第110話 受け入れた者が門を開けた
翌朝、エルクはクラウの部屋にいた。
昨日地下で見たことは、メア、ライ、ウーゴと、この場の全員で預かると決めた。だから、住民には言っていない。けれど、エルクとクラウの二人だけは、あの一行のことを、朝からずっと考えていた。
クラウは、昨日写した壁画の構図を、机に広げていた。円卓を囲む種族たち。誰も笑っていない顔。欠けた最後の壁画。そして、その裏の一行。
「あれから、ずっと考えてた」とクラウが言った。「『受け入れた者が、門を開けた』。これが何を言ってるのか」
「どういう意味だと思う?」
「いくつか、考えられる」とクラウは指を折った。「一つ。外から受け入れた誰かが、裏切って、敵に門を開けた。二つ。受け入れた者が、騙されて、知らずに門を開けてしまった。三つ。受け入れること自体が、国を壊すきっかけになった。……どれなのかは、まだ分からない」
「でも」とエルクは言った。「どれにしても、昔の国は、外から来た人を受け入れた後に、壊れたってことだよね」
「そう読める」とクラウは低く言った。「会議の絵があって、いろんな種族が一緒に座ってた。今の俺たちと同じだ。それでも、あの国は無くなった。最後の場面は、削り取られて見えない。残ってるのは、この一行だけだ」
エルクは、写しの絵を見つめた。笑っていない顔が、何かを必死に決めようとしていた、とメアは言った。決めなければ間に合わない、と。あの会議で、昔の人たちは、外から来た者を受け入れるかどうかを、話し合っていたのかもしれない。
「クラウ」とエルクは言った。「今、俺たちのところにも、外から来た人がいる」
「ああ」とクラウは頷いた。「ミナたちだ」
・・・・・
その避難民を巡って、国の中の空気は、少しずつ重くなっていた。
悪夢の件があった。食料が消えかけた件もあった。どれも、はっきり誰かのせいだと決まったわけではない。それでも、人の心には、澱のように疑いが溜まっていく。
「やっぱり、外の連中を入れたのが間違いだったんじゃないか」
そういう声を、エルクも何度か耳にしていた。誰かが大声で言うわけではない。井戸端で、炊事場で、見回りの合間に、ぽつりと漏れる。だが、その小さな声が、確かに増えていた。
クラウは、それを正確に把握していた。
「住民の何人かは、もう、避難民を受け入れたこと自体を、後悔し始めてる」とクラウは言った。「困ってる相手を助けたい、っていうお前の気持ちは分かる。俺も、追い出したいわけじゃない。だが、このまま何も決めずにいたら、国の中が二つに割れる。昔の国と、同じ流れだ」
「割れる前に、どうにかしたい」とエルクは言った。
「方法は、二つしかない」とクラウは指を二本立てた。「一つは、避難民を全部、追い出す。そうすれば、疑いの種は消える。もう一つは、無条件で全部受け入れて、国の中の不満を押さえつける。……お前は、どっちもやりたくないんだろう」
「うん」とエルクははっきり言った。「追い出したくない。あの子たちは、本当に困って逃げてきたんだ。でも――何も決めずに、ぜんぶ受け入れるのも、違う気がする」
言いながら、エルクは自分でも驚いていた。少し前の自分なら、「困ってるなら全部助ければいい」と即答していた。でも今は、その先に何が起きるかを、考えるようになっていた。
「追い出さない。でも、何も決めずに入れるのも、しない」とエルクは言った。「その間の、やり方を探したい」
クラウが、少しだけ目を見開いた。それから、口の端を上げた。
「お前が、そんなことを言うようになるとはな」
・・・・・
その日のうちに、エルクは仲間を集めて、受け入れのやり方を相談した。
クラウが、受け入れの条件案を出した。いきなり中心区画へ入れるのではなく、外周区画での仮住まいを続けながら、少しずつ確かめていく。誰がどこにいるか、体調はどうか、何に怯えているか。一つずつ、皆で見ながら進める。
ソウが、安全確認の手順を足した。
