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辺境の村のモンスターテイマー  作者: スルメイカ
第三部・悪魔残党 / 旧共存国家編
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第129話 いちばん背負っていた者

 その背中をエルクは知っていた。


 灯りも持たず足音も立てず地下へ続く道を下りていく背中。少し前かがみの歩き方。写し帳を抱えているときのあのぴんと伸びた姿勢が今はない。かわりになにかとても重いものを両腕でそっと抱えているような背中だった。それでもエルクにはすぐに分かった。


 クラウだった。


 肩の上でライが低くうなった。懐の欠片が布越しにじりじりと熱い。その脈はもう外周のミナのほうを向いてはいなかった。まっすぐ地下の暗がりを下りていくその背中のほうへ鼻先を向けていた。


「……クラウがいちばんまっすぐだったのか」


 エルクはぽつりと言った。慌ててはいなかった。ただ胸の底がしんと冷えていくのを感じていた。ミナのときと同じ足取りでその背中を追いかけた。


・・・・・


 地下の門は松明ひとつぶんの灯りの中で半分だけ口を開けていた。


 クラウはその前に立っていた。片手を門の縁にそっと添えていた。振り向いたその顔は泣いても怯えてもいなかった。いつもの真面目で落ち着いた研究会リーダーの顔だった。だからこそエルクの背を冷たいものが撫でた。


「……エルク」


 クラウは静かに言った。責められるとは思っていないようだった。


「起こしちゃった? ごめんなさい。……でもちょうどよかったのかもしれない。聞いてほしいことがあるんです」


「うん。聞くよ」


 エルクは門から少し離れた場所に立ったままうなずいた。


「わたし決めたんです」


 クラウの声は澄んでいた。長いあいだ一人で考え抜いた者の静かな声だった。


「この門わたしが開けます。……ミナに背負わせるわけにはいきません。ノノにも避難民の子たちにも他の誰にも。ルールを作ったのはわたしです。皆を受け入れようって決めたのも責任者の代表に名前を書いたのもわたし。……だったらいちばん危ないことはわたしが引き受けるべきなんです。それがいちばん皆を守れる」


・・・・・


 ――そうだ。お前がいちばん正しい。


 門の奥から優しい声がそっと相槌を打った。ミナに囁いていた声と同じ声だった。だが今度はいっそう穏やかだった。理性のある者に理を説くような落ち着いた声だった。お前は賢い。お前が決断すれば誰も傷つかずに済む。子供にこわい役をさせずに済む。責任者のお前が開ければ――。


「クラウ」


 エルクはその声にかぶせるように呼んだ。


「あのさ。……気づいてる? きみいまいちばんあいつに都合よく動かされてる」


 クラウの門に添えた手がわずかに止まった。


「きみがいちばんみんなのこと考えてくれてた。誰よりも責任を背負ってくれてた。……だから狙われたんだよ。優しいからまじめだからいちばん多くの命を預かってるから狙われる。ずるいよねあいつ。いちばんいい人をいちばんうまく使うんだ」


 クラウの喉がひくりと鳴った。反論しようと口を開いた。だが言葉が出てこなかった。自分の胸の中の「守らなきゃ」がいつからあの甘い声と見分けがつかなくなっていたのか。それが分からなくなっていた。


・・・・・


 だからその隙間に声はするりと入り込んだ。


 ――ならばテイマー。


 優しい声が向きを変えた。今度はまっすぐエルクに囁いた。


 ――お前が開ければいい。この娘に背負わせたくないのだろう。ミナにもノノにも。皆を守りたいといちばん強く願っているのはこの場ではお前だ。お前の力なら確実だ。竜がいる。転移がある。お前が門を開けて力を確かめ危うくなれば焼いて閉じればいい。お前一人ですべて片がつく。誰も危険にさらさずに――。


「……あ」


 エルクの口から小さな声が漏れた。


 その理屈はあまりに自然に胸の中へ入ってきた。そうだと思いかけた。ミナもクラウも危ない目に遭わせたくない。ならいちばん頑丈な自分が代わりに開けて確かめればいい。それがいちばん――。


