第178話 光った箱
朝の光は小屋の床の途中までしか届かない。
棚は奥の壁際にある。箱は三つで左から古い順に置いてある。いちばん左の蓋の合わせ目から細い光が出ていた。夜通し消えなかった。
床の上で丸いのが少しつぶれた形になっていた。
『おはようございますッス』
「寝てないでしょ」
『寝てないッス』
「見てるだけならできるって、ゆうべ言ってたよね」
『言ったッス。ほかは何もできねえッスけど、見てるだけならできるッス』
スラは棚のほうへ体を傾けた。
『ずっと同じッス。強くも弱くもならねえッス』
「一晩ずっと?」
『ずっとッスね。おいら数は苦手ッスけど、変わったら分かるッス』
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ライが器を抱えて入ってきた。
台を先に据えて、脚の下へ薄片を差してから器を載せた。針が振れはじめるまで手を離さない。
『昨夜の刻を先に書きます』
「そっちが先?」
『見たのは私です。私が見た刻を書いておかないと、いつからかが後で分からなくなります』
筆が一行だけ動いた。それから針のほうへ目を移した。
『弱いです』
「弱いんだ」
『弱いです。去年の紙のいちばん小さい振れより小さいです』
「じゃあ平気なやつかも」
『去年の紙には、この振れがありません』
「ずっと?」
『去年は光りませんでした。一昨年もです』
「じゃあ、なんで今なの」
『箱は去年のままです。変わったのは、こちらのほうです』
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エルクは膝をついて合わせ目へ顔を近づけた。
細い光が目の高さで揺れた。エルクはすぐには離れなかった。
「ひさしぶりに見た」
『はい』
「ずっと何も起きなかったのにさ」
顔を上げたところで口の端が下りた。
「……これ、よくないやつだよね」
『よくないほうです』
エルクは膝についた手を払って立った。三つの並びを左から順に見る。左が光っている。真ん中は暗い。右は蓋を開けたままで札だけが縁に下がっていた。反応しなかったもの、と書いてある。
「真ん中は?」
『真ん中ではありません』
「左のってさ。こわいのに反応するやつでしょ」
『こわいのと、疑うのにです』
「守りたいほうは光ってないんだ」
『光っていません』
エルクは真ん中の蓋へ指を置いてから離した。
「そっちだと思ったのにな」
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昼前には戸の外に人が立った。
中を狭くしないために入るのは二人までにした。戸は開けたままにしてある。
敷居の手前から覗いたのは、炭の袋を提げた男だった。
「古くなって漏れてんじゃねえのか」
「漏れる?」
「何年経ってると思ってんだ。桶だって古けりゃ漏れるだろ」
器の針を見ていたライが手を止めた。
『漏れているのなら去年も漏れています』
エルクは戸口の男へ顔を戻した。
「去年も漏れてたはずだって」
『置き場を変えていません。冷えも同じです。中身は増えていません』
「置き場も冷えも去年のままなんだって。中身も増えてないってさ」
男は袋を持ち替えただけで言い返さなかった。
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クラウは戸の脇に立って写し帳を広げていた。膝ではなく戸板へ押しつけて書いている。
「光ったと書く」
「それだけ?」
「あとは、理由は俺たちの読みだと書く」
「読みも書くの?」
「書く。読みを事実の隣へ並べると、次に読むやつは両方を事実として読む」
クラウは戸板の上で紙をずらした。
「分かったことと、そう読んだことは行を分ける。分けておけば、後で読みのほうだけ捨てられる」
「捨てるの」
「捨てる日が来るかもしれん。……来ん日のほうが多いがな」
外から声が飛んだ。
「あれが動いたんじゃねえのか」
「動いたとは書かん」
「光ったんだろうが」
「光ったのは箱だ。箱は向こうを指さん」
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ウルは棚の前に伏せていた。
朝からその形のまま動いていない。耳だけが戸口のほうを向いている。
『主』
「うん」
『外は済ませた。書いてある通りだ』
「じゃあ休んでいいよ」
『ここで休む』
黒銀の顎が床についた。
『これは番ではない』
「番じゃないんだ」
『番なら板に載る。載っておらんゆえ、我は今日ここにおるだけだ』
「ソウに言っとくよ」
『言うておけ。載せるかどうかはあの女が決める』
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昼を過ぎてから門の内側へ回った。
ライオは日の当たる石の上で丸くなっていた。日暮れまではまだ間がある。
『光ったそうだな』
「うん。弱いけど」
『去年は光らなんだ』
「光らなかったね」
鬣が一度だけ動いた。
『守るものが増えたのだ。……重くなって当然だ』
「増えてないよ。あの人は前からいるもん」
『前からおった。だが、お前たちが数えたのは去年だ』
「数えたら増えるの」
『数えるまでは失うものにも入っておらん。入れた日から重い』
