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辺境の村のモンスターテイマー  作者: スルメイカ
第六部・来なくなった者/渡し切れない持ち場編
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第180話 受け取るほうの決まり

 灯りは段の口の柱に掛けてある。


 風はそこがいちばん強い。炎が横へ寝るたび、下の暗がりが少しだけ伸びた。ウルは鼻先を段へ向けたまま動かない。


『名は』


「エルク」


『聞いた』


「毎回言うんだね」


『毎回だ』


 黒銀の耳が一度だけ段の下へ向いた。


『我が忘れるのではない。忘れた日が分からなくなるのが困る』


「下は」


『二人だ。上がったのが一人ゆえ、今は一人になっておる』


「戻すよ」


『戻せ』


---


 入口の外へ回ると、ドラゴの声のほうが先に来た。


『我は打っておらん』


「聞いてないよ」


『聞かれる前に言うておく』


「同じじゃないの」


『違う』


 雪は黒い胴の縁のところで途切れている。尾の先も、首も動かなかった。


『聞かれてから言うたのでは、聞かれて言うたことになる』


---


 下りるにつれて風の音が消えた。


 記録の間の灯りは器の脇に一つきりだった。腰かけはそのままだ。壁際の一つだけが、奥のほうへずらしてある。


 器の前に残ったほうの当番は動いていなかった。膝の紙には刻が縦に並んでいる。秋の終わりに移ってきたほうの女だった。


「あのあとにもう一つ来たわ」


「もう一つ?」


「若いのが上がってすぐよ。走って呼びに行こうかと思ったけど、ここを離れるなって言われてるから」


「離れなくていいよ」


 ライが紙を受け取って、灯りのそばへ持っていった。跳ねの並びの前のほうで指が止まる。


『返しです』


「打ち返してきたんだ」


『そうです』


「いつもの?」


『いつものです。……ですが頭が付いています』


「頭」


『短いのが一つと、長いのが一つです』


 エルクは器の縁へ手を伸ばして、触れる前に引いた。


「それって」


『あの人のです』


---


 クラウは写し帳を開かなかった。


 開かずに灯りのほうを向いたまま声に出した。


「渡すときは渡した先の名を言う。受け取った者は受け取ったと名で言う。休みは当番と同じ欄に書く」


「うちのだね」


「うちのだ」


 言い終えてから、写し帳の縁を親指で押さえた。


「……後ろ半分を渡しておらん」


「後ろって」


「受け取った者は受け取ったと名で言う。これは受け取る側の決まりだ」


「渡したじゃん」


「渡したのは前半分だ。打つときは頭に自分の印を付ける。それだけしか渡しておらん」


 エルクは紙のほうを見た。跳ねの塊は二つ。頭になっているほうは、指で数えても二つで終わる。


「頭の無いのが来たんだよね」


「来た」


「それに、名前を付けて返しちゃったんだ」


「返した。決まりの通りにな」


 灯りの芯が一つ跳ねた。


「うちの三行は名乗るやつがおる前提で書いてある。名乗らん者が打った夜のことは、どこにも書いておらん」


「……教えてないもんね」


「教えておらん」


「じゃあ、あの人は悪くないよ」


「誰も間違えておらん。そこが厄介だ」


---


 器の針は小刻みに揺れ続けている。


 壁の向こうで塗る音も止まっていない。続いていたが、途中で一度だけ細くなった。


『線が下がりました』


「薄くなったの」


『薄くなっています』


 ライは紙の端を押さえて待った。針の振れが元の幅へ戻るまで筆を持たなかった。


『戻りました』


「戻ったんだ」


『戻りました。細かったのは指の幅ほどの長さです』


「短いんだね」


『短いです。……短いので、明日には数のほうへ埋もれます』


 筆が刻の脇へ下りた。


『埋もれる前に書きます』


---


 梁の下から糸が下りてきた。


 アラーネの前脚が二本、灯りの届く高さで止まる。


「乗ったわ~」


「何が」


「分からないわ~。糸は乗ったところしか覚えないのよ~」


「上のほう?」


「下よ~。壁から二本目のところ~」


 ラネが下の糸を伝って降りてきた。途中で止まり、糸の一点を前脚で押さえる。


「ここよ!」


「触ったんだ」


「一段下げるのよ!さわったところがひくいもの!」


 ダクトは器の脚の下から動かなかった。四本のうち一本だけ、床との隙間へ指の先を差し込んでいる。


「糸のほうへは行きませんぞ」


「なんで」


「私が触れば、動いたのが糸なのか私なのか分からなくなりますからな」


 指を抜いて、同じ隙間へもう一度当てた。


「二度測って同じでしたな。脚は動いておりませんぞ」


 ライが新しい行を二つ引いた。


『糸が動いた刻と、線が下がった刻を別に書きます』


「同じくらいだったよね」


『近いです。同じとは書きません』


「なんで」


『同じと書くと、後で読む者が一つの出来事にします』


---


 メアは奥へ寄せた腰かけの前に座っていた。


 壁には触っていない。灯りも自分の膝より上へは上げていない。


「読めた?」


「読んでません」


「読まないの?」


「今日は近づきたくないみたいです」


「あの人が」


