↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
辺境の村のモンスターテイマー  作者: スルメイカ
第六部・来なくなった者/渡し切れない持ち場編
189/242

第185話 言えないと言って渡す

 板の右の端の一行だけが白かった。


 硯は石の上へ据えたままだ。ソウは脇に並んだ日付を三つとも指の腹でなぞった。最初に入れた日と、そのあと二度先送りにした日だ。


 隣の二枚目は昨日字が入ったばかりで、下の三分の二がまだ白い。そちらが白くても誰も何も言わない。白いままで困るのは一枚目の右の端のほうだった。


「四つ目になるわ」


 エルクは雪を鳴らして板の下へ入った。日付の並びを端から見ていく。


「四つ目?」


「今日入れなかったら、日付が四つ並ぶの」


 クラウは写し帳を小脇へ挟んだまま板の正面に立った。


「先送りにしたと書いてあるぶんには構わん。……四つは多い」


 エルクは板の下から出てクラウの肘の横に並んだ。


「多いと駄目なの」


「駄目ではない。四つ並ぶと、書けんのだと読まれる」


 エルクは白い一行を見上げた。字の入っていないところだけが日を返している。


「書けないんじゃなくてさ。言わないって決めたんだもんね」


 クラウは答えなかった。答えないまま、写し帳の古い頁を繰りはじめた。


---


 手が止まったのは去年の冬の頁だった。


 エルクは反対側へ回って、帳の下から頁を見上げた。読めない字ではない。行が細かいだけだ。


「なにか出てきた?」


「俺が去年言うたことだ」


 クラウは頁を指で押さえた。


「知った時点で、俺たちの誰かが口を持つ。口は増やすもんじゃない」


「言ってたね」


「言うた。……あれは名の話だ」


 指が頁から離れた。


「口が増えるのは名だ。理由では増えん」


 ソウが筆を持ったまま顔を上げた。


「同じものだと思ってたわ」


「俺もだ」


 クラウは板のほうへ向き直った。


「言えんのは名だ。理由ではない。……俺は理由まで黙っておった」


 エルクは板の白いところから目を動かさなかった。それから急に肩が下りた。


「あ、そっか」


「なんだ」


「名前は言わないけど、なんで言わないかは言えるんだ」


「言える」


「それ先に言ってよ」


「今日思いついた」


「一年かかったんだ」


「かかった」


---


 雪の締まる音が広場の端から近づいた。


 レオルは板の正面には立たなかった。右の端が横から見える位置で胴を止めて、そこから白い一行へ目をやる。


「理由を書けば、そこから名へ届く者が出るぞ」


「出る」


「認めるのか」


「認める。……届く者は、書かんでも届く」


 クラウは白い一行を指した。


「届かん者に届かんままにしておくほうが危ない。届かん者は自分で埋める」


 尾の先が雪の上で一度だけ動いた。


「去年の三つか」


「三つだ。病気と、崩れかけと、亡霊だ。どれも親切な埋め方だった」


「埋めた者を咎めるか」


「咎めん。埋める材料をこちらが出しておらんかった」


 長はしばらく黙っていた。胴の下で雪が鳴った。


「……よかろう。我は反対したと書いておけ」


「書く」


「書いた上で、我は止めぬ」


---


 ソウは字の大きさを先に決めた。


「そこは大きく書くわ」


「小さくすれば二行入るよね」


「入れないの。ここは後から来た人が読むところよ」


 筆は二度硯へ戻ってから板へ入った。四つ目の欄の下、線の下の一行に字が並んでいく。


 途中で一度だけ手が止まって、字と字のあいだを広げ直した。詰めれば端まで余る。ソウは余らせなかった。


 名は入らなかった。


「名は聞かないと決めた。聞けば言える口が増えるからだ」


 ノノが爪先立ちで下から追った。読み終えるのに時間がかかった。


「きけば、いえるくちが、ふえる」


「読めた?」


「よめた。……くちって、なに」


「言える人のことだよ」


「ふえるとこまるの」


「困るね」


「じゃあ、ふやさない」


 ノノは板きれを抱え直して、同じ行をもう一度上から見た。今度は声に出さなかった。


 エネは輪の外に立ったままだった。読み上げも繰り返しもせず、紙を持つ手の位置だけ変えた。


---


 ミナは聞き手の三人を坂の途中へ待たせてから板の前へ来た。


 板きれは抱えていない。


「あしたっていったの、きょうだよね」


「今日だ」


「ミナのも、なおしたよ」


「言うてみろ」


 息を吸ってから、いつもの言い方をそのまま先に置いた。


「言わないって決めた話がある、ってところまでは話す」


「それは残すのか」


「のこす。まちがってないもん」


 指を一本立てて、その先を継ぎ足した。


「そのあとに、なんで言わないかは話す」


