第123話 記録の間
地下へ下りる階段は、思っていたより、ずっと長かった。
先頭を、ソウが灯りを掲げて進む。そのうしろに、エルク。肩には、ライが乗っている。メアと、クラウが続き、いちばん後ろを、エネがノノの手を引いて、ゆっくり下りてきた。決めたとおりの、少人数だ。人間だけでも、リザードマンだけでもない。種族の違う者が、混じって、一緒に下りる。あの寄り合いで決めた形を、そのまま、階段の並びが、なぞっていた。
半開きだった門は、もう、じゅうぶんに広がっていた。ノノの聞く力に応えて、内側から、静かに。こじ開けたのではない。招かれて、入っていく。そういう下り方だった。
「ここが、記録の間……」
いちばん奥の広間へ出て、クラウが、灯りを高く掲げた。
壁いっぱいに、古い像が彫られていた。エルクは、その前で、足を止めた。
・・・・・
人間がいた。獣人がいた。蛇の下半身を持つ、ラミアによく似た姿。翼を広げた、鳥型の影。そして、大きくうずくまる、竜の姿。それらが、みんな、ひとつの丸い卓を、囲んでいた。
前に見た壁画より、ずっと、幸せそうだった。あの壁画は、寄り添ってはいたけれど、どこか、身構えるような硬さがあった。この像は、違う。卓を囲む影たちは、笑っているように見えた。手を打って、何かを言い合っているように見えた。
「ここ、僕らの会議と、おんなじだね」
エルクは、思わず、そう漏らした。
「みんなで、丸くなって、話してる。種族が違うのに、おなじ卓で。……昔の国も、こうやって、みんなで決めてたんだ」
のんびりした声だったが、その奥には、静かな驚きがあった。遠い昔に消えた国が、いま自分たちが覚えたばかりの「みんなで決める」を、とっくに、していた。
・・・・・
メアが、そっと、壁に手のひらを当てた。
目を閉じて、しばらく、動かない。彫られた像から、過去の感情を、指先で読んでいく。やがて、メアは、静かに息を吐いた。
「……仲が、よかったの」
その声は、少し、震えていた。
「壊れる、その最後の日まで。ここにいた人たちは、疑い合ってなんか、いなかった。憎み合っても、いなかった。むしろ、この卓を、大事にしてた。守りたいって、思ってた。……なのに、壊れたの。仲が悪くて、割れたんじゃない。仲が、よかったのに、壊れたの」
メアの言葉に、広間が、しんとなった。内側から壊れた、と聞けば、誰もが、裏切りや、不仲を思い浮かべる。エルクたちも、この国が滅んだのは、種族どうしが疑い合い、分かれてしまったからだと聞かされてきた。あの囁きの悪魔が住民に撒いた、疑心暗鬼のように。けれど、メアが壁から読んだ過去は、その筋書きの、逆だった。最後まで仲の良かった国が、それでも、内側から崩れた。分かれて壊れたのだとしても、その根は、憎しみではなかった。ならば、なぜ。謎は、解けるどころか、いっそう深くなった。
肩の上のライが、うなった。
「こっちも、妙だぜ」
ライは、像の一部を、あごでしゃくった。
「この彫り物に染み込んでる魔力、二種類ある。ひとつは、古くて、あったかい、もとからの魔力だ。もうひとつは、あとから、上に塗り重ねられた、黒くて、ねじれたやつ。……悪魔の手が、あとから、記録をいじってやがる。本物の記録の上に、嘘の色を、塗り足してある」
「分けられる?」
「時間はかかるが、剥がせる。黒いのだけ、そっと拭って、下の本物を出してやりゃいい。焦って全部いっぺんに触ると、下のもろい本物まで、崩れる。ゆっくりだ」
クラウは、その一枝ずつを、写し帳に書き取っていった。像の構図。囲む種族の並び。壁に刻まれた、読めるかぎりの文字。ライが本物と偽物を分けるそばから、確かなものだけを、丁寧に、紙へ移していく。
ソウは、その間、灯りを持ったまま、広間の奥へ、油断なく目を配っていた。守りの側の癖だ。
「きれいな像だ。けど、ここ、一度も荒らされてない。あの晩、悪魔が門をこじ開けようとしたのに、この奥までは、入れなかったってことだ。……何かが、ここを守ってる」