エルクは石の脇へしゃがんで雪を握った。握ってすぐ落とした。
「重いのやだな」
『重いのは悪いことではない。軽いふりをする者が落とすのだ』
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屋根から雪が落ちた。
庇の端でグリフが羽を畳んだ。落ちたばかりの雪が背に乗っている。
『下の口の灯りを数えた』
「灯り?」
『去年の同じころは一つだ。夜のあいだ動くのが一つだった。今朝は三つ動いた』
「三つになったの」
『増えた。俺は数だけ言う。増えた理由は知らん』
グリフは首を戻して空のほうを見た。
『鳴かなかった日は書いてある。数が違う日も書く』
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日が傾くころには、板の前に人の輪ができていた。
レオルは腕を組んだまま右の端を見ていた。
「守りたいものが増えるのは、強くなることではない」
「わかってるよ」
「分かっておらん顔だ」
エルクは頭のうしろを掻いた。
「わかってるって」
「では言うておく。守るのをやめれば、あれは光らぬ」
誰も声を出さなかった。板の下で雪を踏む音だけがした。
「我はそれを勧めておらぬ。誰も選ばぬと知って言うておる」
「じゃあなんで言うのさ」
「誰も言わぬまま置いておくと、いちばん弱っておる者がいつか自分で思いつく。思いついた者は一人で思いつく」
レオルは腕を解いた。
「言うたゆえ、これは我の言葉だ。ほかの誰のものでもない」
「うん。でも減らさないよ」
「減らさぬか」
「減らさないよ。減らしても光らなくなるだけでしょ。あの人が減るわけじゃないもん」
端のほうでミナが口を挟んだ。雪を踏んで一歩前へ出る。
「やめたら、あのひとのところは、またなんにもなくなるよ」
レオルは短く鼻を鳴らしただけだった。否定はしなかった。
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束を抱えたメルが板の脇で頁を開いた。
「残っているのは一回です」
「一回だね」
「一回です。日はまだ決めていません」
「今日決めるの」
「決めません。数だけ置きます」
メルは頁を押さえた指をそのままにした。
「今日は数のほうが大きく聞こえますので。大きく聞こえる日に決めると、後で数のせいにされます」
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箱を分けることになったのはそのあとだった。
クラウが言った理由は短かった。
「三つ並べたままにしておくと、次に光った時に、また光ったとしか書けん」
「分けるとどうなるの」
「どれが光ったかが残る」
ウーゴが戸口から入ってきた。脇に板きれを一枚挟んでいる。棚の脇の壁へ当てて指で高さを見た。
「ハコ、ハナス」
「離すんだって。どれくらい」
「テ、ヒトツ」
「近くない?」
「トオイト、ミニイクノヲ、ワスレル」
ウーゴは棚と同じ高さで打ちつけた。据わりを二度確かめてから手を引いた。
「ヌノ、シク」
「布?」
「サワルト、アトデ、サワッタカ、ワカラナクナル」
光る箱は布の上へ移された。持ち上げたのはライで、動かした刻をその場で書いた。
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ソウが名簿を開いたまま来た。
「下は増やさないわ。これは上よ」
「上なんだ」
「上だから別に書くの。同じ欄へ入れたら、下が増えたことになるでしょう」
筆の先が当番の欄の下で止まった。
「昼はスラね。夜は人がやるわ」
「スラは夜入らないもんね」
「入らないわ。昼に寝かせる係だもの。夜まで入れたら、寝かせるほうが寝られなくなるでしょう」
エルクは棚のほうを振り返った。
「昼だけでいい?」
『昼だけで足りるッス。夜も見ろって言われたら断るッス』
「断るんだ」
『断るッス。おいらが倒れたら、昼に寝る人が減るッスからね』
「昼は見てくれるって。夜は駄目だってさ」
「それでいいわ」
ソウは一行だけ書き足した。
「読む人が下と混ぜないように、上と書いておくわ」
「ウルはどうするの。ずっと棚の前にいるんだけど」
「載せないわ。載せたら番になるでしょう。番にしたら、あの子が抜けたい日に抜けられなくなるもの」
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夜の当番は戸の内側へ腰かけを置いて座った。
ライは新しい紙の上へ今日の振れを書いた。一日目の行だった。
『明日も同じ刻に測ります』
「同じ刻じゃないと駄目なの」
『刻が違うと、下がったのか私が遅れたのか分かりません』
「毎日?」
『毎日です。……止めた日から後は、光っていたのかどうかも分からなくなります』
エルクは戸の枠に寄りかかって外を見た。
雪は降っていない。板の前の灯りが一つだけ揺れている。
「ねえ」
「なんだ」
「冬のやつだけどさ」
クラウの筆は止まらなかった。
「……早いほうがよくない?」
答えは返ってこなかった。
名簿を抱えたソウも、束を提げたメルも、戸の内側から動かなかった。クラウの写し帳は開いたままだった。
布の上の箱は薄く光ったままだった。
ウルが顔を上げて、一度だけ主のほうを見た。




