第111話 影に触れた子
翌朝、エルクは昨夜のことを、クラウたち中の数人にだけ伝えた。
避難民の中に、黒い影に触られた子がいる。ミナが、夜のうちに、打ち明けてくれた。
「やっぱり、か」とクラウは、低く言った。
「悪夢の出どころが、避難民の中にあるんじゃないかって声は、前からあった。だが、これで、はっきりした」
「はっきりしたからって、追い出すためじゃないよ」とエルクは、すぐに言った。
「その子を、どうやって守るか。それを考えるために、伝えたんだ」
クラウは、しばらく黙ってから、頷いた。
「分かってる。お前のことだ。そう言うと思った」
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ライが、避難民の仮住まいを、そっと調べて回った。
うなされた者の周りに残る、薄い黒い魔力。ライは、それを見分けることができる。仮住まいを一つずつ回って、黒い気配の濃いところを、静かに探していった。
そして、一番奥の小さな天幕の前で、ライは足を止めた。
「……ここが、いちばん濃い」とライが言った。
「この中にいる子から、薄く、黒いのが滲んでる。強くはない。でも、確かに、付いてる」
天幕の中にいたのは、小さな子だった。避難民の子供のひとり。頭に、ミナと同じ短い角が、ちょこんと生えている。小角族の、まだ幼い男の子だった。
名前を、ノノ、といった。
ノノは、エルクたちが天幕の前に立つと、びくっと体を縮めた。大きな目に、いっぱいの怯えが溜まっていた。
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「ノノ」とメルが、しゃがんで、目線を合わせた。
「こわくないよ。ちょっと、お話、いいかな」
ノノは、首を横に振った。それから、消え入りそうな声で言った。
「……ぼくの、せいなんでしょ」
エルクは、息を呑んだ。
「みんなが、こわいゆめを見るの。ぼくが、いるから。ぼく、しってるんだ。ぼくがねむると、へやが、くらくなるの。だから……ぼく、ねむらないようにしてるの」
ノノの目の下には、黒いくまができていた。眠れば、周りに悪夢を振りまいてしまう。それが分かっているから、この子は、眠ることを、自分でやめようとしていた。
「悪意なんて、どこにもない」とエルクは、思わず呟いた。
いちばん怖がっているのは、周りの大人たちじゃない。この、小さな子自身だった。自分のせいで皆が怖がっている。そのことに、誰よりも傷ついていた。
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ノノのことは、すぐに、国の中に広まった。隠しきれることではなかった。
そして、案の定、隔離を求める声が上がった。
「悪夢の元が分かったなら、話は早い。その子を、どこか離れた所に閉じ込めればいい」と、住民のひとりが言った。
「そうすれば、もう誰も、悪い夢を見なくて済む」
ラミアの長老も、心配そうだった。
「うちの子供らにも、影響が出たらどうする。あの子を、子供らから引き離してほしい」
無理もない声だった。皆、自分の子を守りたいだけだ。エルクにも、それは分かった。
けれど――。
その時、エネが、前に出た。ふだんは後ろに控えている、おとなしい後輩だ。けれど、その声は、はっきりしていた。
「閉じ込めるだけじゃ、なんにも変わらないよ」とエネは言った。
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「あたしは、こわがられるモンスターと、ずっと一緒に暮らしてる」とエネは言った。
バジリスクやマンティス。一目見れば、誰もが身をすくめる従魔たちだ。
「みんな、最初は、あの子たちを閉じ込めろって言った。危ないから、見えないところにやれって。でもね、閉じ込めても、こわさは消えなかった。消えたのは、その子たちの居場所だけ」
エネは、ノノの天幕の方を見た。
