↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
辺境の村のモンスターテイマー  作者: スルメイカ
第五部・守るために隠す者/交代のない当番編
163/248

第159話 見に行く側

 中夜を過ぎるころに雪はやんでいた。


 広場の踏み跡は一度消えてまた新しくついている。跡は入口のほうへまっすぐ伸びていた。途中で迷った形をしていない。


 入口の脇だけが黒い。そこにだけ雪が乗らない。


 その黒いところが、息のたびにゆっくり膨らんでは戻る。


「ドラゴ。起きてる?」


『起きてはおらぬ』


「起きてるじゃん」


 竜は首を動かさなかった。鼻から抜けた息が湯気になって流れた。


「止めなかったんだ」


『書いてから行った。止める理由が我には無い』


「追わなくていいの」


『追えという決まりも無い。……我は数えぬ。数えるのは狼の役だ』


---


 入口の雪の中に、黒銀が沈むようにして伏せていた。背に落ちた粒がそのまま白く残っている。


『降りた者一。名は書いてある』


「見たの」


『書くのを見た。書き終わるまで待って、それから降りた』


 板の筆は紐で吊るしてあった。凍っていて先が固い。エルクは掌で握って少し温めた。


「僕も書くよ」


『主が書くなら、止める謂れは無い』


「止めないんだ」


『書いて降りる者を止める決まりは、板のどこにも無い』


 黒銀の首がわずかにこちらへ向いた。


『……戻る刻も願いたい。戻らねば数が合わぬ』


---


 階段を降りきったところに、昨日まで無かったものが置いてあった。


 低い腰かけだった。板を三枚重ねただけの粗いものが壁沿いに二つ並んでいる。三つ目の脚をウーゴが叩き込んでいた。


「こんな時間に作ってるの」


「スワル、トコロ、イル」


「座るところ」


「ナガイ、ヨル、タツ、ダメ」


 ウーゴは座面を掌で押してから、床との隙間へ薄い板を差し込んだ。


「イシ、ツメタイ」


「石から離すんだ」


「シタ、アタタカクナイ。ハナスダケ」


 上の小屋でやったのと同じ手つきだった。厚くするのではない。冷たいものから離すだけだった。


---


 記録の間の手前で灯りが一つ揺れていた。


 壁の前に鱗の背中がある。腰を下ろして尾を体の横へ回して畳んでいた。


 その向かいに獅子が座っている。


 どちらも何も言わない。灯りが一つきりなので、二つの影は壁の低いところで重なっていた。


 エルクは腰かけを一つ引いてきてレオルの隣へ置いた。座った。


 理由は聞かなかった。


 しばらく芯の鳴る音だけがしていた。エルクは掌を灯りへ寄せて、指の先が温まるまでそのままにしていた。


 先に喋ったのはレオルだった。


「……我は、三日黙って立っておった男だ」


「うん」


 それだけだった。エルクは続きを促さなかった。


「黙って立てば穴は塞がる。塞がった穴は誰にも見えぬ」


「見えなかったね」


「見えなんだ」


 尾の先が石を一度打った。


「その我が、他所の当番を数えるなと言うた」


---


「並べれば立ちたくなるって言ってたよね」


「言うた」


 鱗の長は長く黙った。灯りが一度細くなってまた戻った。


「自分のことだったのだ」


 エルクは膝を抱え直した。


「我らの板は我らのぶんで手一杯だ。それは変わらん」


「変わらないんだ」


「変わらん」


 レオルは壁のほうを向いたままだった。鱗の面は灯りを弾かずに沈んでいる。


「変わらんが、あれには休みの欄が一つもない」


---


 獅子が動いた。前脚をそろえ直しただけだった。


『……交代は、恥ではない』


 エルクは横を向いた。


「今のライオ。交代は恥じゃないって」


 レオルは獅子のほうを見なかった。見ないまま鼻から息を抜いた。


「獅子が言うたか」


「言った」


「……朝まで座っておった獣だ」


「今は中夜までだよ」


「知っておる。板にそう書いてある」


 エルクは獅子のほうへ聞いた。


「じゃあ今は何の時間なの」


『書かれておらぬ時間だ』


「そこで何するかは」


『我が決める』


 エルクはそのまま伝えた。レオルは短く鳴らすような息をした。


「……ならば我と同じだな」


 休みの欄に名のある者が二つ並んで座っていた。板の上ではどちらも今夜ここにいないことになっている。


---


 通路の奥から板を負う音が近づいてきた。


「毛皮を二枚ですぞ」


「頼んでないよ」


「頼まれる前に置くのが物運びですぞ」


 ダクトは一枚をレオルの下へ押し込み、もう一枚をエルクへ寄越した。


「掛けるより先に敷きますぞ。石は下から冷えますからな」


「灯りは足す?」


「足しませんぞ。芯を継ぎますな。……この長さなら朝まで保ちますぞ」


 ダクトは灯りを床から拾い上げて、壁の窪みへ移した。影が下から上へ回って、座っている二人の足元だけが明るくなった。


