第108話 ライの違和感
翌朝、ライはエルクたちに調べたことを話した。
「昨夜、三か所を回ってきた。食料置き場、ミレナが悪夢を見た寝床、地下入口の前。それぞれに黒い魔力の残滓がある。量は少しずつ違う」
「どこが一番強い?」とエルクが聞いた。
「寝床の近くが今は一番強い。でも、昨日の昼間、ミナとケインが言い合ってた時は食料置き場の方が強かった。場所によって変わる」
「変わるって、何で?」
ライは少し考えてから言った。
「昨夜ずっと見ていて、気づいたことがある。残滓の強さは、誰かが不安や疑いを口にしたタイミングで変わる。昨日、ミナが『やっぱり人間は信じられない』と言った瞬間、食料置き場の方の反応が上がった。その後ケインが『疑うなら出て行け』と言った瞬間も、同じ場所が反応した」
「そういう言葉が出るたびに、強くなるってこと?」
「そう見えた。でも確信はない。もう少し観察が必要だと思う」
「他に気になったことはあった?」とエルクが聞いた。
「寝床の近くが今は一番強いって言ったけど、夜中に誰かが悪夢で目を覚ました後、しばらくその人の近くがまた反応してた。寝た後は落ち着いた。起きて何か感じてる時の方が強くなる感じがした」
「眠ってる時じゃなくて、誰かが声に出して不安を言った後に強くなる」
「そう。昨夜は全部で六回、変化を記録した。全部、誰かが何かを声に出した後だった。偶然かもしれないけど、六回全部同じパターンだった」
エルクはその数字を聞いた。一回や二回なら気のせいにもなる。六回全部が同じなら、気のせいではない。
・・・・・
昼前、エルクはソウとクラウにもライの話を伝えた。
ソウは少し黙ってから言った。
「残滓が人の感情に反応するとしたら、残滓は完全に消えていないんじゃなくて、増えたり減ったりしてるということか」
「そうかもしれない」とライが言った。「悪魔本体がいなくても、感情の反応を利用して動ける形で残ってるような気がする」
「それは普通の悪魔と違うな。普通は本体がいないと動かない」
「うん。だから、普通の悪魔魔力と挙動が違うって思ってた。昨日から何かが引っかかってて、それが今日ようやく形になった」
クラウが手帳に書きながら言った。
「じゃあ、不安や疑いを口にするほど、残滓が強くなる。強くなるほど、夢を見やすくなったり、何かが誤作動したりする。その悪循環が続く、ということ?」
「可能性としてはそう見える」
「メアさんには伝えた?」とエルクが聞いた。
「まだ。朝に確認しに行こうとしたら、昨夜も夢を見てたって聞いて、先に休ませようと思って後回しにした」
「後で一緒に聞いてみよう。悪夢と未来視の違いを見分けるのが一番うまいから」
ライが頷いた。
エルクはその言葉を聞いてから、少しだけ間を置いた。
「それって、怖い気持ちを悪用してるってこと?」
誰も何も言わなかった。
エルクが続けた。
「不安になるほど残滓が強くなって、強くなるほどまた不安になる。悪魔がそこにいなくても、俺たちが怖がるだけで、勝手に広がっていく仕組みにしてる」
「……そう言うと分かりやすい」とソウが言った。
「子供みたいな言い方だけど、一番正確かもしれない」とクラウが言った。
「正面から来ないのは、こっちの方が効くからだね」とエルクが言った。「直接戦って勝てなくても、中から崩れてくれれば悪魔には都合がいい」
・・・・・
午後、ソウが全員を集めた。
避難民も、人間移住者も、エルクたちのグループも、全部で三十人近くになった。ソウが簡単に事情を説明した後で、メルが続けた。
「怖がることは悪くない。不安になることも、疑いが出ることも、全部自然なことです。それが問題なんじゃない。怖いまま誰かを傷つけることが、危ない」
「じゃあどうしろって言うんだ」と年配の避難民の男が言った。
「怖いと思ったら、黙って我慢するんじゃなくて、クラウかソウかエルクに伝えてください。疑いが出たら、その人に直接ぶつけないで、まず代表に伝える。それだけを守ってほしい」
「そんなことで、悪魔の仕掛けが防げるのか」
「防げるかどうかは分からない」とエルクが言った。「でも、隠してると広がる可能性が高い。報告してもらった方が、少なくとも俺たちが対応できる」
「悪夢を見た人を責めない、というルールもつけましょう」とメルが付け加えた。「悪夢は敵に見せられているものかもしれない。見た側の責任じゃない」
ケインが腕を組んで言った。
「報告って、どこにすればいい?」
「私かソウか、エルクのどちらかに」とメルが言った。「誰かに伝えにくければ、紙に書いて渡してもいい。ルール作りが目的じゃないから、形にこだわらなくていい」
「俺が誰かを疑い始めたら、それも言っていいのか」
「言ってほしい。誰かを直接責める前に、まず私たちに話を持ってきてほしい。そこから一緒に確かめます」
ケインは少し黙ってから、小さく頷いた。
反発は出なかった。昨日のことが、全員の頭にあった。
・・・・・
夕方、ライが壁画のある地下部屋を確認しに行った。
壁画は一週間前と同じ場所にあるはずだった。それは変わっていなかった。だが内容が変わっていた。
ライは入口で立ち止まった。
前は、草原に人と獣人が並んでいる場面だった。今は違う。大きな建物の中に、円卓を囲むように座っている人物たちが描かれている。半分は人間で、半分は獣人か、別の種族か、はっきり分からない。みんなで何かを話し合っているような構図だ。
「これ、会議の絵じゃない?」
エルクがそばに来て言った。
「昔の国の会議室みたいに見える。旧共存国家って、こういう場所があったのかな」
「昨日はなかった。今日は変わってる」
二人はしばらく壁画を見た。描かれた人物たちは動かない。だが、その表情は真剣で、何かを決めようとしている場面に見えた。
ライは壁に手をかざした。
黒い残滓の反応はない。この変化は悪魔ではなく、壁画そのものが動いたように見えた。
「また変わった、ということは」とライが言った。
「また、先に進んだってことかもしれない」
エルクは壁画をもう少し見てから、地上に戻った。旧共存国家が、こういう形で存在していたなら、それはただの過去の話ではないかもしれなかった。
地上に戻ると、メルが夕食の準備をしていた。子供たちがスライムたちと一緒に野菜を運んでいる。昨日の朝の張り詰めた空気とは違う、静かな夕方だった。
「壁画が変わってた」とエルクはメルに言った。
「どんなふうに?」
「昔の会議みたいな場面になってた。人間と、人間じゃない誰かが、円卓を囲んでる」
「旧共存国家の記録かな」
「そう思う。あの国がどういう場所だったか、もう少し分かるかもしれない」
メルが鍋をかき混ぜながら言った。
「今日の話と、壁画の話が繋がってるとしたら、あの国は今みたいな問題も抱えてたのかな。疑い合うこととか、一緒に暮らすことの難しさとか」
「かもしれない。だから会議してたのかも」
エルクはその言葉を聞いて、少し考えた。
旧共存国家が残した壁画が、今のこの場所のことを伝えようとしているのかどうか、まだ分からない。だが、変化するたびに何かを示していることは、もう疑いようがなかった。