 エルクの足が半歩門のほうへ出かけた。


・・・・・


 ――主よ。


 肩ではない頭の奥のほうから静かなけれど鋼のような声が響いた。


 念話だった。エルクのいちばん古い相棒の声だった。いつのまにか松明の灯りの外に黒銀の巨躯が音もなく控えていた。ウルだった。金色の目がじっと主を見ていた。


 ――それこそあれの望む手だ。


 エルクの出かけた足が止まった。


 ――お前が門を開けるのをあれは待っている。ミナを止められそのリーダーの女も止められあれは餌を失いかけている。だからこの場でいちばん強く「守りたい」と願う者を最後に狙った。それがお前だ。……主よ。お前は今一人で皆を守ろうとした。ミナと同じことをしかけた。


 エルクは深く息を吸った。吸って吐いた。頭の奥の熱がゆっくりと引いていった。半歩踏み出した足をそっと元へ戻した。


「……僕も危なかった」


 かすれた声でエルクは言った。


「僕も一人で守ろうとしてた。ミナのことあんなに言っといて。クラウのことあんなに言っといて。……僕自身がいちばんまっすぐあいつの手に乗りかけてた」


・・・・・


 松明を持ってメアが地下への道を駆け下りてきた。


 その顔は青ざめていた。息が上がっていた。エルクとクラウの無事な姿を見てその場にへたり込みそうになるのを壁に手をついてこらえた。


「……間に合った」


 メアは胸を押さえた。


「エルクが門を開ける未来。さっきいっこ見えたんです。はっきりと。あなたが門に手をかけて力があふれ出す未来。……ぞっとしました。でも」


 メアは顔を上げてウルの黒銀の背を見た。


「消えました。ぱっと。……ウルが止めたから。あなたが足を戻したから。未来ってそういうものなんです。誰かが一人で決めた瞬間に悪いほうへぐっと傾く。誰かがそれを止めた瞬間にまた分かれ道が生まれる。……一人で決めさせちゃだめなんです。エルクにも。クラウさんにも」


 クラウが門に添えていた手をゆっくりと離した。


 自分の手のひらをまじまじと見た。ついさっきあれほど当然に思えた「わたしが開ける」が今はうすら寒い。あの声がどれほど自分の責任感の形にそっくりなりすましていたか。それがようやく見えた。


・・・・・


「……わたしがいちばん危なかったんですね」


 クラウは力なく笑った。自分を嗤うような笑いだった。


「ルールを作った本人が。一人で背負うな集めない一人にしない――全部わたしが書いたのに。書いた本人がいちばん先に一人で門の前に立ってた。……情けない」


「情けなくないよ」


 エルクは首を横に振った。


「まじめな人ほど狙われるんだ。それが分かっただけでもすごい収穫だよ。……クラウが一人で来ちゃったのはクラウのせいじゃない。僕らがクラウにだけ責任者の名前を書かせちゃったからだ。いちばん重いものを一人に持たせてたからだ」


 クラウはしばらくうつむいていた。それからいつもの背筋の伸びた姿勢にゆっくりと戻った。写し帳を抱えていなくてもその立ち方はもう研究会リーダーのそれだった。


「……やめにしましょう」


 クラウははっきりと言った。


「一人で背負うのは。責任者が一人で重いことを決めるのも。……それをやめにする。この門をどうするか。開けるか閉じるか。それを決めるのはわたし一人じゃない。会議です。皆で決める。それを明日いちばん最初の議題にします」


・・・・・


 餌を失った甘い声がふっと遠のいた。


 ミナのときと同じだった。「わたしが守らなきゃ」が「皆で決める」に変わった瞬間その声が囁くための隙間はどこにもなくなっていた。エルクはほっと肩の力を抜いた。ライの懐の欠片からじりじりした熱がすうっと引いていく。


「……今夜もこれで大丈夫だね」


 エルクはそう言って頭のうしろを掻いた。ミナも止まった。クラウも止まった。自分も止めてもらった。誰も一人で門の前には立たなかった。それがこの夜いちばんたしかなことだった。


 ――だが。


 そのとき門が軋んだ。


 誰も触れていなかった。クラウの手はもう離れていた。それなのに半分だけ開いていた古い門が内側からぎちぎちと押されるように軋み始めた。餌を二つも三つも続けて取り逃したその声が――もう誰かの手を借りるのをやめたのだった。


「……エルク」


 ライが身をこわばらせた。


「来る。……こいつもう自分で開ける気だ」


 半分だった門の口がぎりとそれより大きく開いた。奥から墨のように黒い魔力が記録の間の卓のほうへとろりとこぼれ出した。それはあの幸福そうな像の足もとへ静かに広がっていった。


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