 クラウは穂先を紙から浮かせたまま、ミナの指のほうを見た。


「なぜ足す」


「言わないって言うだけだと、なんで言わないのかを自分で作っちゃうから」


 ソウは硯の縁で筆をしごいた。


「三つに割れたのは、そこが空いてたからね」


「うん」


「線は動かさないのね」


「うごかさない。のばすだけだよ」


 ミナは坂の途中を振り返った。三人はまだ同じところに立っている。


「あのね。おわりも、かえたの」


「終わり?」


「きいたひとが、なんでっていうでしょ。そこで、ミナはしらないっていう」


「知らんと言うのか」


「うん。しらないもん。しらないのにしってるみたいにしゃべると、ふえるでしょ」


 クラウは筆の先を紙から離したままにしていた。


「……それでよい。足さんでよい」


---


 段の下は昼でも暗い。


 柱の札の前でウーゴが屈んでいた。刃を布から出して、彫ってある並びを指の腹で確かめている。


「モジ、キマッタカ」


「決まったよ」


「ヨコカ、シタカ」


「下がいいんじゃないかな。上のは持ち場だもん」


「シタ。フカク、ホル」


 ダクトが写しを胸の前で揃えた。


「板と同じ字にしていただきますぞ」


「違うと駄目なの」


「違いますと、どちらが本物かで揉めますからな。……揉めるのはいつも書いていない側ですぞ」


「見ながら彫ればいいんだよね」


「紙は下へ置けませんぞ。湿りますからな」


 ダクトは束から一枚だけ抜いて、灯りの下で端を押さえた。


「読み上げますゆえ、彫るほうは手を止めずに」


 刃が入りはじめた。木の粉が灯りの中を落ちていく。ダクトが一字ずつ区切って言い、大きいのは同じところで刃を返した。


 エルクは彫られていく行を見ていた。壁のほうは見なかった。


「これさ」


「ナニ」


「向こうからは読めないよね」


 手は止まらなかった。


「ヨメナイ」


「じゃあ読める人にだけ渡してることにならない?」


「ソレデモ、ホル」


「なんで」


「ホラナケレバ、ダレモ、ワタセナイ」


 彫り終えた行を布で払って、ウーゴは深さを指で当たった。上の持ち場の彫りより深い。


「深いね」


「フカイト、ケズレテモ、ノコル」


---


 昼を回ってから柱の上へ影が下りた。


 グリフは翼を畳んでから段の口を一度見た。


『行ってきた』


「上まで?」


『上までだ。理由のほうだけ持っていった。名は持っておらん』


「持ってないもんね」


『持っておらんから運べた。……主から預かった』


「なんて?」


『我らは一度、理由ごと消した。……二度目はせぬ』


「そのまま?」


『そのままだ。俺は足しておらん』


「短くない?」


『短い。短いものほど足したくなる。だから預かったまま下りた』


 嘴の先が坂の下のほうへ向いた。


『枠は一羽のままだ。主もそう言うた』


「増やさないんだね」


『増やさん。理由を渡したから増やせ、とはならん』


---


 坂を上がると子らの声が揃っていた。


 ノノは指を四本立てたまま前に立っている。四つ目まで言い終えても指は下りなかった。


「もひとつ、ふえるの」


「五つ目?」


「うん」


 小さいのは護符の紐を握り直した。


「やめるときは、やめるっていう」


 子らが繰り返した。三度目で揃った。


「なんで五つ目なの」


「わかんない」


「わかんないんだ」


「うん。でも、いる」


 エルクはそれ以上聞かなかった。ノノも足さなかった。


 エネは樽の上で紙へ線を引いた。誰が言い出したかは書かなかった。


 クラウは半分ほど上ったところで立ち止まっていた。


「……足りるかもしれん」


「なにが」


「返さぬと決めた夜のことだ」


 クラウは写し帳を持つ手を下ろした。板の側は見なかった。


「頭の無い拍には返さんと決めた。だが黙って返さんのでは、あれには何も起きておらんのと同じだ」


「返さないって、打てばいいんだ」


「打てばよい」


 ライが段の口から紙を抱えて上がってきた。


『いま聞こえました』


「五つ目?」


『五つ目です。……返さないと打つなら、並びが要ります』


「作れる?」


『作れます。短いのを三つにします。板へ載せてから使います』


「先に使っちゃ駄目なの」


『載っていない並びは使いません。私が作ったものでもです』


「作った人でも?」


『私がいちばん駄目です。読む側は私の手を見ておりませんので』


---


 日が板の面から外れたころ、クラウは写し帳を膝へ載せた。


 縦線が三本引いてある頁を開く。三本目の下には、跡がある、と一行だけ入っていた。


「そこ、まだ空みたいなもんだよね」


「空だ。高さは中身ではないと言うた」


「言ってたね」


「今日は中身がある」


 筆が入った。名は入らない。年も入らない。


