第104話 受け入れる前に決めること
翌朝、クラウは夜明け前から書き物をしていた。
昨夜の詰所の続きだ。羊皮紙に項目を並べ、何度も消して書き直した。書きながら、自分がどこから手をつけるべきか迷っていた。
避難民を受け入れるかどうかという問いに、クラウ一人で答えを出してはいけない。
それだけははっきりしていた。
砦の中心で暮らす全員に関わることだからだ。
・・・・・
会議を開くという話は、朝食が終わったころには拠点の主要な人間に伝わっていた。
集まったのは、詰所の広い部屋だ。
クラウ、ソウ、メル、エネが人間側として座る。レオルはリザードマン側の代表として、腕を組んで椅子の端に腰を下ろした。ラミアの長はメアを隣に置き、蛇の下半身を折り畳んで床に座った。
エルクも来た。隅の椅子に座って、両手をぶらぶらさせながら周りを見回している。
出席者を見ていたケインが、廊下から声をかけてきた。
「これ、俺たちも聞いていいですか」
仲間の若い移住者を三人連れていた。
クラウが少し考えてから、「聞いていろ。発言は代表者に限る」と言った。ケインたちは廊下の壁に背をつけて立った。
・・・・・
「始める」
クラウが卓の中央に羊皮紙を置いた。昨夜書いたもので、端が少し乱れていた。
「今日の議題は一つだ。外周に保護している避難民たちを、このモンスターの国に受け入れるかどうか。受け入れるとしたら、どういう形でどういう条件でか。それを今日ここで決める」
「追い返すという選択肢は?」
レオルが静かに言った。
「選択肢として存在する。ただ、現時点で俺は推奨しない。追い返した場合、彼女たちが山道で黒い影に追いつかれたとき、その責任をどう考えるかという問題が残る」
レオルは黙った。否定はしなかった。
「昨夜、ウルが彼女たちの周囲に悪魔に似た匂いがすると言っていた。詳しくはライに調べてもらう予定だが、まだ結果は出ていない」
エルクがライの方を見た。エルクの肩から、緑色の小さなスライムが少し身を乗り出す。
「ライは今朝も外周近くで魔力の測定をしてたんだよね。今のところ、まだ明確なことは分かってないって」
「その通りです」
クラウが頷いて先を続けた。
「分からないうちに追い返せば、危険にさらすかもしれない。分からないまま中に入れれば、住民が危険にさらされるかもしれない。どちらにも問題がある。だから今日、みんなで考えたい」
・・・・・
最初に口を開いたのはレオルだった。
「慎重にするべきだと思う」
言葉は短く、しかしはっきりしていた。
「拠点の位置を、外の者に知られることがまず問題だ。あの者たちが悪意を持っていなくても、追われているのであれば、追ってくる者に場所を知らせる可能性がある」
「その点は考えていた」
ソウが地図を広げた。
「仮避難場所は外周の岩棚の内側で、拠点の中心区画からはかなり距離がある。彼女たちが今見えている範囲では、砦の全体構造まで把握できない。ただ、レオルの言う通り、彼女たちを経由して情報が漏れる可能性はゼロじゃないわ」
「では、どうする」
「中心区画への移動は、安全が確認できるまで禁止にする。仮住居をもう少し整えて、そこで生活してもらう。出入りに際して、見張りを置く」
「それは監視になるのでは?」
ラミアの長がメアを通じて問いかけた。メアが静かに言葉を代わりに届ける。
「長は、監視されることで彼女たちが余計に恐怖しないか、と問うておられます。人間を信用していない者を管理下に置くのは、逆効果になる可能性がある、と」
「それは正しい懸念だ」
クラウが認めた。
「見張りは、彼女たちを閉じ込めるためじゃなく、こちら側の住民が無断で近づかないようにするための意味も持たせる。双方を守るための距離、という形にしたい」
・・・・・
ラミアの長がもう一度メアを通じて話した。
「子供たちが心配だ、と。ラミアの小さい子たちが、影響を受けやすい年齢の者が多い。もし彼女たちの中に、悪魔の影に触れた者がいるなら、その影響が子供たちに伝わるのが一番怖い」
部屋が少しの間、静かになった。
エネが小さく手を挙げた。
「言っていいですか」
クラウが頷く。
「私の従魔のバジちゃん、昨日から仮避難場所の方角をずっと見てるんです。バジリスクは毒や魔力の異常に敏感で、何か感じてる可能性が高い。でも……昨日は特に強い反応じゃなかったんです。明確に危ないっていうサインじゃなかった。だから、排除するほどの根拠には今はなりません」
