↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
辺境の村のモンスターテイマー  作者: スルメイカ
第七部・読めない者/断り方のない決まり編
193/237

第189話 字のないほうの決まり

 薪小屋の脇に荷が四つ下ろしてあった。


 縄はもう解いてある。ドレクは端から順に口を開けて、中を覗かずに札だけ見ていた。木の札は縁が欠いてある。二つ欠いたのと三つ欠いたのを別の山へ回していく。焼き印のほうは丸と角と線が一本だ。


 エルクは荷の並びを回り込んで、ドレクの手元が見える側へしゃがんだ。ドレクの目の下は落ちくぼんでいる。


「上がってきたばっかりでしょ」


「上がった」


「寝ないの」


「これ分けてからだ。夕方までに置いとかねえと、明日の朝に来たやつが持って帰れねえ」


 角の焼き印を一つ、向こうの山へ移した。手は止まらない。


「間違えないんだね」


「間違えたやつは戻ってこねえ。それだけだ」


「今夜は」


「今夜もおれだ」


「二晩続くの」


「下りられるやつが減ってんだよ。戻ってきた連中はみんな畑だ」


 欠きを指の腹で数えてから、ドレクは札を裏返した。


「その札さ」


「あん?」


「字、一個も無いよね」


「無え。要らねえもん」


「よく分かるね」


「欠きと焼き印だ。手で分かる。暗くても分かる」


「暗くても」


「荷は夜に着くこともあるからな」


 エルクは札を一枚もらって指で縁をなぞった。欠きは二つ。焼き印は角だ。


「これ、板でもできないかな」


「知らねえよ。板はおれのもんじゃねえ」


 札は縄の上へ戻された。


「昨日の話なんだけどさ」


 ドレクの手が札の山の上で一度だけ遅れた。


「板か」


「うん」


「読んでねえって言っただろ」


「読まなかったの。それとも」


「読めねえんだよ」


 結び目をひと締めして、ドレクは次の荷へ移った。


「前から言ってる。読めねえんだから、無えのと同じだろ」


 エルクは荷のほうへ一歩寄った。


「読んであげるよ。今から行こうよ」


「要らねえ」


「なんで」


「聞いたのが今日だけになるからだ」


「今日だけ」


「今日聞いて明日には抜ける。板は毎日そこにある。だがおれには毎日は無え」


 エルクは口を開けたまま止まった。それから坂の上へ目をやった。留め金の金物が日を返している。字はここからでは見えない。


「……僕、毎日見てるや」


「だろうな」


「読んでるつもりはなかったんだけど」


「つもりが無えのが毎日だ」


 ドレクは荷の口へ手を突っ込んだまま顔を上げなかった。


「じゃあ、毎日読みに来ればいいのかな」


「来ねえよ」


「来ないんだ」


「来る日を決めんのはおれじゃねえ。荷が来る日だ」


 エルクはもう一度坂の上を見た。


「でもさ。二枚目に自分の名前があるのは知ってるでしょ」


「知ってる」


「読めてるじゃん」


「読めてねえ。場所だ」


 ドレクは宙へ指で四角を描いた。


「上の三行の下の、二つ目だ。あそこがおれだ。書いてるとこを見てたからな」


「うん」


「おれの名前がどこにあるかは分かる」


 手を膝で拭って、山をひとつ寄せた。


「……何が書いてあるかは知らねえ」


---


 坂の中ほどでダクトが立ち止まっていた。


 写しを胸の前で抱えている。上の一枚だけ向きを変えて日の当たるほうへ傾けた。


「見てくださいますかな」


「汚れてる?」


「上の三行のところだけですぞ」


 エルクは受け取って傾けた。紙の上のほうだけ端が指の幅で灰色になっている。


「押さえながら読むからか」


「押さえますな。読む者は必ず紙の端を持ちますぞ」


「下は」


「下は白いままですな。折り目も付いておりませんぞ」


 ダクトは束を揃え直した。


