第176話 荷札の印
物置の戸は下のほうが凍りついていた。
ドレクが足の裏で二度蹴ってから引いた。土間へ雪の粉が落ちる。秋の終わりに運び入れた荷が、奥の梁の下まで積んである。
「昨日のやつ」
「どれだよ」
「荷札」
ドレクは返事をしないで、いちばん手前の荷の縄をほどいた。ほどきながら顎で樽のほうをしゃくった。
「そこの筵どけろ」
筵の下から平らな面が出た。そこへ木の札が三枚並んだ。
字は一枚も書いていない。
一枚目は縁が二か所欠けている。二枚目は三か所。三枚目は欠けが一つで、真ん中に丸い焼き跡があった。
「これでどれが誰か分かるの」
「分かるだろ」
「分かんないよ」
「分かるって」
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エルクは一枚目を裏返した。裏にも何も書いていない。指の腹を欠けのところへ当てて滑らせた。
「これ、便利だね」
「便利とかじゃねえよ」
ドレクはほどいた縄を腕へ巻き取った。
「こうしねえと渡らねえんだよ。おれ字が書けねえもん」
「渡すほうも書けないの」
「書けるやつのほうが少ねえよ」
エルクは三枚を並べ直してから、また一枚目を持ち上げた。
「二か所欠けてるのは誰なの」
「炭焼きのとこの爺さんだ」
「なんで爺さんだって分かるの」
「爺さんのだからだよ」
説明はそこで終わった。ドレクは荷の底からもう一枚引き抜いて、樽の上へ足した。四枚目は欠けが三つで焼き跡が線一本だった。
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クラウが来たのは、エルクが二度目に呼びに走ってからだった。
入るなり息を吐いて、樽の上を上から見た。手はしばらく出さなかった。
「どれが古い」
「右のだ」
「なぜ分かる」
「焼きが薄れてんだろ」
「これを間違えたことは」
「あるわけねえだろ」
「一度もか」
「一度もだよ。間違えたら荷が消えるんだぞ」
ドレクは残りの縄を取りに外へ出ていった。戸のところで雪を蹴る音がした。
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奥で薄片を数えていたダクトが、荷の陰から出てきた。
「切り欠きは数で分けますな」
「数か」
「数ですぞ。二つと三つは暗がりでも指で分かりますからな」
「焼き印のほうは」
「形で分けますぞ。丸と角と線が一本。三つより増やすと擦れたときに互いに似ますな」
クラウは写し帳を膝の上で開いた。
「字を書ける者どうしなら名を書けばいい」
「書けばいいね」
「書けん者どうしでも渡っておる。しかも渡し手が分かる」
筆が動いた。三行ほど入れて止まった。
「名は一字も無い」
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庇の下の卓には紙が広げてあった。
ライは新しい一枚に短いのと長いのを並べて書いていた。
『音は二つしかありません』
「二つ?」
『長いのと短いのです。強く打っても弱く打っても、紙の上では同じ跳ね方になります』
「強さは使えないんだ」
『使えません。冷えると針が鈍ります』
細い指が並びの上を進んだ。
『一つなら二通り。二つなら四通り。三つなら八通りです』
「ぜんぶで」
『十四です』
「多いね」
『多くありません。一つだけのものは落とします』
「なんで」
『去年から来ている短いのと見分けがつきません。あちらの欄はまだ空いています』
残ったのは十二だった。
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薪を抱えた若い男が卓の前で立ち止まった。
「十二も覚えられねえよ」
「自分のだけでいいって」
「誰の話だ」
「ライが言ってる」
男は薪を抱え直した。
「聞くほうはどうすんだよ。十二ぜんぶ覚えるのか」
「板を見ればいいんだって」
「見に行くのかよ。打ってる最中に」
「聞いてから見るんだよ。書いてあるから」
男はまだ納得しない顔だった。
「三つも打たれたら前のを忘れるぞ」
「三つまでだ」
クラウが顔を上げずに言った。
「三つ以上の音は皆間違える。長くしたぶんは覚えられん」
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薪割り場の裏で試した。
ライが紙を抱えて庇の下から移ってきた。台の脇へ置いて、打つ数だけ先に書いておく。
スラが分身を三つ出して、薪の台をそれぞれ叩く。エルクと男は山の反対側に立った。
『やるッスよ』
「いいよ」
一度目は当たった。二度目も当たった。
三度目で二人とも外した。四度目も外した。
『四度のうち二度です』
「半分だね」
『外れたのは、頭の二つが同じで終わりだけ違うものです』
「終わりを聞いてないんだ」
『聞いていません。人は頭を覚えて、そこで数え終えます』
「じゃあ頭を全部ちがうやつにすればいいじゃん」
