第116話 みんなで閉じる門
地下へ降りる道は前に来たときよりずっと冷たくなっていた。
壁を伝って黒い魔力が染みのように這い広がっている。壁画の人やモンスターの絵を一枚ずつ塗りつぶしながらその黒は奥の扉へと向かっていた。扉はもう半分以上光を漏らしている。その光のすき間からこちら側の冷気とは違うねっとりとした気配が押し出されてくる。
「うわけっこう進んじゃってるね」とエルクは扉を見上げて言った。
慌てた声ではなかった。困った荷物を見つけたくらいの調子だった。だがその目だけは扉のすき間から片時も離れなかった。
「のんびり言ってる場合か」とライが横で魔力の流れを読みながら言った。
「この黒い魔力が壁画を伝って扉の鍵を回してる。あと少しで開ききる。開いたら奥にあるものが全部こっち側に出てくる。何が出てくるかは……正直僕にもまだ分からない」
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エルクの影からぬっとドラゴが顔を出した。ヘルドラゴンの巨体が低い天井に窮屈そうに身をかがめている。
「主よ」とドラゴは言った。
「面倒な扉なら我が焼けばよいのだ。鍵ごと壁ごとまとめて灰にすれば悪魔の小細工もそれで終わるのだ」
エルクはドラゴの鼻先をぽんと叩いた。
「ドラゴありがと」とエルクは言った。
「でもねここ焼いちゃダメなんだ。この壁画も奥の魔力の通り道も僕らの砦を支えてる骨組みもぜんぶ繋がってる。扉だけ吹き飛ばしたつもりが砦ごと崩れちゃうかもしれない。それじゃ悪魔に壊されるのとおんなじだよ」
「……むう」とドラゴは不服そうに鼻を鳴らした。
「焼くのがいちばん早いのだがな」
「早いけどね」とエルクは笑った。
「早いのといいのはちがうからさ」
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扉のすき間からねばつくような声が滲み出してきた。
「壊セバ早イ」とその声は言った。
「ソノ竜ニ焼カセロ。一思イニココヲ崩セ。ソウスレバコノ恐怖モ終ワル。オ前ノ手ニハソノ力ガアルノダロウ」
エルクの指先がほんの少しだけドラゴのほうへ動いた。早く終わらせたい。その気持ちがなかったと言えば嘘になる。
「エルク」とクラウがその肩に手を置いた。
「あれの言うことを一つでも聞いたらそれが入口になる。あれはお前のいちばん楽な道をいつも先に教えてくるんだ。楽な道ほどあれの思うつぼだぞ」
「……だね」とエルクは指をドラゴからそっと離した。
「ごめんちょっとだけ聞きかけた。クラウありがと。……うん焼かない。みんなで閉じよう」
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「みんなでって言ったってよ」とソウが地下入口のほうへ目を配りながら言った。
「具体的にはどうするんだ。あの扉力ずくじゃ閉まらねえぞ」
「順番にやるんだよ」とエルクは言った。
「メア教えて。このまま行ったらどうなる? それとうまくいったらどうなる?」
メアが扉に手をかざして目を閉じた。
「……二つ見える」とメアは細い声で言った。
「一つは扉が開いて黒いのが砦じゅうに溢れる未来。もう一つは扉が半分開いたまま止まる未来。どっちに転ぶかは今この場のみんなの手で決まる。力で壊す未来はどっちも崩落になる。壊さないでいられたら止まるほうへ行ける」
「うんじゃあそっちに行こう」とエルクはあっさり言った。
「崩さないで止める。それでいこう」
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ライがまず黒い魔力の流れを読み切った。
「むやみに押し返すな」とライは言った。
「この黒は力で押すと押した分だけ恐怖を吸って強くなる。逆だ。流れを逸らすんだ。鍵に向かってる黒い筋を壁画のもう塗りつぶされた古い溝のほうへ横に流す。鍵から水を抜くみたいにな」
