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辺境の村のモンスターテイマー  作者: スルメイカ
第三部・悪魔残党 / 旧共存国家編
119/249

第115話 疑う前に声をかけろ

 朝になってもその夜の重さは消えなかった。


 誰もが寝足りない顔をしていた。悪夢で何度も目を覚まし暗いうちから起きていた者も多かった。そして夢の中で見たものを誰かに話すでもなくただ胸の奥にしこりのように抱えていた。


 外周の仮住まいでは避難民が固まって身を寄せ合っていた。集落のほうでは人間たちがその固まりを遠目に見てひそひそと囁き合っていた。リザードマンは水辺から動かずラミアは岩陰から出てこなかった。


 誰も何もしていなかった。なのに村中が互いに少しずつ距離を取っていた。


 ・・・・・


「あいつら夕べこっちを見てた」とある若い人間が言った。


「悪夢を撒いてるのはあの避難民の中の誰かじゃないのか。よそから来た連中が来てからおかしくなった。やられる前に追い出したほうがいい」


 若者の何人かが納屋の鍬や鎌に手をかけようとした。


「やめときな」とケインがその肩をつかんだ。


「気持ちは分かる。おれだってゆうべは最悪の夢を見た。だがなお前その鎌で誰を刺すつもりだ。ゆうべお前に何かした奴がいたか。いないだろ。手を出す前にまずそれを思い出せ」


 一方外周では避難民の一人がもう荷物をまとめ始めていた。


「ここも同じだ」とその男は青い顔で言った。


「昔の国と同じになる。じきにわたしたちが悪夢の元凶にされて追い出される。そうなる前に出ていく」


 ・・・・・


 その騒ぎの真ん中へエルクがのそのそと歩いてきた。


 鎧を着ているわけでも声を張り上げるわけでもなかった。いつもどおりの気の抜けた調子のままだった。


「あーみんなちょっといいかな」とエルクは言った。


「ゆうべすごく怖い夢見たでしょ。僕も見たよ。たぶんここにいる全員が見たんだ。これあの悪魔のしわざでね。みんなの怖いって気持ちをこっそり大きくしてお互いを疑わせようとしてるんだよ」


 エルクは鎌に手をかけた若者と荷物をまとめた避難民を順に見た。


「だからね」とエルクは続けた。


「疑う前に声をかけてほしいんだ。あいつが怖いって思ったらその前にちょっと聞いてみてよ。ゆうべ眠れた? って。それだけでいいんだ。怖いならまず聞こう。叩く前に聞こう。……うんそれだけ」


 立派な演説ではなかった。だが鎌に伸びた手が止まった。


 ・・・・・


「とはいえ」とエルクは頭を掻いた。


「『聞いて』って言われてもいきなり相手のところに行くの怖いよね。疑ってる相手に話しかけるんだもん。だからそこは昨日の決まりを使おう」


 クラウがすかさず前へ出た。昨夜のうちに起こしたあの仮の決まりだった。


「疑いを直接ぶつけ合わないでください」とクラウは言った。


「怖いおかしいと思ったら相手に詰め寄る前にまず代表者へ伝えてください。人間はケイン避難民はそちらの取りまとめの方ラミアは長老リザードマンはゼルガ。代表が互いの状況を確かめ合います。あなたが直接ぶつかれば喧嘩になることも代表を一枚はさめばただの確認になります」


「そういうこと」とエルクは頷いた。


「疑いを悪魔に届く大声にしないで代表のところで小さいうちに拾う。それだけでだいぶ違うはずだよ」


 ・・・・・


 仕組みはすぐに試されることになった。


 人間の若者が「避難民の一人が夜中に地下のほうへ歩いていくのを見た」と言い出した。少し前ならそれはそのまま「あいつが悪魔の手先だ」という声になっていただろう。だが今度は若者は鎌ではなくケインのところへそれを持っていった。