「じゃあ近づけていいってこと?」
ケインが廊下から口を挟んだ。クラウが静かな声で言う。
「ケイン、今は代表者の話を聞く時間だと言ったはずだ」
「でも」
「続きはあとで言え」
ケインは一度口を閉じた。しかし体の向きはそのままで、部屋の中を見ていた。
エネが続けた。
「バジちゃんに毎日確認してもらうことはできます。何か強い反応が出たら、すぐに知らせてもらえる。それが、今私にできる一番確実な方法です」
「分かった。頼む」
・・・・・
メルが腕を組みながら言った。
「ちょっと聞いていい。皆が心配しているのは、彼女たちが悪魔の影を持ち込むかもしれないこと。でも、そもそも彼女たちが今いる状況って……悪魔に追われながら知らない場所に来て、人間に怯えながら一夜を過ごしたってことだよね」
「そうだが」
「怖い思いをしてる人をさらに追い詰めたら、どうなると思う?」
クラウは少し黙った。
「不安が強くなる」
「そう。昨日ライが言ってたでしょ。地下の魔力が住民の感情に反応してるって。彼女たちが怯えれば怯えるほど、悪魔の影が活性化する可能性がある。逆に、安心できれば、その反応が弱くなるかもしれない」
「……証拠はないが、論理は通っている」
「だから私は、閉じ込めるより、できるだけ丁寧に接する方がいいと思う。完全に信用しろっていうんじゃなくて、怖がらせないようにして話を聞く方が、こっちにとっても有益だと思う」
ラミアの長がメアを通じて言った。
「その考えには同意できます。ただ、子供たちを守ることが前提です」
「それはもちろん」
・・・・・
そこで、廊下のケインが声を上げた。
「ちょっと待ってください」
クラウが目を向ける。
「困ってる人間が目の前にいて、何でこんなに難しく考えるんですか。入れてやればいいでしょう」
「ケイン」
「昨日、エルクさんと話してたじゃないですか。一緒に暮らすって決めた場所でしょ。困ってる人を見捨てるのは、この場所のルールに反してるんじゃないですか」
クラウが羊皮紙を置いた。
「追い返すとは言っていない」
「でも、外周に置いて見張りを立てるって、それほぼ牢獄じゃないですか」
「牢獄じゃない」
クラウの声が少し低くなった。怒っているわけではない。ただ、丁寧に、はっきりと伝えようとしている声だった。
「今ここで話しているのは、どうすれば彼女たちを安全に受け入れられるか、という話だ。受け入れる気はある。ただ、受け入れた後のことを決めないまま中に入れると、住民の安全が守れなくなる可能性がある。それが起きたとき、一番傷つくのは誰だ」
「……それは」
「彼女たち自身も含まれる。外からの避難民がここに来て、住民と衝突して、追い出される。そうなれば、受け入れたこと自体が意味を失う。受け入れた後に守れなければ、助けたことにならない」
ケインは何も言わなかった。
「お前の気持ちは分かる。俺も早く助けたい。だが、気持ちだけじゃ人は守れない」
・・・・・
エルクがずっと黙って聞いていた。
クラウの言葉を聞きながら、エルクは心の中で何かが落ちる感じがした。
受け入れた後に守れなければ、助けたことにならない。
それは、エルクがまだ考えていなかったことだった。助けるという行為の後の話。その後が崩れたとき、助けた側も助けられた側も、両方が傷つく。
エルクは少し背筋を伸ばして、部屋全体を見回した。
「クラウの言ってること、正しいと思う」
全員の視線が集まった。
「僕もすぐに中に入れたかった。でも、それは僕が楽になりたいだけかもしれない。助けた気になって、その先を考えてなかった。クラウが言う通り、ちゃんと守れる形にしてから受け入れる方が、本当に助けることになると思う」
短い沈黙があった。
レオルが低く言った。
「……その判断は正しい」
「でも一つだけお願いしていい?」
エルクが続けた。
「手順を踏むのはいいんだけど、それを彼女たちに伝えるときは、疑ってるからじゃなくて、皆を守るためだって正直に言ってあげてほしい。そうじゃないと、また怖くなると思うから」
メルが小さく頷いた。
「それは私が行く」
・・・・・
方針が固まっていった。
クラウが羊皮紙に書き留めながら、一つずつ確認していった。
避難民は現在の外周の仮住居に留まってもらう。ウーゴが木材を足して、もう少し居住スペースを広くする。
