表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
辺境の村のモンスターテイマー  作者: スルメイカ
第三部・悪魔残党 / 旧共存国家編
107/115

第103話 山道から来た怯えた群れ

 最初に気づいたのはグリフだった。


 朝から上空の見回りに出ていたグリフが、砦の南側、山道の折れ曲がった先に差し掛かったとき、小さな気配を複数感じた。エルクへの念話が届いたのは、それから少しして。


『エルク、南の山道に何かいる。小さいのが何体か。ゆっくり動いてる。急いでる感じじゃないけど、追われてる感じもする』


「追われてる感じ?」


『うまく言えないけど……必死な感じ』


 エルクはちょうど広場でお茶を飲んでいた。急いで立ち上がって詰所へ走る。クラウが書類をめくっていた。


「グリフから連絡が来た。南の山道に何かいる。小さいものが複数、急いでるわけじゃないけど追われてる感じがするって」


 クラウが手を止めた。


「南の山道。外周警備の範囲か」


「グリフが今確認してる。でも、どうする?」


「まず見に行く。ウルを連れていけ。ウル、匂いを探れるか?」


 ウルへの念話を入れると、すぐに応答が来た。


『承知した。すでに南の方角に気配を感じていた。合流する』


・・・・・


 山道の折れ曲がりを二つ越えたあたりで、エルクはグリフから「見えた」という念話を受けた。上空から見下ろすグリフの伝える内容はこうだ。


『七体か八体。種族は全部違う。小さい。子供も混じってる。一体はかなり足を引きずってる。追ってくる影は見えない』


「追ってくるものはいないの?」


『いない。でも……あいつら、後ろを何度も振り返ってる』


 それを聞いて、エルクは少し急いだ。クラウは念のため少し距離を取って後ろについてくる。


 山道の曲がり角を回ったとき、エルクは彼らを見つけた。


 岩の陰に身を寄せあうようにして固まっている小さな群れだ。


 全員が小柄だった。大人でも人間の子供ほどの背丈しかない。種族もばらばらだ。頭に短い角を二本持つ者、耳が長く鋭い者、体の一部が淡く発光している者。そして、まだ幼い顔つきの子供たちが、大人たちの陰に隠れるように縮こまっている。


 一体が足を引きずっていた。包帯代わりに布を巻いているが、それも血が滲んで変色している。


 エルクが近づこうとした。


 そのとき、群れの中の一体が顔を上げた。


 視線がエルクと合った瞬間、その者の顔が凍りついた。声もなく、ただ真っ白な顔のまま、一歩だけ後ずさった。


「怖がらせるつもりはないよ。助けたいんだけど」


 エルクが声をかけた瞬間、群れ全体がびくりと揺れた。


 逃げなかった。でも、近づいてこようともしなかった。全員がエルクを見ていたが、その目には怯えが張り付いていた。人間を見て安堵するのではなく、人間を見て余計に固まっていた。


・・・・・


 ウルが静かに山道に降り立った。


 エルクの隣に来て、群れの方へ鼻を向ける。


『主よ。追ってくる者の匂いはない。ただ……少し変だ』


「変?」


『この者たちの周りに、薄く嫌な匂いがある。血の匂いではない。何か焦げるような、腐るような……うまく言えないが、知っている匂いに似ている』


「知ってる匂いに似てるって、何に?」


『……かつて王都の空を割った悪魔に。ごく薄いが、同じ種類だ』


 エルクは少しの間、ウルの言葉を噛み締めた。


 群れの中の一体、頭に短い角を二本持つ少女が、岩の陰から体だけ少し前に出した。年の頃は、十二、三くらいだろうか。目が合うと、引っ込みそうになったが、踏みとどまった。


「影が、来ます」


 少女が言った。人間の言葉だった。声が震えていた。


「追ってる者はいないはずなんだけど」


「見える追手じゃないです。黒い影が……来るんです。足音も形もない。でも、ずっと後ろにいる」


 エルクはその言葉を聞いて、メアが言っていたことを思い出した。黒い影。悪魔の残り香。


「どこから逃げてきたの?」


「山の向こう。もともと住んでた場所が……あるとき急に冷たくなって、夜になると黒い霧みたいなものが来るようになって、怖くて出てきました」


「一人じゃないんだよね」


「みんな一緒に逃げました。途中ではぐれた子もいます」


 少女の声に、奥で固まっていた子供の一人がしゃくり上げる声が混じった。


・・・・・


 クラウが前に出てきた。


 群れを観察してから、静かにエルクの横に並ぶ。


「聞いてた」


「うん。助けた方がいいよ」


「そうだな」


「じゃあ中に連れていこう」


「待て」


 クラウがエルクを止めた。エルクが少し不満そうな顔をする。


「クラウ、でもあの子たちを見てよ。怪我してる子もいるし、子供もいるし」


「分かってる。見てる。だから急ぐなと言ってる」


「急がないと悪化するじゃない」


「今すぐ中心区画に入れることと、怪我を手当てすることは別の話だ」


 クラウは腕を組んだ。


「考えてみろ。あの者たちがどこから来て、何を連れてきたのか、まだ分かっていない。ウルが言ったことを聞いてたか。悪魔に似た匂いがすると」


「……うん」


「中に入れれば、住民が不安になる。今でさえ地下のことで皆が落ち着いていない状態だ。手順を踏まないまま入れれば、かえって混乱が大きくなる。助けたいなら、きちんと助けられる準備をしてからだ」


