↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
辺境の村のモンスターテイマー  作者: スルメイカ
第五部・守るために隠す者/交代のない当番編
165/248

第161話 蓋をしていた者

 朝いちばんに降りたのは測り直しのためだった。


 入口の二人に名を告げる。書き終わるまで待つ間が、今朝から少し長くなっている。手がかじかんで字が遅い。


 記録の間の手前でライが器を据えていた。ゆうべ置いた場所から半歩ぶん壁へ寄せてある。


『昨日と今日で六度になりました』


「多くない?」


『三度では足りないと自分で書きました。書いた以上は足します』


 器の脇には数の並んだ紙が伏せてあった。ライはそれを裏返して灯りのほうへ滑らせた。


『濃さの並びが毎日同じです。いちばん濃いところが動きません』


「顔の真ん中じゃないんだよね」


『真ん中ではありません。もっと下です』


 壁には糸が二本張ってある。上の一本へアラーネが指を触れさせた。


「あらら~。今日も同じだわ~」


「同じって」


「重さよ~。上の糸は軽いの。下のは指ごと持っていかれるみたいに重いわ~」


 下の糸の端はラネが両手で握っていた。


「そっち引かないでよ! 測れないでしょ!」


「引いてないわよ~」


 アラーネは糸の腹を爪の先で弾いた。低いほうの音が長く残った。


「顔ぜんぶが重いんじゃないのよ~。口のとこだけ重いのよ~」


 ライは器を三つの高さへ順に当てた。針の触れ方をそのつど紙へ写している。


『目のあたりは薄いです。額も薄いです。輪郭はもっと薄い』


「口だけ厚いんだ」


『厚いです。三日ぶん合わないと書きました。……合わないものを合うように読むのは、今日でやめます』


 ライは器を胸へ抱え直した。


『これは顔を隠す蓋じゃありません』


「じゃあ何なの」


『名前を、言えなくしておく蓋です』


 エルクは壁を見た。黒いところは灯りを近づけると、近づけたぶんだけ奥へ沈む。


「名前って、隠すと何かいいことあるの」


---


 通路の奥で荷の擦れる音がした。ダクトが紙束を背に縛って降りてくる。その後ろにクラウがいた。


「上から三枚ですぞ」


「クラウが下で読むの」


「読むと言いましたのでな。紙は人より軽いですぞ。……人が三度上り下りするより、紙を一度降ろすほうが早いですからな」


 ダクトは束を腰かけへ置いてから、灯りの当たる側へ寄せ直した。


 クラウは紐に手をかけたまま、ライのほうへ顎を向けた。


「今のをもう一度言え」


『名前を、言えなくしておく蓋です』


 紐を解く手が止まった。


「……去年ケインは、何と言うて声を止めた」


「名前言えよ、って言ったんだよね」


「効いた理由を言えるか」


「言えないよ。僕そういうの苦手だもん」


 クラウは紙の端をそろえた。


「声色は真似られる。名は名乗れん。名乗れば本人が出てきて違うと言えるからだ」


「そうだね」


「では、違うと言える本人がおらん名ならどうなる」


 エルクは口を開けたまま少し黙った。


「……名乗れちゃうの」


「名乗れる。誰も否定できん」


 通路の石が下から冷えてくる。エルクは腰かけの端へ座り直した。


「門を開けた人の名前って、それだよね」


「それだ。あれを否定できる者はこの世におらん」


 クラウは壁のほうを見ないまま続けた。


「あの蓋は恥のためでも罰のためでもない。……着られんようにするための蓋だ」


「着る」


「服と同じだ。名だけ着て、中身は別のものが来る」


---


 地上は風が止んでいた。板の前へ人を集めたのはソウで、昼のうちに集めるのは冬に入ってから初めてだった。


 クラウが下で聞いたことを順に並べ終えると、ソウが板の欄から目を上げた。


「じゃあ、あれが手を止めたら、あの声は名前を名乗れるようになるってこと?」


「そうなる」


「……それだけなら、まだ名乗らせておけばいいわ」


「名乗るだけならな」


 クラウは板の二つ目の欄を指した。


「渡すときは渡した先の名を言う。受け取った者は受け取ったと名で言う。……うちの決まりは、名乗る者を信じる形で書いてある」


 ケインが椀を持ったまま一歩下がった。


「去年止まったのは、名無しだったからっすよね」


「名無しだった。次は名がある。あの人から預かってきた、と言われる」


 エルクは眉の上を掻いた。


「言われたら」


「うちの決まりでは受け取る」


 そこで話が一度切れた。


「否定できん名を一つ持たれたら、あの決まりはそのまま向こうの道具だ」


 メルが束の頁を押さえた。


「では、その名を知る者はうちで何人になりますか」


「少ないほどいい」


「じゃあ、いっそ先におれらが聞いちまうのはどうっすか」


 ケインは椀を置いて板の前へ出た。


「先に知って、こっちで封じちまえば向こうは使えねえっすよね」


「知った時点で、俺たちの誰かが口を持つ」


 ケインが眉を寄せた。


「口」


「その名を言える口だ。……口は増やすもんじゃない」