「敵扱いはしない。だが、無警戒もしない」とソウは言った。「仮住まいの周りに、見回りを増やす。これは監視じゃない。何かあったとき、いちばん先に守れる位置に、人を置くってことだ」
メルが、心配そうに言った。
「それ、避難民の子たちには、ちゃんと説明しないと。見回りが増えたら、『やっぱり見張られてる』って、怖がるよ」
「だから、メルに頼みたいんだ」とエルクは言った。「見回りは、追い出すためじゃなくて、守るためだって。ちゃんと、あの子たちに伝えてほしい」
メルは頷いた。エネが、静かに口を開いた。
「怖がられる側の気持ちは、あたしがいちばん分かる」とエネは言った。「怖いから距離を置かれるのと、守るために距離を取るのは、される側からしたら、見分けがつかない。だから、言葉で、ちゃんと分けてあげないと」
レオルは、腕を組んでいた。リザードマンの側には、まだ警戒が強い。
「俺たちも、かつては受け入れてもらった側だ」とレオルは低く言った。「だから、頭から拒むのは違う。それは分かってる。……だが、子供らの安全だけは、譲れん。そこを守る形なら、乗る」
「守る」とエルクは言った。「誰も、勝手に傷つけさせない。それは、最初からの約束だよ」
・・・・・
話し合いの結果が、避難民たちにも伝えられた。
追い出さない。けれど、すぐに中心へは入れない。外周で、もう少しだけ、一緒に確かめさせてほしい。見回りは、見張るためじゃなく、守るため。
それを聞いて、ミナが、きつい目をした。
「結局、私たちは、信用されてないんだ」とミナは言った。「人間は、いつもそうだ。優しいふりをして、最後は私たちを疑う」
「疑ってるんじゃない」とエルクは言った。「まだ、お互いを知らないだけだよ。知るのに、ちょっと時間がほしいんだ」
「その『時間』の間に、私たちが何かしたら、すぐ追い出すんでしょう」
ミナの言葉に、今度はケインが、かっとなった。人間移住者の若者だ。
「おい、それはこっちの台詞だ」とケインが言った。「条件をつけられてるのは、お前らだけじゃない。俺たち人間だって、ここじゃ最初は警戒されたんだ。お前だけが疑われてるみたいに言うな」
空気が、ぴりっと張りつめた。エルクは、二人の間に入った。
「ケイン、ミナ」とエルクは言った。「二人とも、怖いんだよね。ミナは、また追い出されるのが怖い。ケインは、せっかく作った国が、揉めるのが怖い。……怖い気持ちは、悪くない」
メルが、すかさず続けた。
「怖がるのは悪くない。でも、怖いからって、相手を傷つける言葉をぶつけるのは、違うよ」
ケインが、ばつが悪そうに口をつぐんだ。ミナも、目をそらした。けれど、さっきまでの尖った空気は、少しだけ和らいでいた。
・・・・・
その夜、エルクは外周の仮住まいを、そっと見に行った。
追い出さない。でも、無条件でもない。その間の道を、選んだ。正しいのかは、まだ分からない。昔の国も、こんなふうに迷いながら、受け入れるかどうかを決めたのかもしれない。そして、壊れた。
仮住まいの灯りの一つに近づくと、ミナが外に立っていた。エルクに気づくと、一瞬、逃げようとして、止まった。
「……エルク」とミナは、小さな声で言った。「さっきは、ごめん。でも、聞いてほしいことがある」
「うん」
ミナは、しばらくためらってから、絞り出すように言った。
「私たちの中に……黒い影に、触られた子が、いるの」
エルクの背筋が、冷たくなった。
「ずっと、言えなかった。言ったら、その子が、追い出されると思って。でも、夜になると、その子の周りで、変なことが起きる。みんなが見る、あの悪い夢。たぶん、あの子のせいなんじゃないかって……」
ミナの声は、震えていた。
受け入れた者が、門を開けた。地下の一行が、エルクの頭の中で、もう一度、響いた。
「教えてくれて、ありがとう」とエルクは言った。声が、少しかすれた。
「その子のこと、ちゃんと考えよう。追い出すためじゃなくて、どうするのがいちばんいいか、皆で」
夜の風が、外周の仮住まいを撫でていった。エルクは、自分たちが今、昔の国と同じ岐路に立っているのを、はっきりと感じていた。