「やめると言う場所が無かった」


 エルクは頁の上へ顔を寄せたまま動かなかった。


「それだけ?」


「それだけだ。それ以上は読んでおらん」


「……うん」


「読んでおらんことを書けば、書いたほうの声が本人の口から出たようになる」


 ソウは二枚目の板の前で筆を止めていた。真ん中の欄に字の並びが三つぶん入っている。


「ここ、見出しがないわ」


「見出し?」


「なんの欄か書いてないの。名前と持ち場の次に字が並んでるだけよ」


「読めば分かるんじゃないの」


「今は分かるわね。私が書いたもの」


 筆が欄の頭へ回った。


「五年経ったら、誰かが名前だと思うわ」


 理由、と二文字だけ入った。


「二文字でいいの」


「二文字で足りるわ。足りないのは中身のほうよ」


---


 札を掛け直したのは日が落ちてからだった。


 留め金は元のままで足りた。ウーゴは掛けたあと一度も触らずに段の口のほうへ下がった。


 ウルは段の口の内側で伏せている。掛け直す音のあいだ、耳だけがそちらへ向いていた。


『一枚のままか』


「一枚だよ。字が増えただけ」


『字は数えぬ』


「数えないんだ」


『数えん。我が数えるのは人と刻だ。字を数えはじめると、字の多いほうを守る』


「多いほうが大事なんじゃないの」


『大事かどうかは我が決めることではない』


 黒銀は前脚の上へ顎を置いた。


『今夜も同じ数だ。減っておらぬ』


---


 門の内側でライオが立ち上がった。


 たてがみが動いて、そのあとに声が来た。


『下は済んだか』


「済んだよ」


『彫ったのだな』


「彫った」


『……読めぬ者へ彫ったか』


「読めないよ、向こうは」


『よい。読めぬ者へ彫ったものは、彫った側が忘れぬ』


「ライオは見に行かないの」


『行かぬ。我の刻はここだ』


---


 段を上がってきたのは壁のほうに付いていた当番だった。


 手すりの縄をたどって上まで来て、段の口で息を整えた。


「下へ来てもらえますか」


「なんかあった?」


「来ました。一つ目の刻に入ったところです」


「短いの?」


「長いです。……こんなに長いのは初めてです」


 エルクは段を下りる途中で柱の前に足を止めた。


 掛け直した札は縁も見えない。彫ったばかりの行も、この暗さでは一字も出てこない。指の腹で上から下までなぞってから手を離した。彫りは深い。目で読めなくても指なら終わりまで届く。


 記録の間の入口の灯りは低いままだった。


 器は台に据わっている。ライは台へは触らずに床へ座って、紙を膝の上に広げていた。筆はもう持っている。当番はエルクを入れてから壁の前へ戻った。


「もう終わったの」


『終わりました。数えるところまでは済んでいます』


「早いね」


『来ているあいだに点を打ちました。あとから数え直すと、私の手が入ります』


「長かったんだって」


『長いです。用件で来るものはこれほど続きません』


 ライは紙の向きを変えなかった。


『塗る音は先に止まりました。止まってから来ています』


 エルクは台の脇へ手をつこうとして、途中で引いた。


『そこは触らないでください。ダクトが合わせた脚です』


「そうだった」


 紙の上には墨の点が並んでいる。列は途中で一度切れていた。


『二つあります。長いほうが先で、短いほうが後です』


「続きじゃないんだ」


『続きではありません。あいだが空きすぎています』


「長いほうはなんて言ってるの」


 ライは列の前のほうへ指を置いた。置いたまましばらく動かさなかった。


『分かりません』


「分かんないんだ」


『私の分け方は音の長さでできています。長さの合わないものはどこにも入りません』


「入らないとどうするの」


『読めないと書きます。読めないまま置いておきます』


「捨てないんだね」


『捨てません。あとで合う分け方ができたときに、これが無いと合わせられません』


 指が列の後ろへ移った。今度はそこで止まらなかった。


『こちらは読めました』


「読めたんだ」


『読めました』


「なんて?」


『先に書かせてください』


「読んでからでもいいんじゃないの」


『よくありません。口で言うと、私が読んだことが落ちます』


「落ちる?」


『落ちます。聞いた人は器が言ったと覚えます。あとで違っていたときに、直す者がいなくなります』


「ライが直すんだよね」


『直します。ですから先に名を置きます』


 筆が紙へ下りた。


 一行目に入ったのは読みではない。刻と、読んだ者の名だ。名の下へ短い線を引いてから、ライは筆先を墨へ戻した。


 壁の向こうでは塗る音がまた続いている。入口の灯りは低いままだ。


 筆が二行目へ移った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。