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辺境の村のモンスターテイマー  作者: スルメイカ
第四部・隣に立っていた者/ほころびる仕組み編
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第140話 当番表を組む子

 板を持ち上げたエルクの足もとでウルがもう一度唸った。


 さっきより低い。地の底から響くような、腹に届く唸りだった。


「……なに」


 エルクは板を持ったまま振り返った。ウルは動かない。ただ黄色い目でまっすぐこちらを見上げている。その目が言っていることは言葉にしなくても分かった。それは去年やめると決めたやつだ、と。


 エルクはしばらく板とウルを見比べていた。それからふうと息を吐いて板を切り株の上に戻した。


「そうだよね」


 間の抜けた声だった。


「僕が全部立てば今夜は埋まる。楽だよね。楽なんだけどさ。……それ、去年いちばんやっちゃいけないって決めたやつだ。渡す先がないから強いのが引き受ける。それ、渡してないもん。ぜんぶ僕に集めてるだけだ」


 ウルの唸りがやんだ。


 エルクは板をもう一度見下ろした。埋まらない夜が縦に並んでいる。立つ人を増やすことはできない。だったらいる人でどう組み直すかを考えるしかなかった。


 組める者は限られていた。


---


 結局、板を引き受けたのはミナだった。


 避難民の側を誰よりよく知っている。誰と誰が組めて、誰と誰が組めないか。どの子が続けて立つと薄くなるか。角の生えた小さな頭のなかにその全部が入っていた。人間の側の名は覚えきれていなかったが、そこはケインが横から埋めた。


 だからミナが組むのがいちばん早かった。


 みんなそう思った。悪気は誰にもなかった。ミナが得意でミナが引き受けてミナがやったほうが早い。それだけのことだった。


 その日からミナは毎晩板の前に座るようになった。


---


 異変に先に気づいたのはエネだった。


 朝、ノノを連れて広場を歩いていて板の前に丸まっているミナを見つけた。板に頬をつけたまま目を開けて動かずにいた。


「ミナ。あんた寝てる?」


「起きてる」


 顔を上げたミナの目の下にうっすら影があった。


「昨日どこまで組んだの」


「三日先まで。……でも四日めがまた空くの。同じ子ばっかりになっちゃうからずらしてるんだけど、ずらすとまた別の子が続いちゃって」


 ミナは板に指を這わせた。線と名がびっしり並んでいる。消しては書いた跡が板の表を灰色に曇らせていた。


 エネはその板をのぞきこんで少し黙った。


 それからノノの手を引いてメルを呼びに行った。


「メル。あの子、寝てないよ」


---


 メルは板を上から下まで見て指を折りはじめた。折って、折って、途中で止まって、また最初から折り直した。


「これね」


 顔を上げたとき声が硬かった。


「一人分じゃないのよ、これ。門の前が二か所で夜が二回。一晩で四つの組。ひと組に二人だから八人。それを七日ぶん並べるとね、五十六人分」


 メルはもう一度指を折り直した。


「立てる子は三十人いないの。だから同じ子が二回も三回も出てくる。出てくるたびに、この子は続けて立ってないか、前の日に遅くまで起きてなかったか、あの子とこの子は組めるか、ぜんぶ思い出して当てはめてるのよ。……ぜんぶ頭のなかで。紙に書いてあるのは結果だけ」


 メルは板を指で叩いた。


「しかも次の日にはもう変わってる。誰かが熱を出したらそこからぜんぶ組み直し。……一人でやる量じゃないの、はなから」


 クラウが写し帳を閉じて低く言った。


「守る役は分けた」


 みんながそちらを見た。


「去年、門の前は二人で立つと決めた。種族ちがいで組めと決めた。片方が傾いたらもう片方が止めるようにな。……守る役はちゃんと二人にした」


 クラウは板を指した。


「だが、その二人を組む役を分けなかった。組むのはいつも一人だ。ミナが一人で全部背負ってる。守る側を一人にしないための仕組みを、組む側の一人が支えてる。……根っこが一本足だった」


 誰もすぐには言葉を返せなかった。


 いつのまにかウルが板の横に来て座っていた。ミナの隣に勝手にどすんと。何も言わない。ただそこにいた。


---


「ミナがやるよ」


 ミナだった。角の生えた頭をまっすぐ上げていた。


「ミナがやったほうが早いもん。ほかの子に教えるよりミナがやったほうが早いの。二人でやったらその子に一から教えなきゃいけないでしょ。教えてる間にミナがやったら終わってる」