 メアは膝の上で指を重ねた。


「うまく言えないです。……見せたくないっていうより、今日は誰にも見られたくない日みたいで」


「わかった」


「訊かないんですか」


「訊かないよ」


 エルクは腰かけの脇へしゃがんで、そのまましばらく動かなかった。


---


 筆を置いたクラウが顔を上げた。


「今夜から一つ足す」


「増やさないんじゃないの」


「板の三行は増やさん。足すのは打ち方だ」


「ちがうの」


「ちがう。決まりを足すのと、段取りを足すのは別だ。混ぜたやつは次に必ず行を足す」


 クラウは器のほうへ顎を向けた。


「頭の無い拍には返さん。うちが先に守る」


「あの人には」


『打つ形がありません』


 ライの筆は動いていなかった。


『返すな、という形がありません。こちらが持っているのは名と、いつもの用件だけです』


「言えないんだ」


『言えません』


 クラウが立ち上がって、灯りを壁のほうへ半歩だけ寄せた。


「ならやって見せる。毎晩、頭を付けて打つ。頭の無いものには返さん。それを続ける」


「見て覚えるかな」


「一日で覚えおったやつだ」


『覚えたかどうかは分かりません』


「返ってこなかったら覚えたってことじゃないの」


『なりません』


 ライは紙をそろえて膝へ載せた。


『返ってこないのは、覚えた時も、聞いていない時も同じ形です』


---


 段を上がりきると、風のほうが先に当たった。


 ウルは柱の脇から動いていない。灯りの下で顔だけを上げた。


『下に残っておるのは一人だ。数は合うておる』


「ちゃんと数えてるんだね」


『合うておる。……だが我は、下で何があったかを数に持っておらん』


「言おうか」


『言え』


 エルクは段の口の縁へ腰を下ろした。ウルは前脚を組み直して待った。


『我は下へ入らぬ。入らぬゆえ、主の口から受け取る』


「受け取るって言った」


『言うた』


 黒銀の顎が雪の上へ下りた。


『……我も受け取るほうだな』


---


 朝には雪が止んでいた。


 板の面に乗ったぶんをソウが袖で払っている。払い終えてから、右の端ではなく板の脇の空きへ筆を入れた。


「かわりなしって書いてあんだろ」


 右の端を見上げているのは、炭を担いだ男だった。


「書いてあるわ」


「書き替えねえのかよ。昨日の夜はかわりがあったんだろうが」


「替えないわ」


 ソウは筆の先を右の端の三行へ向けた。


「あれは持ち場よ。毎晩塗って、交代がないってこと。昨日の夜のことじゃないの」


「同じじゃねえのか」


「同じ板に二つの意味を載せると、次に読む人がどっちで読むか決めるでしょう」


 男は袋を持ち替えた。


「じゃあどこに書くんだよ」


「脇に書くわ。日を入れてね」


 輪の外にいたライが、紙を抱えたまま口を挟んだ。


『今朝は戻っています。夜のあいだの一度だけです』


「戻ったのかよ」


『戻りました。戻ったことも書きます』


 男はしばらく黙っていた。それから、板ではなく雪のほうを見て口を開いた。


「教えなけりゃ返しもしなかったろ」


 誰もすぐには言い返さなかった。


「そうね」


「そうねかよ」


「そうよ。教えなきゃ返さなかったわ」


 クラウは筆を止めずに一行だけ入れた。


「その通りだ」


「じゃあ——」


「言い分は残す。答えは今日出さん」


「おれは戻せって言ってんじゃねえぞ」


「分かっておる」


---


 ミナが板の下から上がってきたのは、人が半分ほど散ってからだった。


 板きれを胸に当てている。今日の聞き手の三人はまだ坂の途中にいた。


「きのうのはなし、していい?」


「していいわ」


「あたらしいの、ふえたんでしょ」


「増えたわ。頭の無い拍には返さない」


 ミナは口の中で二度なぞってから、顔を上げた。


「これ、ノノのとぎゃくだよ」


「逆?」


「へんじがなくても、たたきつづける、っておしえてるもん」


 クラウの筆が止まった。


 板の前の声が一つずつ落ちて、雪を踏む音だけになった。


「……逆だ」


「なおすの」


「直さん。今日は直せん」


「どっちがただしいの」


「どっちも正しい。だから困っておる」


 ミナは板きれを抱え直した。抱え直してから、もう一つだけ訊いた。


「あのひとが、あたまをつけるのわすれたら」


「うん」


「こっちが、へんじしないんだよね」


 答えは出てこなかった。


「そうなる」


 それきり、クラウは何も足さなかった。


「それ、いやだよ」


「俺もだ」


 筆が写し帳の上を短く走った。


「逆になっておる、と書く」


「書くの」


「書く。書いておかんと、気づかんかったことになる」


---


 人が散ったあとも、ケインは板の左の端に残っていた。


 自分の名の脇の欠きを指の腹でなぞっている。二つと一つ。指で数えられる深さだった。


「クラウさん」


「なんだ」


「三行の下って、まだ空いてるっすよね」


 クラウは顔を上げた。


「空いておる」


 ケインは板から指を離した。離した手で首のうしろを掻いた。


「足りねえなら足せばいいっすよね」


 筆は動かなかった。


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