『できません。頭も長いか短いかの二つしかありません』
男が薪の山の上へ腰を下ろした。
「詰まったな」
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薪の山の上にアラーネの糸が二本張ってあった。細いのと太いのが端のところで交わっている。
「聞こえてたわよ~」
「アラーネ。詰まってるんだ」
「結び目はね、数えるためについてるんじゃないのよ~」
糸の先が薪の端で揺れた。
「どこで結んだか分かるためのものよ~」
「どこで」
「そうよ~。同じ数の結び目なんていくらでもあるわ~。でも手が止まったところは二つと同じにならないのよ~」
ラネが薪の隙間から出てきて、太いほうの糸へ登った。登りながら三度だけ手を止める。止めたところに結び目ができた。
「みっつよ!ぜんぶちがうところ!」
「場所のほうが残るんだ」
「そうよ!」
ライの筆が止まっていた。
『間を置きます』
「間?」
『打ち手のぶんを先に打って、そこで一つ間を空けます。用件はそのあとです』
「先に打つんだ」
『先です。どこから始まったかが分かれば、終わりまで聞けます』
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試し直しは薪の山を挟んだまま続いた。
六度打って六度とも当たった。男は途中から数えるのをやめて、当てるだけになっていた。
『頭の二つが同じ組は、それでも二度に一度外れます』
「落とすの」
『片方ずつ落とします。二組で二つです』
「残るのは」
『十です』
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板の前に人が集まったのは日が傾いてからだった。
ソウは板の左の欄を筆の柄で押さえていた。
「下へ入るのは八人よ。冬のあいだはそれだけ」
「竜のぶんは」
「入れるわ。入口の外で打ってるもの」
「九つだね」
「九つよ」
ソウは押さえていた柄を離した。
「一人ひとつよ。二つ持ったら、どっちで打ったか分からなくなるでしょう」
「増やしたくなったら?」
「増やさないわ。増やすなら人を減らすほうが先よ」
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ウーゴが板きれを抱えて坂を上がってきた。
「カズ、イクツ」
「九つ」
「ホル」
膝をついて、板の面ではなく縁のほうへ刃を当てた。名前の並びの脇に短い欠きが入っていく。深さは指の腹で分かるくらいだった。
「欄を足す場所が無いって言ってたよね」
「言うた」
「これ、欄じゃないもんね」
「欄ではない。……縁だ」
クラウは削り屑を手のひらで受けて、脇へ落とした。
「板に無い印は通さん」
「通さないんだ」
「印は板が持つ。持たせておけば、うちの誰が持ち歩こうと元は動かん」
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ドレクは輪の外から見ていた。荷を運び終えたあとで、背負子は下ろしてある。
「言っとくけどよ」
「うん」
「荷札は落とすと困るぞ」
「落とすと?」
「拾ったやつのになる。字が書いてねえんだからな」
クラウは板の縁の欠きを親指でなぞってから、手を離した。
「だから板が持つ」
「そういうことか」
「そうだ」
ドレクは板の右の端をちらと見た。上のひとつは自分の字だった。
「おれは打たねえよ」
「打たないね」
「打たねえ者に印は要らねえだろ」
「要らないみたい」
ドレクは背負子を担ぎ直して坂を下りていった。止めた者はいなかった。
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九つを配ったあとで、十番目が一つ残った。
ライがそれを板の下のほうへ書いた。字ではなく、長いのと短いのを並べた形だった。
『使いません』
「余ったから?」
『余りました。ですが消しません』
クラウが横から筆を足した。使い道が無い、と短く入れる。
「白いままだと、これは何だと訊かれる。訊かれた者がその場で決める」
「決めちゃうんだ」
「決めたやつは、余っておったから決めたと言う。悪気は無い」
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日が落ちてから、エルクはもう一度板の下へ戻った。
灯りを近づけると、名前の脇の欠きの底に影が入って数が読めた。二つ。三つ。二つと一つ。指で触っても数えられた。
クラウは灯りを板の右の端へ動かした。
下の空きには冬二回ぶんの名が入っている。上の三行だけが持ち場のままだ。ぬる。まいばん。かわりなし。
「あの人のは」
「無い」
「一つ余ってるじゃん」
「並びは余っておる。……脇に書く名が無い」
「知らないもんね」
「知らん」
エルクは灯りを下ろさなかった。
板の左では名前の脇に欠きが並んでいる。右の端では名が二つ並んで、どちらの脇も空いたままだった。