 まっすぐな言い分だった。


 去年守られる側だったこの子は自分で決める側へ回った。その手応えをこの子は誇りにしている。だからこそその誇りがそのまま一人で抱える理由になっていた。早くできる。だから自分がやる。誰にも渡さない。


 エルクはミナの前にしゃがんで板と同じ高さで目を合わせた。


「あのさ、ミナ」


「なに」


「早いのが偉いんじゃないんだよ」


 ミナがまばたきした。


「早く終わるのはすごいよ。ミナ、ほんとにすごい。でもさ、去年みんなで決めたじゃん。一人でやらない。一人にしない。……それって、守る人だけの話じゃなかったんだ。組む人も、そうなんだよ」


「でも遅くなるよ」


「遅くていいよ」


 エルクはあっさり言った。


「遅くてもいいから二人でやってよ。ミナがぜんぶ覚えてることをもう一人にも半分わけてよ。ミナが倒れたら板ごと止まっちゃうもん。それがいちばん困る」


 ミナは板を見てウルを見てそれからまた板を見た。


「……考える」


 渋々そう言った。うんとは言わなかった。


---


 その夜もミナは板の前に座っていた。


 考えると言ったくせに結局は自分で組み直していた。一人でやったほうが早いから。その日の分だけ。あと少しだけ。ランプの油を細くして消しては書いていた。


 風の音にまじって耳の奥にやわらかい声が届いた。


「疲れたろう」


 聞き慣れた声だった。誰の声かすぐに分かるくらいはっきりしていた。急いでもいない。責めてもいない。ただやさしかった。


「代わりに持とうか。……お前はよくやった。今夜くらい私が持とう」


 ミナの手が止まった。板の上で鉛筆の先が浮いた。持ってもらえるならと一瞬体から力が抜けかけた。


 そのとき板の反対の端に小さな手が置かれた。


 レンだった。ミナと同じ避難民の子だ。ミナと組んで隣に座っていた。眠そうな目をこすりながらそれでもそこにいた。


 ミナはその手を握った。ぎゅっと、強く。ノノに教わったとおりに。


「いま」


 声が震えていた。


「いま、へんな声きこえた」


 レンの手が握り返した。


 やわらかい声はそれきり何も言わなくなった。板の上でランプの火が一度だけ揺れてまた細く立った。


 ミナは握った手を離さないまま板に額をつけた。踏みとどまった。ちゃんと隣がいた。それでもこぼれた声は止められなかった。


「……なんで」


 小さかった。


「なんで、いつもミナなの」


---


 朝が来た。


 板の前にはミナとレンが並んで座っていた。ミナが名を読み上げてレンが線を引く。引く手はまだ危なっかしい。ミナが「そこ違う」と横から直す。直されるたびレンはむっとして、それでも鉛筆を離さなかった。


「……ここはね」


 ミナがレンの手に自分の手を重ねた。押しつけるのではなく、線の引き方をなぞるように。


「続けて立つ子には、あいだを空けるの。そうすると薄くならないから」


 レンはうなずいた。よく分かっていない顔で、それでもうなずいた。それでよかった。今日は分からなくても、明日また隣で読み上げれば、そのうち手が覚える。ミナがそうだったように。


 メルがそれを遠くから見ていた。


「二人になったね」


 クラウが写し帳を開いたまま頷いた。


「組む側も二人。……これでやっと両足で立った」


 板はまだ灰色に曇っている。消しては書いた跡は消えない。けれど今朝の板にはミナの字とレンの字がまじっていた。細くて曲がったレンの線が、ミナの線の隣にちゃんと並んでいる。


 エルクは切り株に腰かけてそれをぼんやり眺めていた。ウルが足もとで丸くなっている。もう唸らない。


「遅くなったね」


 誰にともなく言った。


 板が埋まるのは前より遅い。二人でやるとそのぶん手間がかかる。それでもエルクにはその遅さがわるくない気がしていた。遅いというのはたぶん、一人ぶんの背中に、もう一人ぶんの重さがちゃんと乗ったということだ。


「うん。……それでいいや」


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