エルクが土魔法で扉の前にゆっくりと土の壁をせり上げた。叩きつけるのではなく扉をそっと手のひらで押さえるように。開こうとする力を真正面から止めるのではなく押し返さずただこれ以上開かないところで受け止める。
「ウーゴラネアラーネ」とエルクが呼んだ。
ウーゴが土魔法の壁の裏にすかさず木組みを噛ませて崩れないように支えた。アラーネとラネの姉妹が天井の崩れかけた隙間にすばやく糸を渡し落ちかけた岩を網で受け止めながら同時に班の背後にまっすぐな避難路を一本銀の糸で張った。
ダクトがぷるんと体を伸ばしてライの指す古い溝へ補修材と細かな魔石片を次々と運んで詰めていった。鍵へ向かっていた黒い筋がダクトの詰めた溝のほうへしぶしぶと横へ流れ始める。
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だが黒い筋は素直には逸れてくれなかった。
逸らした先からまた鍵のほうへ戻ろうとする。ライが舌を打った。
「だめだ上でまた誰かが怖がってる」とライは言った。
「地上の恐怖がこいつの餌だ。上で恐怖が湧くたび黒が力を取り戻して鍵へ引き返そうとする。下だけ押さえても上が揺れたら押し戻される」
「じゃあ上はみんなが押さえてくれてるよ」とエルクは土の壁に手を当てたまま落ち着いて言った。
「ゆうべ声をかけ合う練習したでしょ。あれがここで効くんだ。上のみんなが怖いのを一人で抱えないでいてくれたらこいつの餌は増えない。僕らは下を押さえる。上は上のみんなを信じよう」
メアが扉に手をかざしたまま小さく息を呑んだ。
「……今地上で誰かが誰かに声をかけた」とメアは言った。
「怖いって言えた人がいる。黒がほんの少し引いた。エルクの言うとおりだよ。下と上が繋がってる。片方だけじゃこの扉は閉まらない」
その一言で班の手にわずかな間ができた。エルクはその間を逃さず土の壁をもう一押し扉へ寄せた。
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黒い魔力が鍵から逸れていくにつれて扉の光がそれ以上広がらなくなった。
半分開いたまま扉は止まった。閉じきってはいない。だが開きもしない。エルクの土の壁が開こうとする力を受け止めライが黒い筋を逸らしウーゴが支え姉妹の糸が崩落を防ぎダクトが流れを変えた。誰か一人の力ではなかった。みんなの手が一か所ずつ押さえてようやく扉をその半開きのところで踏みとどまらせた。
「……止まったね」とエルクは額の汗を手の甲で拭った。
「完全には閉じてないよ」とライが息を切らして言った。
「鍵の黒は逸らしたけど扉そのものは半分開いたまま。これを完全に閉じるにはたぶんこの黒い魔力を撒いてる大元をどうにかしないと無理だ」
「うん」とエルクは頷いた。
「でも今日はこれでいい。崩さないで止められた。それがいちばん大事だよ」
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そのときだった。
半開きの扉のすき間から滲んでいた黒い気配がふいにぐにゃりと形を変えた。閉じ込められると悟ったのかその気配は扉の奥へ引っ込むのではなく班の脇をすり抜けて地上へ続く通路のほうへするりと逃げ出した。
「あ」とエルクが振り返った。
「逃げた。地上のほう行っちゃったよ」
「住民のところへ戻る気だ」とソウが舌打ちした。
「下を閉じたから今度は上でまた恐怖を撒くつもりか」
エルクは半開きで止まった扉と地上へ伸びる通路を順に見た。地下の門はなんとかみんなで押さえた。けれどそれを撒いていた当の悪魔はするりと明るいほうへ逃げていった。
「追いかけよっか」とエルクはのんびりとけれどもう歩き出しながら言った。
「下はみんなが守ってくれてる。なら僕はあいつのほうへ行くよ。……だいじょうぶ焼いたりはしないからさ」