「あの子は、悪魔じゃない。悪魔に、触られただけ。触られたから、悪い子になるわけじゃない。閉じ込めたら、あの子は『自分は危ないものだ』って、思い込んじゃう。それこそ、影の思うつぼだよ」
隔離を求めた住民が、口ごもった。
「だが、もし、その子が夜中に暴れたら……」
「そのために、見回りがいるんだ」とソウが、静かに言った。
「閉じ込めて見ないふりをするより、そばにいて、すぐ動けるほうが、ずっと安全だ。隔離は、安心に見えて、いちばん危ない。何かあったとき、誰もそばにいないんだからな」
住民は、まだ納得しきってはいなかった。けれど、頭ごなしに言い返すことは、しなくなった。
エルクは、エネの言葉に、強く頷いた。
「その通りだ」とエルクは言った。
「ノノは、悪い子じゃない。悪魔に触られて、いちばん困ってるのは、ノノ自身なんだ」
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エルクは、皆の前で、決めた。
ノノを、追い出さない。閉じ込めもしない。けれど、何もしないわけでもない。
「外周に、ノノのための場所を作る」とエルクは言った。
「閉じ込める檻じゃない。安心して、眠れる場所だ。そこで、皆で見守る。ひとりにはしない」
ソウが、安全の手順を足した。
「万一、夜にあの黒いのが暴れたときのために、すぐ動ける距離に、見回りを置く。これは、ノノを見張るためじゃない。何かあったとき、いちばん先に、ノノを助けるためだ」
そして、ライが、前に進み出た。
「黒い魔力を、完全には消せない」とライは言った。
「でも、抑えることなら、できるかもしれない。あの子の周りに、簡単な結界を張る。眠っても、黒いのが外に滲み出さないように。試してみる価値はある」
その夜、ライは、ノノの新しい寝床の周りに、淡く光る簡易結界を張った。
ノノは、おそるおそる、その中で横になった。久しぶりに、眠ることを、自分に許した。
結界の光は、夜のあいだ、静かに灯り続けた。
・・・・・
その夜、メアも、ノノの寝床の近くにいた。
住民たちの夢を聞き取るのが、メアの役目だ。メアは、結界の外に座って静かに目を閉じ、夜のあいだ流れてくる夢の気配を、じっと窺っていた。
明け方、メアは、エルクにそっと告げた。
「昨日までは、夜中になると、いろんな人の夢に、黒いものが滲んできてた」とメアは言った。
「でも、今夜は……ノノの周りで、それが、ぴたっと止まってるの。結界の中に、収まってる。外には、漏れてない」
「ライの結界が、効いてるんだね」とエルクは言った。
「うん。完全じゃないけど」とメアは頷いた。
「少なくとも、今夜は、誰も、悪い夢を見てない」
その様子を、少し離れたところから、ミナが見ていた。
追い出されると思っていた子が、追い出されるどころか、皆に守られて、静かに眠っている。見回りの者は、ノノを見張るためではなく、ノノが安心して眠れるように、外で夜の寒さに耐えていた。
ミナは、何も言わなかった。けれど、その目から、さっきまでの尖りが、少しだけ、消えていた。
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翌朝、ノノは、少しだけ、眠れた顔をしていた。
「……ゆめ、見なかった」と、ノノは小さく言った。
それから、おずおずと、エネを見上げた。
「ぼく、ここに、いてもいいの?」
「いいに決まってるでしょ」とエネは、ノノの頭を、そっと撫でた。
「こわいものと暮らすのは、慣れてるんだから。あたしに任せて」
エルクは、その様子を、少し離れて見ていた。
危ないかもしれない者を、追い出すでもなく、閉じ込めるでもなく、どう一緒にいるか。それは、ノノひとりの話では、終わらない気がした。これから、もっと大きな問いになって、自分たちの前に立つ。受け入れた者が、門を開けた――地下の一行が、まだ、頭の隅で響いていた。
「エネ」とエルクは言った。
「ノノのこと、頼んでもいいかな」
「うん」とエネは、迷わず頷いた。
「この子のことは、あたしが見る」
小さな結界の中で、ノノが、初めて、ほんの少しだけ、笑った。