「紙は正直ですな。指の付いたところしか汚れませんので」


「替える?」


「替えられますぞ。ですが替えますと、どこまで読まれたかが消えますな」


「消えちゃうんだ」


「消えますな。汚れは書いたものではありませんが、読んだ側が残したものではありますぞ」


 束を胸へ戻して、ダクトは坂を下りていった。


「今日は替えずに置きますぞ」


---


 段の口の石は昼でも冷たかった。


 ウルは内側の日陰に伏せている。エルクが灯りを二つ提げて下りてくると、耳だけが先に動いた。


『昼に下りるか』


「下りるよ。三人で」


『三か』


「僕とメアとウーゴ」


『札か』


「なんで分かるの」


『大きいのが刃を持っておる。彫るか見るかだ』


「見るだけだよ」


 エルクは段の一段目へ足を置いた。


「ねえ。ウルは札の前、通るよね」


『通る。日に二度だ』


「なんて書いてあるか知ってる?」


『知らぬ』


「読まないんだ」


『読まぬ。我の目は動くものに付いておる。札は動かぬゆえ目が滑る』


「教えようか」


『要らぬ』


 前脚の先だけが石を押した。


『我が覚えても数には入らぬ。数に入らぬものを覚えると、覚えたぶんだけ我が重うなる』


「重くなるの」


『重うなる。……そのぶん人を数え落とす』


---


 段を下りきる手前の壁際に柱が立っている。札はそこへ掛けたままだ。


 上のほうに持ち場が三つ並んでいる。その下の行は冬に彫った。彫りは上より深く、灯りを近づけると溝の底に影が残った。


 ウーゴは膝をついて指の腹を当てた。


「ヘッテナイ」


「減らないんだ」


「フユ、コエタ。シメリモ、ハイッテナイ」


「深く彫ったからだね」


「フカクホッタ」


 大きいのはエルクの手首を取って、彫りの頭へ指を運ぼうとした。運びきる手前で手が止まった。指は溝の上で宙に浮いたままになった。


「……どうしたの」


「ホッタ」


「うん」


「ヨメナイ」


「僕は読めるよ」


「エルク、ヨメル。ホッタノハ、ヨメルヒトノタメカ」


 ウーゴは自分の手のほうを先に引いた。


「ヨメナイノハ、ホッテナイノトオナジカ」


 エルクは答えられなかった。灯りの輪だけが柱の面で揺れた。


 大きいのは刃を布へ包み直した。


「キョウハ、ホラナイ」


「彫らないんだ」


「ホルバショハアル。……ホッテモ、オナジトコロニ、ツク」


---


 メアは柱の裏へ回っていた。


 手は当てていない。膝をついて木の下のほうを見ている。人の踝より低いあたりだ。メアが見ているのは字ではない。そこで何があったかのほうだった。


「読めた?」


「彫った字は残っています」


「うん」


「彫ったときのことは残っていません」


「消えたの」


「消えたのとは違います。一度きりのものは薄いんです」


 膝の位置を少しだけずらした。


「毎日のものなら残ります」


「毎日って」


 メアは札の下の床を指した。指の先は面から離れている。


「前を通った足です。上から下へ。下から上へ。……毎晩あります」


「止まった人は」


「いません」


「一人も?」


「一度だけあります」


「誰」


「分かりません」


 灯りをこちらへ寄せずに、メアは立ち上がった。


「止まったのは彫った日です」


 エルクは札を見上げた。下の行は上より深く、上より新しい。手を伸ばせば届く高さにある。


「それきり?」


「それきりです」


---


 上がってくると当番小屋の戸は開け放してあった。


 ソウは戸口の外で紐を選り分けている。長いのと短いのを別の束にして、短いほうを膝へ載せた。


「下、行ってきたのね」


「札、見てきた」


「彫りは減ってた?」


「減ってなかったよ。でも誰も止まってないって」


 ソウは紐の端をそろえただけだった。


「ねえ。下りる人にさ、下りる前に読んで聞かせるのはどう」