食料と水は毎日クラウかダクトが届ける。接触するのはメルと、必要に応じてエネ。人数は絞る。
健康状態の確認は薬草係の老婆に頼む。怪我や病気があれば治療する。
事情聴取は急がず、彼女たちが話せる状態になってから行う。エルクが窓口になる。
バジちゃんに毎日確認してもらう。異変があればすぐに報告する。
中心区画への移動は、ライの魔力確認と、住民全体への説明が済んでからにする。
レオルが最後に言った。
「リザードマン側の見張りを一人、外周に立てたい。戦力としてではなく、万が一の際の連絡役として」
「賛成だ」
クラウが書き込んだ。
「ラミアの長はどうか」
メアが長の言葉を届ける。
「了解します。子供たちには、当面あの方向には近づかないよう伝えます。それと……彼女たちに、ラミアも以前は同じように怯えていたと、伝えてほしいのです。一言だけ」
エルクが頷いた。
「伝える」
・・・・・
会議が終わった後、ケインが廊下で壁に背をもたせかけていた。
仲間たちは先に戻っていた。一人だけ残っている。
エルクが出てきて、ケインの隣を通り過ぎようとした。
「エルクさん」
ケインが呼んだ。
「さっきのクラウの言葉……俺の言い方、間違ってましたか」
「間違ってはないと思う」
エルクが止まった。
「気持ちは本物だったんじゃないかな。ただ、気持ちと方法は別物でさ。両方ないといけない、みたいな感じだと思う」
「でも結局、俺は何も決めてもらえなかった」
「ケインは今日、住民として話を聞いた。それは必要なことだよ。皆が決めた方針を、一緒に守ってもらわないといけないから」
ケインは少しの間黙った。
「分かりました」
ぶっきらぼうな返事だったが、それ以上は言わなかった。
・・・・・
昼過ぎ、メルが仮避難場所に行った。
ミナたちに方針を伝えた。疑ってるわけじゃなく、みんなを守るために手順を踏みたいということ。中に入れないのは今だけで、順番があるということ。
ミナは最初、黙っていた。
それから言った。
「……追い返さないということですか」
「そうよ」
「でも、すぐに入れてもくれない」
「今はね。ただ、追い返したいわけじゃない。ちゃんと受け入れるために、確認することがある。それだけ」
ミナはしばらく考えた。
大人の一人が、ミナの袖を引いた。ミナが振り向いて、小声で短いやり取りをする。それから、こちらを向いた。
「……分かりました。待ちます」
メルは「ありがとう」と言って帰ってきた。それだけだったが、それで十分だった。
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夕方、クラウが記録を書き終えた。今日決まったことを羊皮紙に一本線でまとめる。
「一時保護。中心区画への移動は条件付き。健康確認、事情聴取、見守りを行う」
エルクが横から覗き込んで言った。
「受け入れ前の確認、みたいなものだね」
「そういうことだ。今まで、こういう手順がなかった」
「なかったね」
「移住者を受け入れたときも、ラミアやリザードマンを受け入れたときも、全部エルクの判断だった。それで今まで上手くいっていたが、住民が増えるほど、一人の判断では回らなくなる」
「今日初めてできたんだ、みんなで決めることが」
「そうだな」
クラウは羊皮紙を丁寧に折った。
「次は、この手順をもう少し整えたい。どんな人を受け入れて、どんな確認をして、どこまで確認できれば中心区画に入れるか。ルールにしていく必要がある」
「難しそう」
「難しい。でも、今日の話し合いがその一歩だ」
エルクは少し考えてから言った。
「ケインのこと、もう少し話し合いに入れた方がいいかもしれない。あいつ、気持ちはちゃんとあるから」
「そうだな。次の会議には正式に招く」
「うん、それがいいと思う」
・・・・・
夜が深まった頃。
外周の仮避難場所から、低い声が聞こえた。
見張りのリザードマンがすぐに確認すると、ミナではない。一緒に逃げてきた群れの中の小さな一体、耳の長い子供だった。
子供は目を開けていなかった。眠ったまま、何かをうわごとのように繰り返していた。
リザードマンが近づいて耳を澄ます。
言葉は、はっきりとは聞き取れなかった。ただ、繰り返される音の中に、確かに混じっていた。
黒い。影。来る。
その三つだけが、静かに、繰り返されていた。