 ケインが避難民の取りまとめへ伝え取りまとめが当の避難民に聞いた。


「ああそれは」とその避難民はばつが悪そうに言った。


「眠れなくて外の井戸に水を飲みに行っただけだ。地下のほうじゃない井戸だよ。暗くてそっちに見えたんだろう」


 それで話は終わった。疑いは刺し違える前にただの行き違いに戻った。代表を一枚はさんだだけで悪魔の餌になりかけた恐怖がしぼんで消えた。


「ほらね」とエルクはそれを聞いてちょっと笑った。


「聞いてみたら水飲みに行っただけ。こういうのいっぱいあると思うんだ。怖いで止まらないで聞くまで行けばたいていなんてことないんだよ」


 ・・・・・


 メルは村を回って口に出せずにいる不安を一つずつ拾っていった。


「眠れてない人が多いの」とメルは言った。


「夢の話を誰にも言えずにためこんでる。話すだけでずいぶん楽になる子もいる。怖いって言える場所がやっぱり要るね。みんな怖くないふりをするのに疲れてるのよ」


 メルは外周の避難民の子どもにもしゃがんで目を合わせて声をかけて回った。怖い夢を見た子がしゃくり上げながら話すのを最後まで急かさずに聞いた。話し終えた子はこわばっていた肩をようやく少しだけ落とした。


 ソウは混乱が一か所に集まって暴発しないよう人の流れを静かに整理した。広場を種族ごとに分けるのではなく誰でも通れる道として開けたままにした。道を分ければ分けた線がそのまま疑いの境になる。だからあえて混ぜたままにしておく。それがソウの選んだ守り方だった。


 エネはノノのそばに付きっきりだった。


「あんたのせいじゃないよ」とエネはその小さな子の手を握って言った。


「ゆうべの悪い夢はねみんなで一個ずつ分けて持ったんだ。あんた一人がぜんぶ背負うことじゃない。怖がられる側の気持ちはねあたしがいちばん知ってる。だからあんたはここにいていい」


 ノノはまだ不安そうだったがエネの手をぎゅっと握り返した。レオルとラミアの長老はそれぞれの仲間のところを回り「先に手を出すなまず代表に言え」と繰り返し伝えて歩いた。


 一日が終わるころには村の空気は朝とは少しだけ変わっていた。まだ皆が打ち解けたわけではない。だがすれ違うときに目をそらすのではなく「ゆうべ眠れた?」とぎこちなく声をかける者がぽつぽつと出てきた。


 ・・・・・


 その変化は地下にも届いていた。


 黒い霧は地上に芽吹かせた恐怖の種が思うように育たないことに苛立っているようだった。疑いが大声になる前に誰かが「眠れた?」と聞いてしまう。恐怖が餌になりきらない。扉の前の霧は少しずつ勢いを失っていった。


 エルクはその手応えにほっと肩を下ろしかけた。


 だがライが地下の扉を見つめたまま硬い声で言った。


「エルク。霧は弱まってる。それはいいんだ。でも――扉のほうがまずい」


「え」とエルクは扉を見た。


「あいつが恐怖で開けようとしてた封印」とライは言った。


「もう半分開いてる。地上の恐怖が薄まってもここまで開いた扉はひとりでには閉じない。僕たちが声をかけ合って稼いだ時間より――この扉が開ききるほうがたぶん早い」


 エルクは半分ほど光を漏らし始めた扉を見上げた。


 人の心のほうはなんとか踏みとどまった。みんなで怖さを分け合って悪魔の餌をぎりぎりで断った。けれどその隙に地下の鍵はもう半分まで回ってしまっていた。声をかけ合って稼いだわずかな猶予が開きかけた扉の前で刻一刻と削られていく。


「うーんこっちは間に合ったのになあ」とエルクは半分光る扉を見上げてのんびりと頭を掻いた。


「扉くんは待ってくれないかあ。……まあしょうがない。次はあっちをなんとかしないとね」


 気の抜けた言い方のわりにその目だけは開きかけた光から離れなかった。

 朝になっても、その夜の重さは、消えなかった。


 誰もが、寝足りない顔をしていた。悪夢で何度も目を覚まし、暗いうちから起きていた者も多かった。そして、夢の中で見たものを、誰かに話すでもなく、ただ胸の奥に、しこりのように抱えていた。