「三行を?」


「うん。毎晩二人下りるんだから、二人には届くよね」


「誰が読むの」


「僕が」


「毎晩いる?」


「……いないね」


「二日目で止まるわ」


 ひと束結んで、ソウはそれを脇へ置いた。


 ケインは戸口の内側で杭の頭を削っていた。手は止めずに顔だけ上げる。


「読める人が読めばいいんじゃねえっすか」


「読める人が毎日いるならね」


「……いねえっすね」


 削りかすが床の板へ落ちた。


「おれも読めるほうっすけど、夜は上にいるっすからね」


「上にいてもらわないと困るわ」


「困るっすよね」


「困るのよ」


 ソウは短いほうの束を持ち上げた。


「毎日やらないと意味がないの。毎日できることだけ決めましょ」


「今日は決めないんだ」


「決めないわ。思いついたのが夕方だもの」


 束を軒の釘へ掛けて、ソウは手のひらの土を払った。


「夕方に思いつくことって、たいてい朝までのものよ」


---


 荷置き場の石の上にクラウが帳を広げていた。


 筆はまだ持っていない。指で行を追っている。


「あいつは何と言うた」


「読めねえんだから、無えのと同じだって」


「そのままか」


「そのまま」


 クラウは硯の蓋を外した。


「名前は書くの?」


「書かん」


「書かないんだ」


「読めん者の名を書くと、読めんことが名に付く」


「付くの」


「付く。一度付けば、あとで読めるようになっても剥がれん」


 筆が下りた。行の頭はひと文字ぶん空けてある。


「じゃあ何て書くの」


「板の字が届いておらぬ者がおる、と書く」


「何人って書く?」


「書かん」


「分かんないから?」


「分からん。……数えておらんゆえな」


 穂先が紙の上で止まった。


「去年から板へ何度も書き足した。書いた日はそのつど入れておる」


「うん」


「読んだ日は一度も入っておらん」


「読ませたのは数えたよね」


「読ませたほうは数えた。あれはこちらの手の数だ」


 クラウは書いたばかりの行へ息を吹きかけ、乾くまで筆を持ったままでいた。


「手の数ばかり増やしておった」


---


 日が傾いてから入口の外の草が押し倒された。


 ドラゴは斜面に胴を沿わせている。口のところからは半身ぶん離れていた。


『来るぞ』


「誰が」


『あの男だ。昨夜より早い』


 坂の下からドレクが上がってきた。指が荷縄の形に曲がったままになっている。灯りを受け取って段の口へ入っていく。ドラゴのいる斜面へは目をやらず、すれ違いざまに片手だけ上げた。


「二晩続きなんだって」


『続けておる』


「打つの、上手くなった?」


『上手い。並びは覚えておる』


「覚えたんだ」


『音で覚えた。板では覚えておらぬ』


「……並びって、板に書いてあるやつだよね」


『書いてある。あの男は書いてあるほうを見ておらぬ』


 胴の先が草をひと撫でした。


『打って見せた者がおったのだ。それで足りた』


「増えたらどうするの」


『また誰かが打って見せる』


「見せる人がいなかったら」


 ドラゴは答えるまでに間を置いた。


『そのときは板だけが残る』


 入口の奥へ灯りが一つ落ちていった。ドラゴは頭を斜面へ戻して、同じところで動かなくなった。


---


 物干しの縄の下にエネが立っていた。


 紙を胸のところで抱えている。エルクが坂を上がりきるまで動かなかった。それから一歩だけ前へ出た。


「あの」


「うん」


「数えてもいいですか」


「なにを?」


 エネは紙を胸から下ろした。端をひと折りする。


「読んだ人を」


 エルクは返事をしなかった。


 エネは紙を持ち直して、いちばん上の行へ指を置いた。そこはまだ白かった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。