---


 階段の上で板が二度鳴った。刻の合図だった。


 降りてきたのは二人だった。外周を回り終えたケインと、紙を胸に抱えたエネ。後ろから小さいのが階段を降りてくる音もした。


「二人そろったので降りられました」


 エネは自分から言った。


「枠に名前を入れてもらいました。数えるほうです」


「叩くほうはおれっす」


 ケインは肩の雪を落として掌を擦り合わせた。


 ノノは灯りの届く端で足を止めた。鱗の背中を見ている。


「いる」


「いるね」


「なんで」


「わかんない」


「ふうん」


 それで終わりだった。ノノは腰かけの横を通って壁の前まで歩いていった。


 ケインは壁の前で足を止めた。


「もう叩いたあとっすね」


「叩いてあります。三に四です」


 エネは紙を灯りへ寄せて、先に降りた二人の打った点をたどった。二つ目までが短くて、三つ目までが長い。


「空き方は昨日と同じです」


「変わってねえっすね」


「変わってません。……変わってないことも書きます」


 ノノは護符を握り直して階段のほうへ戻っていく。途中で一度だけ振り返った。


「うろこのひとも、みにきたの」


 レオルは答えなかった。


 ノノは答えを待たずに上っていった。待てない子ではない。答えはもう見たあとだという足の運びだった。


---


 明け方近くにミナが降りてきた。避難民の側の名を書き入れて回っている途中だった。


 通路の腰かけを見て、それから壁のほうを見た。鱗の背中はまだ動いていない。


「……ずっといるの」


「ずっといるよ」


 ミナは板を抱え直した。


「言わせるんじゃなくて、見に行くの。……ミナが言ったのはそれだけだよ」


「うん」


「当番の話をしたつもりだったんだよ。長の人が夜通し座る話じゃないよ」


「でもあの人、あの人なりに当番の話をしてると思うよ」


 ミナはしばらく黙っていた。板の角を指で撫でている。


「……こわいね」


「なにが」


「言ったことが、ちゃんと聞かれてたこと」


 階段の上ではもう朝の音がしていた。桶の鳴る音と雪を掻く音だった。


---


 地上は白かった。夜のうちにもう一度降ったらしい。


 クラウは庇の下で写し帳を開いていた。


 エルクは雪を払って隣に立った。


「長が降りた」


「知ってる」


 筆は止まらなかった。


「板に書いてから降りた。まだ戻っておらん。書くのはそれだけだ」


「それだけ?」


「それだけだ」


「もうちょっとあるでしょ」


「あるな」


 クラウは頁の端を指で押さえた。


「反対していた男が真っ先に降りた。書けば明日から美談になる」


「だめなの」


「美談になった行いは、次からやらんかった者が責められる」


 筆の先を紙から離さないまま続けた。


「降りたくない者が降りなくてよい形にしておかんと、誰も本当のことを言わんようになる」


 書かれたのは一行だった。名と刻と行き先。褒める語はひとつも入っていなかった。


---


 昼前に鱗の長が上がってきた。


 板の前で足を止めて、しばらく欄を眺めていた。ソウが筆を渡した。渡すときに何も言わなかった。


「刻は増やさんな」


「増やさないわ。人がいないもの」


「増やせとは言うておらん」


 レオルは筆を持ち替えた。爪の形に合わない筆だった。


「名を一つ入れよと言うておる」


 ソウは枠の幅を指で測った。二人ぶんしか書けない幅だった。


「三人目は入らないわ」


「ならば我はどちらかと代わる」


「代わるのはいいけど、代わられた人はどうするの」


「休む」


 ソウは筆の尻で休みの欄を叩いた。


「じゃあそこに書いてね。渡すときは渡した先の名を言うのよ」


「言おう」


 鱗の指が枠へ字を入れた。はみ出した。板の上でいちばん大きくて、いちばん読みにくい字だった。書き終えてから息を吹きかけている。凍る前に乾かす手つきだった。


「反対はどうなったの」


「反対は反対だ」


 レオルは筆を返した。


「だが立つ」


 ソウは受け取った筆を袖で拭いてから帯へ挿した。それ以上は何も言わなかった。


 板の下のほうで、うちの者の刻とうちの者でない者の刻が、初めて同じ幅で並んでいた。


---


 その日の夕方、メアが壁の前に立った。


 いつもの三歩手前ではなかった。半歩だけ前に出ている。読めませんと先に言わなかったのも初めてだった。


 灯りが揺れた。


 メアの肩が小さく動いた。それから目を伏せた。


「……見えました」


「え」


「少しだけ」


 声が細かった。


「読ませてもらったんじゃないです。……向こうから見せられました」


 手を止めたら見えてしまうから塗り続けている。この子はそう言っていた。


 その手が今日だけ止まった理由を、まだ誰も知らなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。