「……なるほど。おれが真っ先に喋りそうっすもんね」


「お前が喋らんでも、お前が喋らされる夜が来る」


 ケインは首の後ろへ手をやってから、椀を拾って下がった。


 岩の上のレオルが腕を組んだまま首だけ動かした。


「あれが立っておるのは、我らのためではない」


 エルクは岩の上を見上げた。


「そうだね」


「だが倒れれば我らが困る。……ならばなおのこと、放っておけぬな」


---


 ミナが板の下から顔を上げた。


「あのさ」


「白いほうの顔は、なんで誰も塗ってないの。あっちの名前だって分かんないままだよ」


「あれは要らんのだ」


「要らないの」


「消えた名は着られん。誰の頭にも残っておらん名を名乗られても、こっちは受け取れん。……知らん名を渡されて、受け取ったと言えるか」


 ミナは口の中で一度言い直していた。


「言えないね」


「伏せてある名だけが着られる。白いほうは乾いたままでいい」


 クラウはそこで一度言葉を切った。


「……去年、あれは俺に名を教えてやろうかと言うた」


 エルクはクラウの手元を覗きこんだ。


「消された一羽のほうだよね」


「消された一羽のほうだ。この世でその名を持つのは私だけだ、とも言うた」


「嘘だったの」


「あれは嘘をつかん。持っておるのだろう」


 クラウは紙の束の上へ手を置いた。


「持っておるが、使えん名だ。使えん名を餌にして、俺たちに掘らせようとした」


「掘ると出るのが」


「こっちの黒だ」


 腰かけに座っていたメアが顔を上げた。ゆうべから声がまだ戻っていない。


「……必死なんです、って前に言いましたよね」


「言ってたね」


「あれ、間に合わないと困る必死じゃないです。一回でも空いたらまずい必死です」


「一回でも」


「一回空いたら終わりなんです。終わったら元に戻せないから、あの人は止められないんだと思います」


 エルクは板の空いているところをしばらく見ていた。


「あの人が休めないのってさ。ちょっとは僕らのせいでもあるよね」


「なぜだ」


「だってその名前、知りたがってたの僕らじゃん」


「あれは俺たちが来る前から塗っておる」


「そうなんだけどさ」


 エルクは板の縁から指を離した。


「知りたいって言ってる人が上にいるあいだは、やめようって思えないんじゃないかな」


 ソウが筆を取った。


「じゃあ、うちは名前を追わない。それでいいのね」


「追わん」


「口で言っただけだと来年には忘れるわ。書くんでしょう」


 クラウは写し帳の空いた欄へ目をやった。


「今日は書かん。今日書くと、追わんと決めた理由が一行になる」


「一行じゃだめなの」


「だめだ。……これは一行で足りる話ではない」


 クラウは帳を閉じなかった。


「俺たちはずっと、隠されてるほうを見てた。……隠してるほうが、何から守ってるのかを見てなかった」


---


 入口の外でウルが雪を掘って浅い窪みを作り、そこへ伏せていた。


『今日は降りた者が九だ。上がった者が九だ』


「合ってるね」


『合っておる。合った日を数えておる』


「合わない日ってあるの」


『まだ無い。無いことを数えるのが我の役だ』


 広場ではスラが薪の山の横に伸びていた。


『昼の一枠ッス。今日は火の見ッス』


「一人でやってるの」


『二人ッスよ。もう一人は上で寝てるッス。夜に立つ人ッス』


「起こさなくていいの」


『おいらが起こすまで寝ててよし、って板に書いてあるッス。書いてあると気楽ッスねぇ』


---


 夜の二つ目の刻に、二人で降りた。


 名を告げて中へ入ると、腰かけは二つとも空いていた。クラウは紙を広げずに座った。


「書かないんだ」


「今日は見にきただけだ」


 灯りは腰かけの下へ置いた。低いところから照らすと、黒いところの縁だけが浮いて見える。


「あのさ」


 エルクは膝に手を置いて、壁のほうへ声を出した。


「僕ら、そっちの名前は聞かないことにしたよ。……知りたかったんだけどね。やめとく」


 黒いところは動かない。


「その手も、ほどかない。ほどいたら困るのそっちだもんね」


「知らぬままでよいのか」


 クラウが灯りへ伸ばしかけた手を止めた。


 早くも遅くもない声だった。怒ってもいない。


「二人おるところで喋るんだな」


「隠れて言うほどのことではない」


「用件を言え」


「そろそろ、あれも限界だ」


 声の高さは一つも変わらない。


「手を貸してやれ。……私は本当のことしか言わぬ」


 エルクは息を吸っただけで何も返さなかった。


 それきり何も来なかった。


 クラウが紙を出したのは、階段の下まで戻ってからだった。


「書くの」


「書く。二人で聞いた、と書く」


「そこ書くんだ」


「そこだ。……あれが、一人のところへ来なくなった」


 言われたことは正しかった。言ったのが誰かということだけが、朝までに片づかなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。