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辺境の村のモンスターテイマー  作者: スルメイカ
第三部・悪魔残党 / 旧共存国家編
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第109話 昔の国の会議

 翌朝、エルクは地下の部屋へもう一度降りた。


 昨日の夕方、ライと一緒に見た壁画のことが、頭から離れなかった。草原に人と獣人が並んでいた絵が、いつのまにか円卓を囲む会議の場面に変わっていた。今日はそれを、ちゃんと調べることにした。


 降りたのはエルク、クラウ、メア、それにライとウーゴだった。ソウは入口で警戒に残った。大人数で降りないこと。それが昨日決めた約束だった。


「昨日より、染みが剥がれてる」


 エルクが言うと、クラウが燭台を近づけた。壁画を覆っていた黒い染みの一部が、薄く剥がれ落ちていた。その下から、昨日は見えなかった部分が現れている。


 円卓の周りに座っているのは、人間だけではなかった。獣人がいる。ラミアに似た、下半身の長い種族がいる。肩に鳥型のモンスターを止まらせた者がいる。そして、円卓の端の方に、竜に似た大きな影が描かれていた。


「いろんな種族が、一緒に座ってる」とクラウが低く言った。「これは……会議だな。間違いなく」


「昔も、皆で話し合ってたんだね」


 エルクは素直にそう思った。今の自分たちと、同じだ。人間も、リザードマンも、ラミアも、空の一族も、一つの場所で一緒に決めようとしている。


 けれど、絵を見ているうちに、引っかかるものがあった。


「クラウ。この人たち、誰も笑ってない」


 クラウが目を細めた。


「……本当だ」


 円卓を囲む者たちの顔は、どれも真剣だった。喜んでいるのでも、寛いでいるのでもない。何かを、必死で決めようとしている。そういう表情に見えた。


・・・・・


 メアが壁の前に立った。


「触れてもいいですか、主様」


「危なくない?」


「分かりません。でも、ここからは、強い気持ちが残っています。読むなら、触れた方が確かです」


 エルクは少し迷ってから頷いた。


「無理はしないで。ちょっとでも変だと思ったら、すぐ離れて」


 メアが壁画にそっと手をかざした。指先が触れる。長い睫毛が伏せられ、しばらく動かなくなった。


 やがて、メアが小さく息を吐いた。


「……人が、たくさん。声が重なっています。怒っているのではありません。怖がっているのでもありません。ただ、必死です。何かを、決めなければならない。決めなければ、間に合わない。そういう焦りが、壁に染み込んでいます」


