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辺境の村のモンスターテイマー  作者: スルメイカ
第六部・来なくなった者/渡し切れない持ち場編
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第174話 誰も打っていない拍

 灯りは卓の端へ寄せてあった。


 二枚は並べ終わっている。左が器の紙で右が当番の名簿だった。どちらにも刻の線が横に入っている。


 クラウは指の腹で左のほうを追った。追いながら訊いた。


「内訳を言え」


『昨夜下りたのは二人です。宵にひとりと中夜にひとり』


「名簿もそう書いてある」


『打った刻も二つ入っています。当番の紙とそろいます』


 指が止まった。


『器の紙には三つあります』


 クラウは紙から目を上げなかった。


「打って、書かずに戻った者がおるだけだ」


『それでしたら、朝に名乗ります』


「名乗らん者もおる」


『名乗らなくても、下りた者の数が一つ増えます』


 腕を組んでから、しばらく口をきかなかった。


「……階段の口には誰がおった」


『ウルです』


---


 戸が開いて雪の粉が床へ散った。


 エルクは肩を払いながら卓のところへ来た。灯りの脇へ手をかざしてから紙を覗きこむ。


「どれが拍なの」


『長く続いているほうが塗りです』


「ずっと線になってるやつだね」


『はい。拍はこちらです。束になって跳ねます』


 紙の上に跳ねの塊が三つあった。


 一つ目と二つ目のあいだは長い。二つ目と三つ目のあいだも長い。三つとも同じくらいの大きさに見えた。


「どれも同じに見えるよ」


『間の空き方が違います。宵のと中夜のは当番の形です』


「三つ目は」


『三つ目も当番の形です』


 エルクは顔を上げた。


「じゃあ誰か下りたんじゃん」


『下りていれば名簿に入ります』


「書かないで戻ったのかも。寒いとさ、手がかじかんで——」


「合わんことを合うように読むな」


 クラウは灯りを卓の真ん中へ戻した。


「合うように読めば書き落としが一つ増えて終わる。それで終わらせたら、次に同じことが起きた時も書き落としだ」


「うん」


「二度目からは誰も数えん」


---


 段の口の脇はいちばん風の通るところで、黒銀はそこに背を丸めていた。灯りを近づけると耳だけが動いた。


『昨夜か』


「うん。数、聞いていい?」


『下りたのが二で上がったのが二だ。宵にひとり、中夜にひとり』


「それだけ?」


『それだけだ』


「あいだに誰か通らなかった?」


『通っておらぬ』


 ウルは前脚を組み直した。


『我は口におった。夜のあいだ一度も離れておらん』


「眠くならなかった?」


『なった。なったが数は口で言うておった。……眠りかけた者は数を言えぬ』


 エルクはうなずいた。


『主。我が数え落としたかと聞け』


「聞いてないよ」


『聞いてよい。我も数えるだけの者だ』


「ウルが数え落とすとこ、見たことないよ」


『見たことが無いのと、無いのは違うぞ』


---


 卓へ戻ると、ライは紙を送って待っていた。


『続きがあります』


 束の上のほうへ細い指が伸びた。


『三つ目のあとに返しがあります』


「返してるの」


『返しています。いつもと同じ返し方です』


 エルクは卓の縁を掴んだ。


「……いつもと同じなんだ」


『同じです。宵のときも中夜のときも三つ目のときも、返しの形は変わっていません』


 灯りの芯がひとつ跳ねた。


「じゃあ、あの人……返事しちゃったの?」


『返事です』


「僕らだと思って?」


『そこまでは読めません』


 ライは束の端をそろえた。


『あちらから見て何が違うのかは、私には言えません』


---


 段は途中から冷たくなる。


 記録の間の入口には低い腰かけが一つ増えていた。その脇に器が据えてある。針は細かく振れていた。


 壁の向こうで塗る音がしている。途切れそうになっては同じ調子で戻った。


 梁の下からアラーネの糸が下りてきた。


「昨夜のことよね~」


「乗った?」


「乗ったものは覚えてるのよ~。……昨夜は何も乗ってないわ~」


「上のほうも?」


「上も下も何も乗ってないわ~。虫も落ちてないのよ~」


 低いほうの糸をラネが伝ってきた。糸の途中を指で押さえてみせる。


「結び目、ぜんぶあったわよ!十六よ!」


「増えても減ってもないんだ」


「数えたもの!」


---


 器の脚のところでダクトが薄片を差し直していた。


