↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
辺境の村のモンスターテイマー  作者: スルメイカ
第六部・来なくなった者/渡し切れない持ち場編
179/248

第175話 拍には名乗りがない

 庇の下へ卓が出してあった。


 朝のうちに雪をよけたので足元の土は乾いている。日は当たるが風は通る。


 卓の上には紙が四枚並べてあった。去年の冬に書いたものが三枚と、昨夜の器の紙が一枚。


 ライが端をそろえてから並びを直した。


『左から古い順です』


「読みやすい順にしないの」


『古い順のほうが後で足せます。あいだへ入れると前の順が崩れます』


 写しの束を抱えたダクトが庇の下を通った。


「今日は運びますぞ」


「変わったんだ」


「変わりましたな。変わった日は運びます」


 束は四つに分けてある。板と会議と記録の間の入口と、下のぶん。


「下のも運ぶんだね」


「運びますぞ。下にいる者がいちばん遅く知るのは、よろしくありませんからな」


---


 桶を提げたケインが卓の脇で足を止めた。


 昨夜のことをまだ引きずっている顔だった。桶は下ろさずに持ったままでいる。


「ひとつ言っていいっすか」


「いいよ」


「名前って名乗れねえんすよね。去年そう決まったっす」


 クラウの返事は短かった。


「決まった」


「声は真似られても名は名乗れねえ。名乗ったら本人が違うって言えるからっす」


「そうだ」


「じゃあ拍も同じじゃねえんすか。偽れねえはずっすよ」


 ケインの言い方に迷いはなかった。去年その一言で夜を一つ止めた男の言い方だった。


 クラウは筆を置いた。


「同じではない」


「なんでっすか」


「名は誰かのものだ。拍は誰のものでもない」


---


『続けてよろしいですか』


 ライが紙の一枚を前へ押し出した。長短の並びが四種類書いてある紙だった。


『これが分類です。長いのと短いのと、間の空いたのと詰まったの。四つです』


「それ、去年ライが作ったやつだよね」


『作りました』


 細い指が四つの並びを順になぞった。なぞり終えてから止まった。


『私の分類には打った者の欄がありません』


「無いの」


『ありません。四つに分けたのは音の長さだけです』


 エルクは紙のほうへ顔を近づけた。長さと間しか書いていない。字はどこにも無い。


『長さは誰が打っても同じ長さになります。間も同じです』


「まねできちゃうんだ」


『まねという言い方も合いません。同じものを打てば同じものです』


「長さと間しか書いてないんだって。誰が打ったかは、どこにも入ってないんだよ」


 ケインが桶をようやく下ろした。


「……違うって言うやつが要らねえってことっすか」


 エルクはライの手元をもう一度見てから、ケインのほうを向いた。


「そう。要らないんだって」


「名前は違うって言うやつが居るから偽れねえ。拍は居ねえから偽れる」


「そうなるって、ライが」


---


 クラウは三枚のうち真ん中の一枚を引き寄せた。


 去年の冬に書いた三行だった。声に出して上から読んだ。


「渡すときは渡した先の名を言う。受け取った者は受け取ったと名で言う。休みは当番と同じ欄に書く」


 読み終えて指を止めた。


「うちの決まりは名でできておる」


「ぜんぶ名前だね」


「ぜんぶだ。渡すのも受け取るのも名だ」


 庇の外の雪が屋根から少し落ちた。


「……あれには名が無い」


 誰も次を言わなかった。


 クラウは三行の紙を元の位置へ戻した。戻してから位置を少し直した。


「三行は間違っておらん。うちの者どうしなら回る」


「回ってるもんね」


「回っておる。壁の向こうだけ回らん」


---


 薪割り場のほうで音が続いていた。


 丸いのが台の上で伸び上がって、また縮んで割っている。分身は三つとも別の束にかかっていた。


『聞こえてたッス』


「聞こえてたんだ」


『卓が近いッスからね』


 スラは割ったぶんを脇へ寄せてから伸び上がった。


