人のほうは、数えるたびに増えてるのよ」


---


 当番小屋の戸口の内側でメルが綴りを開いていた。


 膝の上の紙には板と同じ縦線が引いてある。二つ目の欄のところだけ折り目が立っていた。指が上の行から順に下りていく。途中で二度止まった。


「休みのとこ?」


「休みです。数え直しています」


「人数?」


「日数です」


 エルクは紙を覗き込んだ。名の脇はどれも空いている。


「休みが四十日を越えている人が二人います」


「四十日」


「四十日です」


「長いよね」


「長いです。冬に空けたぶんを引いても越えています」


 メルは紙の端を押さえ直した。


「戻ると書いてあります」


「うん」


「戻るかどうかは書いてありません」


 エルクは膝を立てて戸口のほうへ向き直った。


「聞いてみようか」


 外で紐を巻いていたソウの手が止まった。


「聞かないわ」


「まだやるの、って聞くだけだよ」


「聞いたら、聞かれたほうがやめるって言いにくくなるわよ」


「なんで」


「聞かれてから言うのは、押されて言ったことになるもの」


 エルクは口を開けたまま少し黙った。


「……そっか」


「そうよ」


「じゃあ聞かない」


 ソウは紐の束を戸の脇の箱へ落とした。メルは折り目のところへ指を挟んで、綴りを閉じずに置いた。


---


 門の内側の土は昼のうちに白く乾いていた。ライオは乾いたところに胴を置いている。


 エルクが近づくと目だけが動いた。


『四十日と聞いたな』


「聞こえてたんだ」


『聞こえた。坂は音が上がってくる』


 ライオは胴の位置を日のほうへ少しずらした。


『休みと、やめるを分けるのは誰だ』


「本人だよ」


『ならば本人が言うまでは休みよ』


「四十日でも?」


『四十日でも休みだ。……長いと思うておるのはこちらだ』


 エルクは門柱の影のほうへ目をやった。影はまだ前脚まで届いていない。


「長いと思ったら、言っちゃいけないの」


『言うてもよい。……だが我の口は重い』


「重いの?」


『重い。番を任された者の言葉は、頼みではなく沙汰に聞こえる』


 たてがみの下で息が一度深くなった。


『こちらが待てぬだけの話を、あちらの怠けにしてはならぬ』


---


 昼を過ぎてから板の前にレオルが立っていた。


 読んではいない。顔は二枚目のほうを向いているが、目は行の外側を動いている。エルクは横へ並んだ。


「門の番の話じゃないよね」


「ない。通りかかっただけだ」


「朝、三つしか入ってないって言われたよ」


「言うたか」


「少ないのかなって」


「少ない」


 レオルは爪の先を一行目の高さへ寄せて、板には触れずに止めた。


「三つで止まっておるのは、やめる者がおらぬからではない」


「じゃあ何」


「やめると言うても、書く者がおらぬからだ」


 エルクは三つの名を順に見た。どれも自分の字ではない。


「長のも、誰かが書いたんだ」


「書いた。我が言うた日に、その場に筆を持った者がおった」


「いなかったら?」


「言うた者は言うたまま帰る。帰れば次の日は言わぬ」


 爪が下がった。


「我はあの日たまたま運がよかった。運のよい日にしかやめられぬものを、我らは決まりと呼んでおる」


---


 薪小屋の脇でクラウが帳を膝へ載せていた。筆は袋へ入れたままだ。


「四十日だってさ」


「聞いた」


「二人」


「二人だ」


「聞かないほうがいいって言われた」


「誰に」


「ソウ」


「合うておる」


 クラウは帳の行を指で数えた。


「聞かん。休みとやめるの境目は聞かん」


「聞けば分かるのに」


「分かる。分かった後に、本人が休みだと言い張れんようになる」


「言い張っていいの」


「よい。言い張れるうちは、まだこちらの番だ」


 袋の口を開けて、穂を出さずに筆を持ち替えた。


「数だけ出しておく。数を見て言い出すなら、そいつが自分で言うたことになる」


 杭を抱えたケインが脇で足を止めた。


「数出したら、見せしめっぽくねえっすか」


 クラウは顔を上げなかった。


「近い」


「近いんすか」


