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辺境の村のモンスターテイマー  作者: スルメイカ
第六部・来なくなった者/渡し切れない持ち場編
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第170話 知らないまま書いた名

 朝のうちに雪をどけたので、広場の真ん中だけ地面が見えていた。


 板の前は誰も踏まない。留め金は二つ、縦線は四本。左から当番、休み、従魔の持ち場と続いて、いちばん右がうちの者でない者の持ち場だった。


 ソウは板の下にしゃがんで名簿を膝に載せていた。冬にもう一回ぶんの名前を合わせている。前の晩から字は一つも動いていない。


 エルクは雪を踏んで横に立った。


「まだ決めないんだね」


「決めないわ」


「メルがそう言ったから?」


「言ったわ。それに私も決めたくないの」


---


 坂の上から黒銀が下りてきた。毛の先に雪が乗っている。


『交代した』


「誰と?」


『鱗の若いのだ。名を言うて上がっていった』


 ウルは板のほうへ首を回した。


『合うたのは十三日だ』


「十三日ぶん合ってるんだ」


『渡した先の名と、受け取った者の名がそろっておる。ずれた日は無い』


「すごいじゃん」


『すごくはない。書いてある通りにしただけよ』


---


 ライが下から上がってきた。束は落とさないように胸の前で抱えている。


『器の紙です。昨夜のぶんを持ってきました』


「濃さは」


『変わりません。毎晩ひと刻ずつ延びています。数の通りです』


「あの短いのは」


『来ていません』


 ライは束を卓の上でそろえた。


『あれきり一度もです。……欄が空いたままです』


「空でも書いとくんだよね」


『書きます。来なかったと書ける欄は、去年のうちに引いてあります』


「急がないって言ってた声も、いまは何も言わないね」


『言いません』


---


 ダクトが紙を抱えて卓へのぼった。


「写しですぞ。板と会議と記録の間の入口と、下の四枚目」


「ぜんぶ同じこと書いてあるんだよね」


「同じですぞ。違っていたらどれかが古いということですな」


 庇の下では大きいのが脚立に乗っていた。留め金のひとつを指で押している。


「カネ、ユルイ」


「打ち直すの」


「シメルダケ」


 ウーゴは脚立を下りて道具の袋を担ぎ直した。


「シタ、イク。コシカケ、ガタガタ」


「据え直すんだ」


「ナオス」


---


 空のほうで羽音がした。


 グリフは庇の端へ下りて翼をたたんだ。


『今朝は一度鳴いた』


「なんかいたの?」


『いなかった。庇の雪が落ちただけだ』


 嘴が板のほうを向いた。


『鳴いてしまったのだから書け』


「間違いでも書くんだ」


『書く。数が合っておらんと、後から読む者が数えた者を疑う』


---


 アラーネの糸が柱を伝って下りてきた。


「結び目がひとつ多いのよ~」


「多いのはまずくない?」


 ラネが束を抱えて庇の下から出てきた。


「一段下げたぶん、昨日私が足したの!ちゃんと書いたわよ!」


「書いてあれば多くないのよ~」


---


 卓の脚を回り込んでスラが出てきた。


『今朝は聞かれる前に決めといたッス』


「割り振り?」


『はいッス。……ゆうべのうちに二人とも決まってたッスからね』


---


 板の前でドレクが足を止めたのは、日が高くなってからだった。


 右の欄には名前が二つ並んでいる。上のひとつは自分で書いた字だ。


「これ、なんの当番なんだ」


 筆が止まった。


「二回目のぶんよ」


「それは聞いた。なんの当番かって聞いてる」


 ソウは板のほうを見ていた。


 エルクが口を開きかけて、そのまま閉じた。


 ドレクは毛皮の襟を下ろした。


「壁がどうとか言ってただろ。壁の何なんだ」


「……言えないの」


「名前をか」


「名前じゃないわ。ぜんぶよ」


 薪を抱えたケインが通りかかって足を止めた。しばらく聞いてから、抱え直して口を開いた。


「なんの当番か言えねえんすよ、おれ」


「あんた去年から下りてるんだろ」


「下りてるっす。ぜんぶ見たっす」


 薪の端で雪が落ちた。


「見たけど言えねえっす」


「なんでだ」


「言わねえって決めたからっす」


 ドレクは黙った。怒った顔ではなかった。


 ケインのほうが先に耐えかねてソウを見た。


「……言わねえって決めたのは、こっちっすよね」


「決めたわ」


 それで止まった。誰も間違ったことを言っていないので、誰も押し切れなかった。


 ドレクは襟を上げ直した。


「おれの名が書いてあるんだよな」