 エルクはしばらく何も言わなかった。


 群れの方を見ると、少女がじっとこちらを見ていた。大人の一人が、足を引きずりながら少女の前に出るように立っていた。庇おうとしているのだと分かった。


「……分かった」


 エルクが言った。


「ただ、このまま山道に置いていくのはだめだよ」


「そのつもりはない。外周の近くに仮の場所を作る。食料と水を持っていく。そこで話を聞いて、安全が確認できれば中に入れる」


「それはできる? 早く?」


「ウーゴに頼めば早い。ダクトに食料を出してもらう。今すぐ動く」


 クラウが念話でエルクを通じてウーゴへ指示を出すよう頼んだ。エルクがウーゴへ伝えると、短く「ウケタ」という返事が来た。


・・・・・


 外周のすぐ内側、見通しの良い岩棚に仮の屋根が作られた。ウーゴが木を組んで風雨を凌げる程度の空間を短時間で作り上げる。ダクトが食料と水を運んできた。薬草係の老婆が自ら足を運んで、怪我を負った一体の応急手当を申し出た。


 群れは最初、そこに近づこうとしなかった。


 入口に立ったエルクが手を振っても、全員が十歩ほど離れた場所から動かない。


「メル、来てもらっていい?」


 エルクが念話を飛ばすと、メルがすぐに現れた。状況を見て、「あ〜」と小さく言ってから、エルクの横に並んだ。


「とりあえず私が行ってみるわ」


 メルが一人で群れの方へ歩いていった。途中、大人の一人が一歩前に出て「来るな」という動作をした。でもメルは止まらなかった。止まらずに、数歩のところで腰を下ろした。立ったままではなく、しゃがんで相手と目線を合わせる。