その言葉に、エネが、ノノの手を、少し強く握った。ノノは、広間へ入ってから、ずっと、耳を澄ますような顔をしていた。怖がってはいない。ただ、遠くの声を、じっと、たどっている。
「ノノ。どう。だいじょうぶ?」
エネが小声で訊くと、ノノは、こくりと頷いた。
「こわく、ない。ここのひとたち、やさしい。……でも、ひとりだけ、まだ、さがしてる」
・・・・・
そのときだった。
広間の四隅で、古い紋様が、ぼう、と鈍く光った。床が、低く鳴る。灯りが、ゆらいだ。ソウが、とっさに、皆をかばうように、前へ出た。
「まずい。何か、来る――」
壁のくぼみから、光でできた、番人のような影が、いくつも立ち上がった。武器の形をしたものを、こちらへ向けている。侵入者を、拒む動きだった。この間を守るために、遠い昔に仕込まれた、守りの記録が、まだ生きていた。
ソウが身構え、ライの毛が逆立った。けれど、エルクは、剣にも、逃げにも、走らなかった。ただ、その光の番人たちの前へ、ゆっくり、両手を広げて、進み出た。
「壊さないよ」
いつもの、ゆるい声だった。
「僕らは、ここを壊しに来たんじゃない。見せてもらいに、来ただけなんだ。何も、持って帰らない。傷も、つけない。……ただ、あなたたちが、何を守ってきたのかを、知りたいだけなんだよ」
光の番人は、しばらく、武器の形を、こちらへ向けたままだった。ノノが、エネの手を、ぎゅっと握った。
やがて――番人たちは、武器を下ろした。ゆっくりと、光の粒に戻って、壁のくぼみへ、また沈んでいく。攻撃は、しなかった。壊さない、と告げた者を、この間は、拒まなかった。
「……通して、くれた」
クラウが、ほっと、肩の力を抜いた。守りの装置さえ、力ずくで来る者は拒み、そっと願う者には、道をあけた。この間そのものが、力より、言葉で開くように、できていた。
・・・・・
剥がされていく黒い色の下から、少しずつ、本物の記録が、姿を見せた。読み取れたのは、ひとつのことだった。この国は、最後まで、仲の良い共存の国だった。誰も裏切らず、誰も憎まず、みんなで卓を囲んで、生きていた。それが、確かなことになった。
だからこそ、エルクの胸に、重いものが残った。仲が悪くて壊れたのなら、まだ、分かる。仲を直せばいい。けれど、仲が良かったのに壊れたのだとしたら――自分たちも、同じように、仲が良いまま、ある日、壊されるかもしれない。過去の幸せそうな卓の像が、そのまま、いまの自分たちの寄り合いに、重なった。
うつむきかけたエルクの袖を、ノノが、そっと引いた。
「まだ、きこえる」
ノノは、卓を囲む像の、いちばん端――ぽっかりと欠けた、最後の一画を、指さしていた。
「あそこ。まだ、ないてる。たすけて、って。ここ、だけ、まだ、きこえるの」
エルクは、その欠けた一画に、近づいた。彫り物が、そこだけ、削り取られたように、失われている。ライの言う黒い魔力も、そこには塗られていない。ただ、ぽっかりと、欠けている。
その、欠けた一画の縁に。
消えかけた、古い文字が、わずかに残っていた。クラウが灯りを寄せ、メアが、そっと、指でなぞる。かすれた線を、つなぎ合わせて、読み上げた。
「……『みんなを、守るために』」
最後まで仲の良かった国が、その最後に、誰かが、そう刻んで、欠けていた。みんなを守るために――何を、したのか。その先が、削り取られて、まだ、分からない。
「みんなを、守るため……」
エルクは、その言葉を、そっと繰り返した。守りたい、という気持ちなら、いま自分たちの中にも、たしかにある。この国を、みんなを、守りたい。その同じ気持ちが、遠い昔の誰かに、いったい、何をさせたのか。良いことだったのか、それとも、取り返しのつかない何かだったのか。刻まれた文字は、そこで途切れて、答えを、教えてくれなかった。
ノノの聞いた「たすけて」は、その欠けた一画の、削られた続きから、いまも、細く、漏れ続けていた。誰かが、みんなを守るために何かをして、それでも、まだ、助けを求めている。その続きを知ることが、この国の壊れ方を知ることに、つながっている気がした。エルクは、欠けた縁の文字を、もう一度、そっと指でなぞった。