「据えたままにしてありますぞ。誰も居らん刻の数も残りますからな」


「昨夜のも残ってたね」


「残りましたな。……残ったせいで困っておるようですが」


「困ってるよ」


「朝には紙を運びますぞ。昨夜のぶんは変わっておりましたからな」


---


 エルクは器の横へしゃがんだ。


 壁は目の高さより上まで黒い。腰かけをどけたままにしてあるので、低いところの黒も見えている。膝は引いた。手は膝の上に置いたままにした。


「ライ」


『はい』


「昨夜のは僕らじゃないよって、どうやって打つの」


 ライの指が止まった。


『打ち方がありません』


「無いんだ」


『違うと打つことはできます。ですが、そう打っているのが誰かは、あちらには分かりません』


「僕らかもしれないんだ」


『そうなります』


 壁の音は変わらなかった。塗る手は昨夜と同じ調子で動いている。


 こちらが誰なのかを、あちらは一度も訊いていない。訊かれていないのに、返事のほうだけが続いている。


 エルクは壁のほうを見たまま、しばらく手を上げなかった。


---


 朝の板の前は人がいつもより多かった。


 ソウは名簿を抱えて立っている。


「増やすのかよ」


「増やさないわ」


「二人じゃ足りねえから起きたんだろ」


「増やしても、打ったのが誰かは分からないままだわ」


 エルクは板の右の端を見上げてから口を開いた。


「ねえ。冬のやつの日さ」


「決めないわ」


「まだ何も言ってないよ」


「顔に出てるわよ」


 ソウは名簿を抱え直した。


「早めても遅らせても、決めるのはメルと私よ。あんたは今日それを考えなくていいの」


---


 炭の袋を提げた男が板の脇から言った。


「気のせいってことはねえのか」


「器が跳ねただけかもしれねえだろ。冷えるとさ、木も鳴るぞ」


 紙を抱えたライが輪の外で顔を上げた。エルクはそちらを見てから、男のほうへ向き直った。


『鳴ります。誤りかもしれません。誤りかもしれないと書きます』


「鳴るって。まちがいかもしれないって、そう書くんだって」


「書くのかよ」


『誤りだったと後で分かったときに、いつ誤ったかが要ります』


「あとでちがってたって分かったときにさ、いつまちがえたかが要るんだよ」


 男は袋を提げ直した。それ以上は言わなかった。


---


 ケインは輪の外にいた。人が散りかけてから近づいてきた。


「宵のは、おれっす」


「打ったんだ」


「打ったっす。下りて、最初のやつを打って、しばらく待って上がったっす」


「どれくらい待ったの」


「数えてねえっす。……いつもより長かったのは確かっす」


「なんで長くなったの」


「返るまで動きたくねえんすよ。動くと濁るって聞いてるんで」


「返ってきた?」


「返ってきたっす。いつもの」


 ケインは足元へ目を落とした。


「三つ目はおれじゃねえっすよ」


「うん」


「……でも、おれじゃねえって、どうやったら分かるんすかね」


 答えられる者はそこにいなかった。


 ケインは当番小屋のほうへ行った。


---


 卓へ紙を戻してから、ライが新しい線を一本引いた。


 紙の端が細く割れて、縦長の欄が一つできた。


『打った者を書く欄です』


「名前を書くの」


『名前です。刻の隣に、打った者の名を書きます』


 ケインが自分の刻のところへ字を入れた。中夜のほうは当番の若いのが書いた。


 三つ目の行の前で筆が止まった。


「そこは?」


『書けません』


「空けとくの」


「空にするな」


 クラウが横から言った。


「空は後から埋まる。書けんときは書けんと書け」


 ライは三つ目の行へ短く入れた。


 書けません。


『これで、書けない行が一つある紙になります』


「増えたら?」


『増えたぶんだけ並びます。並べば数えられます』


---


 クラウは膝の上へ写し帳を移した。


 冬の頁の下に空きがあった。筆の先を硯の縁で二度こすってから、書き出しの一字を置いた。


「なんて書くの」


「昨夜の拍を打った者は分からん、と書く」


「それだけでいいの」


「それだけだ。分かったふりを書くと、次に読むやつが探すのをやめる」


 半分ほど書いたところで手が止まった。


 クラウはライの引いたばかりの欄のほうを見ていた。


「……名を書く欄を足したな」


「足したね」


「当番の紙に名が入る。板にも入っておる。名簿にも入っておる」


 筆の先から墨が一滴落ちて、頁の端が黒く滲んだ。


「拍には、名乗りが無い」


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