第133話 仕組みをもう一段
顔の見えないその像のことはいったん脇に置くしかなかった。
誰がなぜ今もその顔を隠しているのか。ライが欠片と壁の魔力を見比べても答えは出ない。焦って掘り返せばまたあの甘い囁きを呼び込みかねない。だから地下の門はもう一度しっかり閉じ記録の間の入口には複数種族の当番を立てみなは地上へ戻った。分からないことは分からないままそっと抱えておく。それもこの国が覚えたことの一つだった。
そして数日後クラウが代表者会議を開いた。
議題はたった一行――「二度と誰も一人で門の前に立たせないために」だった。
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円い場にいつもより多くの顔が並んでいた。
人間の側からケイン。ラミアの長老レオル。リザードマンの代表。空からはゼルガの名代として若いグリフォンのグリフが翼をたたんで控えている。そして――今日はその輪の中にミナがいた。小角族の少女は背の低い避難民たちを代表して初めてこの場に座っていた。
「新しいルールをまた一つ足すだけなんだけどね」
クラウが写し帳を開きながらそう切り出した。だがその手つきはいつもの「ルールを足す」時とは少しちがっていた。
「今までのはぜんぶ『禁止』だった。無断で地下に入るなとか。悪夢を隠すなとか。……でも今度のは逆なんだ。『分担しろ』。重い判断も守る役目も誰か一人に集めない。一種族にも集めない。……そういう能動的なやつを作りたい」
「ルールが増えるの僕はほんと苦手なんだけどなあ」
エルクが頭のうしろを掻きながらのんびり言った。それからちょっと笑った。
「でも……これは僕自身が危なかったやつだからさ。あの夜僕も『みんなを守れるならあの力を使っても』って傾きかけたもん。ウルに止めてもらった。……だからうん。これは要るね。僕のためにいちばん要る」
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「じゃあ具体的にいこうぜ」
ソウが身を乗り出した。武術科あがりの実戦好きの顔だった。
「守るのは気持ちの話だけじゃ回らない。段取りにしないと。……たとえば門の前。あそこには誰か一人がたまたま気づいてたまたま立つっていう形を二度と作らない。当番を組む。必ず種族ちがいで二人以上。片方が『開けよう』って気になったらもう片方が止める。止める役が最初からそこにいる」
「囁きは一人を狙うんだったね」
エルクがうなずいた。
「うん。あの声いつも誰かを一人にして耳もとでささやいてた。……なら一人にしなきゃいい。二人ならささやきは二人ぶんの声に負ける」
「判断もおなじだ」
ソウが続けた。
「緊急のとき『どうする』ってエルクに集まっちゃうでしょ。今までは。……それをやめる。誰が何を決めるか。先に分けておく。守りの手配は私避難の段取りはメル記録と伝令はクラウみたいに。エルクに全部集めない。悪魔が『エルク一人』を狙っても狙う先がそもそもばらけてる」
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「決めることを拾う人も要ると思う」
声を上げたのはメルだった。いつもの明るさの奥に少し真剣な色があった。
「あのね。ミナもそうだった。……『わたしがみんなを守らなきゃ』って一人で気負ってた。でもそれ誰にも言えなかったんだよね。言ったら弱いって思われる気がして」
ミナがうつむいた。膝の上で小さな手がぎゅっと握られていた。
「だからさ」
メルはミナのほうを見てやわらかく言った。
「『守りたくて気負っちゃった』って言っていい。それを恥ずかしいことにしない。むしろ言ってくれたらみんなでありがとうって言う。……気負いを一人で抱えたまんまにさせないのがいちばんの見張りだと思うの」
「……本当にそう思ってるの」
ミナがぽつりと顔を上げた。声が少し震えていた。
「あなたたちはいざとなったらわたしたちを切り捨てるかもしれない。前の国はそうだった。……だからわたしは自分で守るしかないって思ってた。でも……」
ミナはそこで言葉を探した。
「でもあの夜。門の前で。あなたたちは誰もわたしを責めなかった。エネさんがノノを連れてきて。……わたしが壊れるのはもっと嫌だって言ってくれた。……あれ嘘じゃなかったの」
「嘘じゃないよ」
エルクがあっさりと言った。
「ミナがみんなを守りたいの僕すごくよく分かる。だって僕もおんなじだもん。……でも一人でぜんぶ背負わなくていいんだ。ここはそういう国にするから。……だからミナも今日から決める側に座ってて。避難民のことは避難民がいちばん分かるでしょ」
ミナの目にじわりと涙がにじんだ。守られる側として受け入れられた少女が初めてこの国を共に回す側の椅子に座った瞬間だった。
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「……おれも」
ケインがぼそっと口を開いた。人間の若者は少しばつが悪そうに頭を掻いた。
「おれこの前一人で見回りに行こうとした。誰にも言わずに。……『おれがなんとかしなきゃ』って思い込んで。ソウに止められた。あのときは正直うるさいなって思ったよ。……でも今なら分かる。あれ止めてもらってよかったんだ。一人で行ってたらたぶんおれもあの声にやられてた」
ケインはミナのほうをちらっと見た。
「だからさ。……一人で背負うなっておれが言うのも変な話だけど。おれもおんなじだったから。言ってる」
ミナが少し驚いた顔でケインを見返した。人間の若者と避難民の少女。この国に来た頃は互いをいちばん警戒し合っていた二人だった。その二人が同じ「一人で背負うな」をうなずき合っている。
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だが輪の中から慎重な声も上がった。レオルだった。ラミアの長老はゆっくりと鎌首をもたげた。
「分担は結構。だがな。……いざというその時。結局は誰かが決めねばならぬ。門を閉じるか開けるか。守るか退くか。分けたところで最後の一言は誰かの口から出る。それを忘れるな」
「うん。忘れないよ」
クラウが写し帳から顔を上げた。その目はまっすぐだった。
「決めることからは逃げない。決断をなくすんじゃない。……ただ決めるのを一人にしない。それだけだ。最後の一言を言う人の隣に必ずもう一人がいる。三人がいる。ちがう種族がいる。……その一言を一人で背負わせない。旧き国はそれをしなかった。だから壊れた。……俺たちはする」
レオルはしばらくクラウを見つめてから小さく鎌首を下げた。納得のしるしだった。
その日写し帳に新しい一段が綴じられた。禁止のルールではない。分け合うための仕組みだった。代表者会議を月に一度必ず開く。緊急の判断は複数の者複数の種族で。守る役は当番で回す。そして――「守りたくて気負ったら隠さず言う」を恥ではなく当たり前にする。
悪夢の夜を越えた小さな国は「危機のときのルールを持つ国」から「重たいものをみなで分け合える国」へまた一段育った。
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会議が終わりみなが散っていく中でグリフがエルクのそばへ翼を寄せてきた。
低く短く鳴く。エルクはその声をしばらく聞いていた。魔物の言葉が分かる耳で。
「……ゼルガが」
エルクが空を見上げた。
「僕を呼んでる。空の領域に来いって。……あの夜のことを半分だけ話すって」
あの夜。旧き国の門が内側から開いたその夜。空からそれを見ていた者がいた。ずっと語ろうとしなかった空の主が初めてその半分を明かそうとしている。
残りの半分はまだ言わないつもりなのだろう。それでも半分は大きな一歩だった。エルクは頭を掻いてそれからちょっと笑った。
「半分か。……ゼルガらしいなあ。じゃあ行ってくるね」
グリフが背を低くして乗れというように翼を広げた。