 外周の仮住まいでは、避難民が、固まって身を寄せ合っていた。集落のほうでは、人間たちが、その固まりを、遠目に見て、ひそひそと囁き合っていた。リザードマンは水辺から動かず、ラミアは岩陰から出てこなかった。


 誰も、何もしていなかった。なのに、村じゅうが、互いに少しずつ、距離を取っていた。


・・・・・


「あいつら、ゆうべ、こっちを見てた」と、ある若い人間が言った。


「悪夢を撒いてるのは、あの避難民の中の誰かじゃないのか。よそから来た連中が来てから、おかしくなった。やられる前に、追い出したほうがいい」


 若者の何人かが、納屋の鍬や鎌に、手をかけようとした。


「やめときな」と、ケインが、その肩をつかんだ。


「気持ちは分かる。おれだって、ゆうべは最悪の夢を見た。だがな、お前、その鎌で誰を刺すつもりだ。ゆうべ、お前に何かした奴がいたか。いないだろ。手を出す前に、まず、それを思い出せ」


 一方、外周では、避難民の一人が、もう荷物をまとめ始めていた。


「ここも、同じだ」と、その男は青い顔で言った。


「昔の国と、同じになる。じきに、わたしたちが、悪夢の元凶にされて、追い出される。そうなる前に、出ていく」


・・・・・


 その騒ぎの真ん中へ、エルクが、のそのそと歩いてきた。


 鎧を着ているわけでも、声を張り上げるわけでもなかった。いつもどおりの、気の抜けた調子のままだった。


「あー、みんな、ちょっといいかな」とエルクは言った。


「ゆうべ、すごく怖い夢、見たでしょ。僕も見たよ。たぶん、ここにいる全員が見たんだ。これ、あの悪魔のしわざでね。みんなの怖いって気持ちを、こっそり大きくして、お互いを疑わせようとしてるんだよ」


 エルクは、鎌に手をかけた若者と、荷物をまとめた避難民を、順に見た。


「だからね」とエルクは続けた。


「疑う前に、声をかけてほしいんだ。あいつが怖い、って思ったら、その前に、ちょっと聞いてみてよ。ゆうべ、眠れた? って。それだけでいいんだ。怖いなら、まず、聞こう。叩く前に、聞こう。……うん、それだけ」


 立派な演説では、なかった。だが、鎌に伸びた手が、止まった。


・・・・・


「とはいえ」とエルクは、頭を掻いた。


「『聞いて』って言われても、いきなり相手のところに行くの、怖いよね。疑ってる相手に、話しかけるんだもん。だから、そこは、昨日の決まりを使おう」


 クラウが、すかさず前へ出た。昨夜のうちに起こした、あの仮の決まりだった。


「疑いを、直接ぶつけ合わないでください」とクラウは言った。


「怖い、おかしい、と思ったら、相手に詰め寄る前に、まず代表者へ伝えてください。人間はケイン、避難民はそちらの取りまとめの方、ラミアは長老、リザードマンはゼルガ。代表が、互いの状況を、確かめ合います。あなたが直接ぶつかれば喧嘩になることも、代表を一枚はさめば、ただの確認になります」


「そういうこと」とエルクは頷いた。


「疑いを、悪魔に届く大声にしないで、代表のところで、小さいうちに拾う。それだけで、だいぶ違うはずだよ」


・・・・・


 仕組みは、すぐに、試されることになった。


 人間の若者が、「避難民の一人が、夜中に地下のほうへ歩いていくのを見た」と言い出した。少し前なら、それはそのまま「あいつが悪魔の手先だ」という声になっていただろう。だが今度は、若者は、鎌ではなく、ケインのところへ、それを持っていった。


