第125話 一人で守ろうとする子
エルクが隣に腰を下ろしてもミナは子らのほうを見たままだった。
「いい夕方だねえ」
エルクはのんびりとそう言った。返事はなかった。ミナは膝を抱えたまま遊んでいる幼い避難民の子らをじっと目で追っている。守っているというより見張っているに近い目つきだった。
「ミナさ」
エルクは空を見上げながらゆっくり続けた。
「最近あんまり寝てないでしょ」
ミナの肩がぴくりと動いた。図星だったらしい。
・・・・・
「……見回りをしているだけです」
しばらくしてミナはぽつりと言った。
「夜みんなが寝たあと。外周をひとまわり。悪いものがまた来ないか確かめて。角笛もいつでも吹けるように持っています」
「一人で?」
「一人でじゅうぶんです」
ミナは膝に顔を半分うずめた。声がこもった。
「わたしがあの子たちをここまで連れてきました。角のある子も耳の長い子も。故郷を焼かれて逃げて。……連れてきたのはわたしです。だったら守るのもわたしの役目でしょう」
エルクはすぐには何も言わなかった。ただミナの横顔を静かに眺めた。日の浅い避難民の少女が夜ごとたった一人で暗い外周を歩いている。その姿がつい昨日記録の間で見てきたものとどうしても重なった。
・・・・・
肩の上でライが低くうなった。
エルクにだけ聞こえる声で耳もとにそっと言う。
「おいエルク。……欠片が疼いてやがる」
ライは懐に納めた小さな包みをあごでしゃくった。悪魔の欠片だ。前は誰かが怖がったときに脈打った。だが今ミナの隣でそれは別の疼き方をしていた。
「この子が怖がってるんじゃねえ。逆だ。『わたしが守らなきゃ』って思い詰めてる。その気持ちに欠片が反応してやがる。……前に記録の間で読んだやつとおんなじ匂いだ。門を開けたあの人と」
エルクの背をひやりとしたものが撫でた。ミナは悪いことなど何ひとつしていない。ただ守りたいだけだ。そのいちばん優しい気持ちに黒いものがそっと鼻先を寄せていた。
・・・・・
「ミナ」
エルクはいつものゆるい声のまま言った。急かさないように。脅かさないように。
「みんなを守りたいのすごくよく分かるよ。ほんとだよ。……でもさそれ一人で全部背負わなくていいんだよ」
「――あなたたちには分からない」
ミナの声が初めて硬くなった。顔を上げてまっすぐエルクを見た。
「あなたたちはもともとここの人でしょう。強い従魔もいる。国もある。……わたしたちはよそから来た居候です。今は優しくしてくれてもいざとなったら。食べ物が減ったら。危なくなったら。……いちばん先に切り捨てられるのはわたしたちだ。だから自分たちの身は自分で守るしかないんです」
言い切ってミナはまた膝に顔をうずめた。震えている肩をエルクは見た。それはわがままでも意地でもなかった。故郷を焼かれ信じたものに裏切られてきた子がたどり着いたたった一つの身の守り方だった。誰も信じない。自分でやる。それがこの子の生き延びる術だった。
・・・・・
その夜エルクは寝ずに待っていたメルとエネにミナのことを話した。
「切り捨てられるって思ってるんだ」
エルクは頭のうしろを掻いた。
「僕らがそんなつもりぜんぜんなくてもさ。あの子にはそう見えてる。だから頼れない。頼れないから一人で夜歩いてる」
「……その気持ちは放っておけないねえ」
メルが静かに言った。感情の機微を拾うのはこの娘の役目だった。
「守りたいのに頼れない。頼れないから一人で気を張る。張りつめた糸みたいなものよ。ぷつんといく前にそばにいてあげないと。叱っても励ましてもだめ。ただ隣にいるの」
エネは眠っているノノの髪をそっと撫でていた。
「ノノとミナおなじにしたらどうかな」
ぽつりとエネが言った。
「ミナはノノを守る側のつもりでいる。でもノノだってミナが夜に一人で消えたら寂しくてこわい。守る子と守られる子って分けるからミナが一人になる。二人ともおなじ『心配してる子』にすれば……ミナも守られていい側になれる」
エルクはうんと頷いた。エネの言うことはいつもまっすぐでやわらかかった。
・・・・・
翌朝クラウが写し帳を抱えてやってきた。ミナの話はもう伝わっていた。
「見回りを当番にしましょう」
クラウは開口一番そう言った。
「ミナさん一人に夜を任せない。人間リザードマンラミア避難民――種族をまぜて二人一組で回す。ミナさんもその中の一人に入ってもらう。一人で背負う役目をみんなで分ける当番に変えるんです」
「それいいね」
エルクは笑った。
「ミナの『守りたい』をやめさせるんじゃなくて。一人ぼっちの見回りからみんなの当番に変えるんだ。守りたい気持ちはそのままでいい。ただ一人にしないだけ」
「記録の間のあの人が持てなかったものです」
クラウの声は静かだった。
「隣で一緒に悩む誰か。袖を引く誰か。……それを仕組みにします。優しい人ほど追い詰められる。なら優しい人を一人にしない当番を先に作っておく」
その日の昼ミナに当番の話を伝えると少女はしばらく黙っていた。信じきれないという顔だった。それでも「二人一組なら」と小さく頷いた。切り捨てられると身構えていた子の背からほんの少しだけ力が抜けたようにエルクには見えた。ほんの少しだ。だが糸はまだ切れていなかった。
・・・・・
その午後エネがノノの手を引いてミナのところへやってきた。
「ミナ。ノノがねあなたに話があるって」
ミナは少し身構えた。守るべき子の一人がわざわざ自分の前に立たされている。何か粗相でもあったかという顔だった。だがノノが言ったのはまるで別のことだった。
「ミナよるいなくなるのやだ」
ちいさな声でノノはまっすぐに言った。
「みんなをまもるのえらい。でもミナがよるひとりできえちゃうと。ノノさみしい。こわい。……ミナもまもられていいんだよ。ノノといっしょに」
ミナが目を見開いた。守る側のつもりでいた自分が守られる子から心配されている。その順番の思いがけない逆転にミナは言葉を失っていた。
エネは二人のあいだにそっとしゃがんだ。
「ミナはねノノを守る人。でもノノもミナを心配する人なの。どっちが上でも下でもない。守る子と守られる子で分けなくていい。二人ともおんなじ『みんなが好きな子』。……だからミナも一人で気張らなくていいんだよ」
ミナの唇が震えた。何か言い返そうとして言葉にならず代わりに俯いた。その膝にノノがちょこんと頭をあずけた。ミナの手が迷ったすえにそっとその小さな頭に乗った。張りつめていた糸がほんのわずかゆるんだ瞬間だった。エルクは少し離れたところでそれを見てゆっくり目を細めた。
・・・・・
だがその夜。
当番の割り振りがまだ紙の上だけの初めての夜だった。
みんなが寝静まった頃地下へ続くあの門が。
――ぎぃ。
誰も触れていないのにひとりでにほんの少し軋んだ。半開きで固定してあったはずの門が内側からそっと押されるように。エルクの肩の包みの中で悪魔の欠片がこつんとひとつ脈を打った。ミナを一人にしない当番は間に合ったのか。それとも――守りたい誰かの心を嗅ぎつけた黒いものはもう次の門の前に立とうとしているのか。夜の底で古い門がまた細く軋んだ。