『薪割りは名乗らなくていいッス』


「そうだね」


『誰が割っても薪は薪ッス。割った量だけ残るんで、名前は要らねえッス』


 伸びたぶんが少し下がった。


『……でも拍は名乗らなきゃ駄目ッスよね』


「駄目だね」


『同じ音を鳴らすだけの仕事なのに、名前が要るんスか』


「要るみたいだよ」


 スラは丸いところに戻って、また割りはじめた。


『変な仕事ッス』


---


 頭の上で板屋根が一度きしんだ。


 グリフは翼をたたんでから首を下ろした。風切羽の先が濡れている。


『下の話か』


「うん」


『空でもそうだ。鳴き声は真似られる』


「真似できるんだ」


『できる。若いのが練習してよく怒られておった』


 嘴が坂のほうを向いた。


『だが誰が鳴いたかは分かる』


「なんで分かるの」


『どこにおったかで分かる。空は場所が広いぶん、居場所が名の代わりになる』


 エルクは段の口のほうへ目を動かした。


「ウルがやってるのと似てるね」


「似ておる」


 クラウが横から答えた。


「入った者と出た者を数える。数えた者がそこに居るから数が名の代わりになる」


「じゃあ下でも——」


「下には数える者がおらん。壁の向こう側に立てる者がおらんからだ」


 グリフは翼を開いてから、いったん閉じ直した。


『俺が言えるのはここまでだ。下は飛べん』


---


 板の前には人が集まっていた。


 昼のあいだに話が回ったらしく、当番でない者も混じっている。ソウは板の右の端の前で腕を組んでいた。


 綱を肩に掛けた若い男が先に口を開いた。


「しばらくやめたらどうだ。打つのを」


 誰も笑わなかった。


「こっちが打たなきゃ、あっちに届くのは全部よそのやつだろ。混ざらねえ」


「混ざらないわね」


「なら分かるようになるじゃねえか。今は混ざってるから分かんねえんだろ」


 男の言い分に穴は無かった。ソウも穴を探さなかった。


 輪の端でミナが板きれを抱え直した。


「でもあの人、やめられないんだよ」


「あの人って誰だ」


「……いえないの」


 男は言い返さなかった。前に同じところで止められた男だった。


「こっちがやめたらね。あの人だけつづけることになるよ」


「一晩くらい休めばいいだろ」


「三百年やってたんだよ」


 ミナの声はそこで一度切れた。


「去年やっとひとつうまったの。やめたら、またこないひとになるよ」


---


 ソウが腕をほどいてエルクのほうを向いた。


「去年あんたが言ったやつよ」


「なんだっけ」


「覚えてないの」


「覚えてないよ」


 クラウが写し帳を繰った。冬の初めの頁で手が止まる。そこにある一行を、書いたときのまま声にした。


「知りたいって言ってる人が上にいるあいだは、やめようって思えないんじゃないかな」


 読み終えてから、筆の先でその行の頭を指した。


「お前の言葉だ。俺が書いた」


「……僕そんなこと言ったんだ」


「言うた」


 輪の中は静かだった。綱の男は肩の綱を掛け直しただけで何も言わなかった。


 人の足のあいだから小さいのが前へ出てきた。護符の紐を握っている。


 ノノは板を見上げてから言った。


「へんじがなくても、たたきつづける」


 それだけ言って、また下がった。


 誰もその先を訊かなかった。訊いても続きは無いと皆が知っていた。


---


 人が散りかけてから、エルクは卓のほうへ戻った。


 紙は昼のときと同じ並びのままだった。


「ライ」


『はい』


「あのさ。あの人からしたらさ」


『はい』


「ずっと僕らだと思ってるんだよね」


 ライの指が紙の上で止まった。


『昨夜のぶんは、そうなります』


「昨夜だけじゃないよ」


『……といいますと』


「三つ目みたいなのが前にもあったかもしれないじゃん。数えはじめる前のやつ」


『あります。数えはじめる前のことは、私の紙にはありません』


「じゃあ全部だ」


 エルクは卓の縁に手を置いた。置いてから、そこを見ていた。