「何を決めようとしてたか、分かる?」


「そこまでは読めません。ただ、この会議は、楽しい集まりではありませんでした。皆、何かに追われていたように感じます」


 メアが手を離した。額に薄く汗が浮いていた。


「大丈夫?」


「平気です。悪夢のときのような、嫌な感じはありませんでした。これは悪魔の残滓ではなく、昔の人たちが本当に感じていた気持ちです」


 その時、エルクの頭に念話が届いた。ライだ。


『エルクさん。壁画に残っている魔力は、地上の黒い残滓とは別のものです。古くて、静かで、攻撃的ではありません。たぶん、記録のために残された魔力だと思います』


「ライが言ってる。この壁画の魔力は、悪魔のとは違うって。記録のために残されたものじゃないかって」


 緑色の小さなスライムが、壁の根元でゆっくり揺れた。


「記録」とクラウが繰り返した。「誰かが、わざと残したのか。後から来る誰かに、見せるために」


・・・・・


 クラウが羊皮紙を広げ、壁画の構図を写し始めた。円卓の位置、座っている種族の数、それぞれの並び。一つずつ、丁寧に。


「全部は写しきれない。だが、形だけでも残しておく。後で皆と確かめられるように」


 エルクは壁画の続きを目で追った。会議の場面から、絵は左へと続いている。だが、その先は様子が違った。


 いちばん奥の壁画だけ、大きく欠けていた。


 まるで、誰かが後から削り取ったように。あるいは、最初から描かれなかったように。会議の絵まではあるのに、その続きだけが、ぽっかりと無くなっている。


「ここだけ、ない」とエルクが言った。


「壊れたのか、消されたのか」とクラウが言った。「どっちにしても、いちばん大事なところが見えない」


 エルクが欠けた壁に近づこうとした、その時だった。


 部屋の奥で、低い音がした。


 封鎖通路の暗がりに置かれていた、石の人形——防衛ゴーレム。その目が、鈍く光った。エルクが一歩踏み出すごとに、ゴーレムの肩が、ぎし、と動く。


「主様、下がってください」


 メアの声が鋭くなった。エルクは足を止めた。止まると、ゴーレムの目の光も、弱まった。


「近づくと、反応するんだ」


『エルクさん。あのゴーレム、僕たちを侵入者だと思っているのかもしれません。昔の国を守るために置かれたものなら、勝手に奥へ進む者を止めるように作られているはずです』


 エルクはライの念話をクラウに伝えた。クラウが頷いた。


「守るために残されたものなら、無理に壊すのは違うな」


「うん」とエルクは言った。「壊さないで、見せてもらおう」


 エルクは欠けた壁に近づくのをやめた。代わりに、ゴーレムが反応しない距離まで下がって、その場で手を合わせた。


「俺たちは、昔の国を荒らしに来たんじゃない。ここで同じことをやろうとしてるんだ。だから、見せてくれると助かる」


 ゴーレムは答えなかった。ただ、目の光が、ふっと消えた。それ以上、肩を動かすこともなかった。


・・・・・


 ウーゴが、欠けた壁のすぐ手前まで来ていた。崩れかけた天井の一部に、太い木の腕をあてがって、ゆっくりと支えている。


「ウーゴ、無理しないで」


『ダイジョウブ。マダ、モツ』


 ウーゴが支えたことで、欠けた壁画の根元に、わずかな隙間が見えた。崩れた漆喰の奥。そこに、何かがあった。


 エルクは距離を保ったまま、目を凝らした。ゴーレムは動かない。


 欠けた壁画の裏側、剥がれた漆喰の下に、古い文字が刻まれていた。今の言葉とは少し違う、角ばった古い字。それでも、読めないことはなかった。


 クラウが、燭台を限界まで近づけて、声に出して読んだ。


「受け入れた、者が……門を、開けた」


 部屋が、静かになった。


 受け入れた者が、門を開けた。


 会議の絵。笑っていない種族たち。必死で何かを決めようとしていた人たち。そして、欠けた最後の壁画と、その裏に刻まれた一行。


「受け入れた者って、どういう意味かな」とエルクが言った。


「分からない」とクラウが言った。「だが、嫌な予感がする。今の俺たちは、外から来た人たちを受け入れたばかりだ」


 エルクは何も言えなかった。


「この話、すぐ皆に言う?」とエルクが聞いた。


 クラウは少し考えてから、首を横に振った。


「いや。まだ早い。今、避難民を受け入れたばかりだ。そこに『昔、受け入れた者が国を壊した』なんて話を流したら、どうなると思う」


「……ミナたちが、もっと疑われる」


「そうだ。文字が一行あるだけで、何があったかはまだ分からない。受け入れた者が裏切ったのか、騙されたのか、利用されたのか。それも分からない。分からないまま広めるのは、悪魔が一番喜ぶやり方だ」


 エルクは頷いた。怖い気持ちを声に出すたびに、黒い残滓が強くなる。ライがそう言っていた。確かでないことを広めれば、それと同じことになる。


「じゃあ、まずちゃんと調べよう。この壁画が、本当は何を言いたかったのか」


「ああ。それまでは、ここで見たことは、この場の全員で預かる。メア、ライ、ウーゴ、いいな」


 メアが静かに頷いた。ライの念話が、短く返ってきた。


『承知しました』


「ウーゴ、壁を支えてくれてありがとう。もう離れて大丈夫だよ」


『ワカリマシタ』


 ウーゴがそっと腕を引いた。崩れかけた天井は、ぎし、と鳴いたが、落ちはしなかった。


 壁画の中の昔の人たちは、皆で話し合っていた。今の自分たちと、同じように。それでも、この国は無くなった。最後の壁画は、削り取られて見えない。


 ただ一行、文字だけが残っている。


 受け入れた者が、門を開けた。


 その言葉が、地下の冷たい空気の中で、いつまでも消えなかった。

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