「近い。だから出し方を決める」


 小屋の角からソウが墨壺を提げて出てきた。


「見せしめにならないように、全員のぶん出すのよ」


「全員っすか」


「全員よ。休んでない人のところには零って書くわ」


「零は要らねえんじゃねえっすか」


「零を抜いたら、書いてある人だけが見られるでしょ」


 ケインは杭を持ち直して、言い返す言葉を探しているような顔をした。


「……それ、おれのとこも零っすよね」


「零よ」


「じゃあいいっす」


---


 日が低くなってからソウが板の前に立った。


 休みの欄の脇へ細い縦線を一本足す。行ごとに日数を入れていった。零のところは零と書く。四十を越えた二つの行も、ほかと同じ太さで書いた。


 坂を上がってきたドレクが灯りを提げたまま足を止めた。


「何書いてんだ」


「休んだ日の数よ」


「おれのとこは」


「零。あんた休んでないもの」


「そうか」


 ドレクは一枚目から二枚目へ目を移した。上の三行の下の二つ目のところで目が止まる。


「なあ」


「なによ」


「おれのは誰が書いたんだ」


「私よ」


 ドレクは灯りを持ち替えた。


「そうか」


「文句あるの」


「ねえよ」


 板の面をもう一度上から下まで見た。


「……じゃあ、書く人が要るってことだな」


 エルクは石の上から顔を上げた。


「え」


「おれが書けるならおれが書いた。書けねえから、誰か呼ばなきゃならねえ」


「呼べばいいじゃん」


「呼ぶのは、言うのと同じだ」


 ドレクは灯りを提げ直して段のほうへ歩いていった。ソウは筆を止めていたが、止めたままでは終わらせずに次の行へ移った。


---


 夜の段の口は風が止んでいた。ウルは内側で伏せている。


『名は』


「エルクとメア」


『二人だな』


「二人。ライのところまで」


『行け』


 エルクは一段目へ足を置いてから振り返った。


「ねえ。休んでる人の刻って数えてる?」


『数えぬ』


「なんで」


『我が数えるのは段を通った者だ。休んでおる者は段を通らぬ』


「じゃあ、どこにも出ないんだ」


『出ぬ』


 ウルは耳を一度伏せた。


『出ぬ者は、減っておらぬように見える』


---


 器の台の紙は今夜も送られている。


 ライは刻を書き終えてから紙へ目盛りを置いた。当てているのは点ではなく点の無いところだ。ダクトは台の脇で写しを広げている。


「日数、写すの」


「写しますぞ。板のほうが書き終わってからですな」


「零も?」


「零も写しますぞ。抜きますと、抜いたところが気になりますからな」


 壁の前のほうで音が止まった。


 いつもなら短く切れてまた続く。今夜は続かなかった。エルクは器の口のほうへ体を向けた。メアは壁から離れたところに膝をついている。手は当てていない。


「止まってるね」


「止まっています」


「いなくなったの」


「いません、ではありません」


 メアは目を伏せた。


「眠っています」


「眠るんだ」


「眠ります。……それより先は読みません」


 ライは紙の端を送らずに押さえていた。


『去年より長いです』


「長いって、止まってるのが?」


『紙の上では広いです。送る速さは去年と変えていません』


「どれくらい」


『二度測りました。二度とも広いです』


「どのくらい広いかは言わないんだ」


『言えます。ですが一晩ぶんです。並べてから言います』


 ライは刻を書き足してから棚のほうへ回った。箱は三つとも布の上に据えてある。左が弱く光っていた。


『……弱くなりました』


「消えた?」


『消えていません』


「じゃあ」


『弱くなって、戻りました。一度です』


「戻ったんだ」


『戻りました。強くはなっていません』


 ライは刻と、弱くなった回数を別の行へ分けて書いた。読みは書かない。


 壁の向こうで音がまた始まった。細くて短い。いつもの間隔に戻っている。


 エルクは器の紙のほうを見ていた。今夜のぶんの紙は、止まっていたところだけが白いままだった。

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