 ケインが、避難民の取りまとめへ伝え、取りまとめが、当の避難民に聞いた。


「ああ、それは」と、その避難民は、ばつが悪そうに言った。


「眠れなくて、外の井戸に水を飲みに行っただけだ。地下のほうじゃない、井戸だよ。暗くて、そっちに見えたんだろう」


 それで、話は、終わった。疑いは、刺し違える前に、ただの行き違いに戻った。代表を一枚はさんだだけで、悪魔の餌になりかけた恐怖が、しぼんで消えた。


「ほらね」とエルクは、それを聞いて、ちょっと笑った。


「聞いてみたら、水飲みに行っただけ。こういうの、いっぱいあると思うんだ。怖い、で止まらないで、聞く、まで行けば、たいてい、なんてことないんだよ」


・・・・・


 メルは、村を回って、口に出せずにいる不安を、一つずつ拾っていった。


「眠れてない人が、多いの」とメルは言った。


「夢の話を、誰にも言えずに、ためこんでる。話すだけで、ずいぶん楽になる子もいる。怖いって言える場所が、やっぱり要るね。みんな、怖くないふりをするのに、疲れてるのよ」


 メルは、外周の避難民の子どもにも、しゃがんで目を合わせて、声をかけて回った。怖い夢を見た子が、しゃくり上げながら話すのを、最後まで、急かさずに聞いた。話し終えた子は、こわばっていた肩を、ようやく少しだけ、落とした。


 ソウは、混乱が一か所に集まって暴発しないよう、人の流れを、静かに整理した。広場を、種族ごとに分けるのではなく、誰でも通れる道として、開けたままにした。道を分ければ、分けた線が、そのまま疑いの境になる。だから、あえて、混ぜたままにしておく。それが、ソウの選んだ守り方だった。


 エネは、ノノのそばに付きっきりだった。


「あんたのせいじゃないよ」とエネは、その小さな子の手を握って言った。


「ゆうべの悪い夢はね、みんなで一個ずつ分けて持ったんだ。あんた一人が、ぜんぶ背負うことじゃない。怖がられる側の気持ちはね、あたしがいちばん知ってる。だから、あんたは、ここにいていい」


 ノノは、まだ不安そうだったが、エネの手を、ぎゅっと握り返した。レオルとラミアの長老は、それぞれの仲間のところを回り、「先に手を出すな、まず代表に言え」と、繰り返し伝えて歩いた。


 一日が終わるころには、村の空気は、朝とは、少しだけ変わっていた。まだ、皆が打ち解けたわけではない。だが、すれ違うときに、目をそらすのではなく、「ゆうべ、眠れた?」と、ぎこちなく声をかける者が、ぽつぽつと出てきた。


・・・・・


 その変化は、地下にも、届いていた。


 黒い霧は、地上に芽吹かせた恐怖の種が、思うように育たないことに、苛立っているようだった。疑いが大声になる前に、誰かが「眠れた?」と聞いてしまう。恐怖が、餌になりきらない。扉の前の霧は、少しずつ、勢いを失っていった。


 エルクは、その手応えに、ほっと肩を下ろしかけた。


 だが、ライが、地下の扉を見つめたまま、硬い声で言った。


「エルク。霧は弱まってる。それは、いいんだ。でも――扉のほうが、まずい」


「え」とエルクは、扉を見た。


「あいつが恐怖で開けようとしてた封印」とライは言った。


「もう、半分、開いてる。地上の恐怖が薄まっても、ここまで開いた扉は、ひとりでには、閉じない。僕たちが声をかけ合って稼いだ時間より――この扉が開ききるほうが、たぶん、早い」


 エルクは、半分ほど光を漏らし始めた扉を、見上げた。


 人の心のほうは、なんとか、踏みとどまった。みんなで怖さを分け合って、悪魔の餌を、ぎりぎりで断った。けれど、その隙に、地下の鍵は、もう半分まで回ってしまっていた。声をかけ合って稼いだわずかな猶予が、開きかけた扉の前で、刻一刻と、削られていく。


「うーん、こっちは間に合ったのになあ」とエルクは、半分光る扉を見上げて、のんびりと頭を掻いた。


「扉くんは、待ってくれないかあ。……まあ、しょうがない。次は、あっちをなんとかしないとね」


 気の抜けた言い方のわりに、その目だけは、開きかけた光から、離れなかった。

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