「あの人さ。間違えたことにもならないんだ」


『なりません』


「間違えたって思うこともできないんだ。誰が来たか訊く形が無いんだから」


『ありません』


 ライは膝の上で手を重ねた。


『こちらが打ったものも、こちらのだと言えていません』


「そっちもか」


『そうです。私たちは名乗ったつもりで三百年ぶんの返事を受け取っています』


---


 段の口の脇で黒銀が伏せていた。


 昼のあいだ一度も立っていない。耳だけがずっと卓のほうへ向いていた。


「聞いてた?」


『聞いておった』


「なんか言うことある?」


『ある』


 尾の先が一度だけ雪を払った。


『我は数を数えておる。数は誰が数えても同じ数だ』


「うん」


『だが、我が数えたと言えるのは我が口におったからだ。数のほうに我の名は入っておらぬ』


「……そうだね」


『名は打つ者が付けるものではない。居る者が付けるものだ』


 エルクはしゃがんで黒銀の前脚の横に手をついた。


『主。今日は決めるな』


「決めないよ」


『決めたくなっておるだろう』


「……なってるかも」


『なっておる』


---


 日が傾いてからメルが束を持って出てきた。


 板の前で開いて、指で二か所を押さえる。


「下は二人のままです。増やしません」


「増やしたら足りなくなる?」


「足りなくはなりません。冬は外の仕事が減りますので、枠のほうには余りがあります」


「じゃあ、なんで増やさないの」


「増やす理由が数のほうに無いからです」


 もう一枚めくった。


「二人のうち一人は器の前に残ります。残ったほうが打った刻をその場で書きます」


「上がってから書いてたやつだね」


「上がってからだと、覚えている刻を書くことになります」


 ソウが板の左の欄へ筆を入れた。当番の名前の脇に細い字が並ぶ。


「器の前と壁の前。二人で分けるわ」


「一人で下りるのは?」


「無しよ。前から無しだけど、今日から書いておくわ」


 ダクトが器の話を聞きつけて庇の下から顔を出した。


「器のほうは動かしておりませんぞ。人が居る刻と居らん刻が、これで分かれますな」


---


 クラウは写し帳を開いたまま卓の上へ戻した。


 冬の頁に三行ほど足して筆を止めた。


「これで分かるのは、こちらが打った刻だけだ」


「ほかには分からないんだ」


「分からん。器の前に誰も居らん刻は残る。夜は長い」


「じゃあ意味ないの」


「ある。こちらのぶんが減れば、残るぶんが浮く」


 筆の腹を紙の端で拭った。


「今までは打てるようにする話だった。……今日から、打ったのが誰か分かるようにする話だ」


「同じじゃないんだ」


「ちがう。まるでちがう」


 エルクは板のほうを見上げた。欄の名は四つとも去年つけたものだ。


「その欄って、どこに作るの」


「紙には足した」


 クラウは書きかけの行へ目を戻した。


「板には欄を足す場所が無い。……無いから困っておる」


---


 夕方になって坂の下から荷が上がってきた。


 冬のあいだ動かしていなかった荷を物置へ移す日だった。ドレクが背負子を下ろして息をついている。板の右の端に名が残ったままの男だった。


 エルクは通りかかって足を止めた。


「重い?」


「重いに決まってんだろ」


 ドレクは縄をほどきながら、卓のほうへ顎をしゃくった。


「昼の話、聞こえてたぞ」


「うるさかった?」


「うるさかねえよ。板の前でやってりゃ耳に入る」


 結び目がひとつほどけて、荷の口が開いた。


「名前が無えと誰が渡したか分かんねえって話だろ」


「そうだよ」


「あれ、そんなに難しい話か」


 エルクはうまく返せなかった。


 ドレクは荷の口に垂れている小さな木の札を指で弾いた。字は書いていない。縁が二か所ほど欠いてあるだけだった。


「荷札って名前じゃねえけどよ」


 弾いた札が縄の上で二度揺れた。


「間違えねえぞ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。