「書いてあるわ」


「なんの名かは知らねえまま書いたんだな」


 返す者はいなかった。ドレクはそのまま井戸のほうへ歩いていった。


---


 エルクが小屋の脇を通ると、陰で耳がひとつ動いた。


 ライオは丸くなったままだった。


『あの者は怒っておらぬ』


「怒ってなかったね」


『分からぬまま立つ者は、まず怒らぬ。怒るのは後だ』


「後っていつ?」


『続かなくなってからだ』


---


 ミナが板きれを抱えて広場を横切ってきた。


 膝に載せてから、しばらく開かなかった。


「みっつあったの」


「なにが」


「ミナの話」


 聞き手は三人いる。ドレクと、秋の終わりに移ってきた女と、その隣に座るようになった若い男だった。


「きのう話したこと、三人にもういっぺん言ってもらったの」


「言ってもらったんだ」


「ちがったの。ぜんぶ」


 ミナは指を折った。


「ひとりは、地下に病気のモンスターがいるって言ったの」


「うん」


「ひとりは、壁が崩れかけてて押さえてるって」


「うん」


「ひとりは、昔の国の亡霊を鎮めてるって」


 指が三本のまま止まった。


「ミナ、うそはひとつも言ってないよ」


「うん。言ってないと思うよ」


「言わないって決めた話がある、ってところまでは話す。……そこまでしか言ってないもん」


 板きれを膝の上で回した。


「そこから先を、みんな自分で埋めてた」


---


 そのすこし後にクラウが来た。写し帳は小脇に挟んだままだった。


 エルクは三つを順に話した。話してから頭のうしろを掻いた。


「みんな、ちゃんと考えて埋めてくれてるんだよね」


「考えておるな」


「病気なら医者を呼ぶでしょ。崩れかけてるなら普請だし、鎮めるなら手を合わせるじゃん。……どれもちゃんとしてるよ」


 しばらく黙った。


「……それで三つとも違うんだ」


 クラウは切り株へ帳を置いた。


「直すか」


「直せるの」


「直せる。三つとも違うと言えば済む」


 筆の尻で頁を叩いた。


「そのあと何を言う」


 エルクは答えなかった。


「言えんのだ。正しい話をこっちが持っておらんのではない。持っておるが、渡さんと決めた。……渡さんと決めた側が間違いだけ指すのは、いちばん行儀が悪い」


「じゃあどうするの」


「並べる」


 クラウは新しい頁を開いて、縦に線を三本引いた。


「直さん。三つとも書く」


「書いてどうするの」


「三つあると分かる。それだけだ」


「それだけでいいんだ」


「よくはない。……だが直すより先だ」


 筆が動いた。病気の話と、崩れる壁の話と、鎮める話が、順に頁へ入っていった。誰が言ったかは書かなかった。


「誰が言ったかは書かないんだ」


「書けば、そいつが間違えたことになる」


---


 エルクは板のほうを見た。


「ねえ。二回目の日、決めちゃったほうがよくない?」


「なぜだ」


「日が決まってたら、なんの当番かも言いやすくなるかなって」


 クラウは筆を止めなかった。


「日はメルとソウのものだ。お前のものではない」


「そうだけどさ」


「そうだ」


---


 外の地面はそこだけ雪が寄りつかない。ドラゴは板の字が見える側へ首を置いていた。


『我の欄を見ておる』


「見てるね」


『拍を打つ、と書いてある』


「書いてあるよ」


『いつ打つかは書いておらぬ』


「まだ決まってないからね」


 喉の奥で低い音が鳴った。


『なぜ打つかも書いておらぬな』


「……書いてないね」


『我は聞いた。ゆえに知っておる』


 竜は板の右端のほうへ目を移した。名前が二つ並んでいる。


『あの二つは、聞いておらぬのか』


「聞いてないね」


『……では、字しか持っておらぬな』


---


 日が落ちる前に、階段の口から灯りがひとつ上がってきた。


 ウーゴだった。道具の袋も丸太も持っていない。手だけが白い粉で汚れている。


「コシカケ、ナオシタ」


「ありがとう。がたついてたんだよね」


「イシ、ドケタ」


 大きいのは階段の口のほうを指した。


「カベ、シタ」


「壁の下?」


「ヒクイ、トコロ」


 ウーゴは膝を折って、地面に近いところへ手をやった。立っている者の膝より下だった。灯りを掛ける高さよりずっと低い。


 エルクは灯りを持ち直した。


「なんかあったの」


「ヌッテアル」


「上と同じやつ?」


 大きいのは首を振らなかった。うなずきもしなかった。


 しばらく手を下げたままでいてから、低いところをもう一度指した。


「モウヒトツ、アル」

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