「ここに来るように言いに来たわけじゃないわよ。ちょっとだけ話したかっただけ」


 大人が答えなかった。


「怖いよね。知らない場所で、知らない人間に囲まれて」


「……人間は信用できない」


 大人が口を開いた。女性の声だった。


「信用しなくていいわよ。ただ、怪我してる子を手当てさせてくれない? それだけ」


「手当て?」


「この老婆が一人で行く。武器は持ってない。見てれば分かるでしょ」


 老婆が杖をついてゆっくりと歩み出た。背が曲がった小さな老婆は、どう見ても脅威には見えなかった。


 群れの中に、少しの間があった。


 足を引きずっていた一体の子供が、こっそりと老婆の方へ顔を向けた。


・・・・・


 砦の中では、それとは別の動きがあった。


 仮避難場所が作られているという話が、どこからか住民の間に広がっていた。


 昼過ぎ、ケインが広場でクラウを捕まえた。


「外に怪しい連中が来たって聞きましたけど、本当ですか」


「一時保護中だ。詳しくはこれから確認する」


「悪魔関係じゃないですか。地下も変になってるのに、外から何かが来るなんて、おかしくないですか」


「今は判断できる段階じゃない」


「でも、もし悪魔を連れてきてたら……」


「だから確認するんだ」


 クラウが静かに言い返した。


「ケイン、怖いのは分かる。俺も気になっている。でも何も分からない状態で決めつけることと、確認してから判断することは、全然違う。今はまず話を聞く段階だ」


 ケインは黙った。納得した顔ではなかった。でも、それ以上は言わなかった。


 レオルが少し離れた場所でその会話を聞いていた。


 腕を組んだまま、ケインが立ち去るのを見届けてから、静かに歩いてきた。


「クラウよ。連れてきた者たちの種族は確認できたか」


「小角族が一人、耳長族が二人、あとは種族が分からないものが複数。子供が三人」


「小角族か」


 レオルが低い声で呟いた。


「知ってる?」


「山の向こうに、かつて小規模な集落があったと聞いたことがある。滅んだと思っていたが……」


「彼らが言うには、黒い影に追われて逃げてきたと」


 レオルはしばらく何も言わなかった。


「……急いで入れるべきではないな」


「そうだ」


「だが、見捨てる気にもなれない。我らリザードマンも、かつては追われた側だった」


 クラウが頷いた。


「だから外周で仮保護にした。中には入れないが、雨風は凌げる。食料も出す。それ以上は状況次第だ」


「……妥当だ」


 レオルが短く言った。その顔には、判断を下した男の静かな表情があった。


・・・・・


 エネは仮避難場所からなるべく離れた位置に、ティスとバジちゃんを連れて待機していた。


 バジちゃんが、屋根の陰で丸まって群れの方角を向いている。その目が、時折細く光る。


「バジちゃん、何か感じてる?」


 エネが小声で聞くと、バジちゃんが一度だけ頭を持ち上げた。感じているのだと思った。何かを、エネには見えないものを。


「分かった。じゃあここで待ってて。近づいたら余計に怖がらせちゃうから」


 エネは群れを遠くから見ていた。老婆が怪我した子供の足を包み直している。その子が、最初はびくびくしていたが、手当てが終わる頃には少しだけ硬さが取れていた。


 老婆が立ち上がって戻ってきたとき、エネに目が合った。


「びっくりするくらい、怖がっとったよ」


 老婆がそっと言った。


「でも逃げなかったね」


「うん。それくらいには疲れとったんだと思う。足はひどくなかったが、体が限界に近い。食べてないんだろね」


・・・・・


 夕方になって、ダクトが運んできた食料を群れに渡した。


 最初は誰も手を伸ばさなかった。


 エルクが食料の一つを手に取って、自分で口に入れてみせた。毒でも何でもないということを見せた。


 子供の一人が、そろそろと前に出た。小さな手が食料を掴む。一口かじる。それを見て、他の子供が続いた。


 大人の一人が、ため息をついてからようやく手を伸ばした。


 しばらくして、角を持つ少女が仮の屋根の端に腰を下ろした。エルクが少し離れたところに同じように腰を下ろす。


「名前、聞いていい?」


 少女は少しの間考えてから、答えた。


「ミナ」


「ミナか。僕はエルク。ここで生活してる者の一人だよ」


「……人間が、リザードマンやラミアと一緒に暮らしてるって、本当なんですか」


「本当だよ。見た?」


「遠くから。信じられなくて」


「なんで信じられないの?」


 ミナはしばらく黙っていた。


 風が吹いて、山の木々が揺れた。遠くで、グリフがゆっくりと旋回している影が見えた。


「前にも……そういう場所があったと、聞いたことがあるから」


「前に?」


「私たちの先祖が語り継いでいます。むかし、人間とモンスターが一緒に暮らした国があったって」


 エルクは少し背筋が伸びた。


「その国、どうなったの?」


 ミナが顔を伏せた。


 答えるまでに、ひと呼吸あった。


「……壊されました。人間に」


 その声は静かだったが、震えていた。


 怒りではなかった。悲しみでもなかった。ただ、長い時間をかけて何度も繰り返し語り聞かされ、骨に刻み込まれたような、重い言葉だった。


「だから……人間のいる場所は、信用できないって、ずっと」


 エルクは何も言わなかった。


 すぐには言えなかった。言えることと言えないことがある。「信用してくれ」と言うのは簡単だ。でも、それは今夜言う言葉じゃない。


 ただ、ミナの横に座ったままでいた。


・・・・・


 夜、クラウが詰所で今日の出来事を記録していた。


 エルクが入ってきて、椅子に座った。


「ミナが言ってた。前の共存の国は、人間に壊されたって」


 クラウのペンが止まった。


「……旧共存国家のことか」


「多分そうだと思う。彼女たちの先祖から語り継がれてきた話だって」


 クラウはしばらく沈黙した。


「旧共存国家が滅んだことは、俺たちも知ってる。悪魔の関与があったことも。でも、人間側に壊されたという認識が彼女たちには残っているとしたら……」


「真実がどうかは分からない。でも、彼女たちにとってはそれが本当のことなんだよ」


「そうだな」


 クラウが記録を続けた。


「明日、改めて話を聞く。安全確認も含めて。ウルの言っていた悪魔の匂いについても、ライに見てもらう必要がある」


「うん」


「エルク。今夜はよくやった」


「何が?」


「すぐに中に入れようとしなかったこと、だ」


 エルクは少し頬を掻いた。


「クラウが正しかったから」


「それを認めたこと、だ」


 二人の間に、短い沈黙があった。


 外では、ウルの眷族が夜の見回りを続けていた。仮避難場所の方角から、子供の声が小さく聞こえた。泣き声ではなく、何かを話す声だった。


 エルクはその声を少し聞いてから、立ち上がった。


「明日、ちゃんと話せるといいね」


「そのための準備が今夜の仕事だ」


 クラウが書き続けた。


 エルクは詰所を出て、夜の砦を歩いた。


 外周の方角を向くと、ウーゴが組んだ屋根の輪郭がぼんやりと見えた。その中で、ミナたちが夜を過ごしていた。


 黒い影に追われて、知らない場所へたどり着いて、信用できないはずの人間たちに食料をもらって、今夜そこで眠ろうとしている。


 それだけでも、今日は一歩だと思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