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辺境の村のモンスターテイマー  作者: スルメイカ
第二部・辺境建国編
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第100話 モンスターの国、始動

 集会の朝、エルクはいなかった。


「エルク!」


 メルが砦の中を走り回った。食堂、水場、南の物置の陰、薬草園の端。どこにもいない。


「捜すな」


 クラウが壁際から言った。


「なんで」


「絶対に昼寝場所に隠れてる。探すと本気で逃げる。……ライ、頼む」


 エルクの肩の上から離れていたライが、緑色の体をぷるりと揺らした。念話がエルクへ飛んだ。


 しばらくして、砦の東側の塔の陰から、エルクがのそのそと出てきた。


「……見つかっちゃった」


「当たり前だ。何を隠れてる」


「だってさ、大勢の前で話すの得意じゃないんだよ」


「今さら言うな」


 クラウがエルクの首根っこをつかんで引っ張った。メルが反対側から腕を掴んだ。


「離してよ」


「離さない」


「逃がさないよ」


 二人がかりで引っ張られながら、エルクは広場へ連行された。


・・・・・


 中央広場に、これだけの人数が集まったのは初めてだった。


 イェール村から来た移住者たちが、左側に固まっていた。ケインと大工の兄弟、狩人、薬草係の老婆、若者たち。彼らはまだ少し緊張した顔をしていた。


 右側には、レオルを先頭にリザードマンの戦士たちが並んでいた。鎧はつけていないが、体格だけで十分な存在感があった。その後ろに、ラミアの長と数十人のラミアたち。子供のラミアが二、三体、親の腰に絡みついていた。


 中央には、クラウとソウ、メル、エネが立っていた。


 広場の端には、ウルが静かに座っていた。黒銀の大きな体が、存在するだけで空気を変えていた。ライオはウルの隣に並び、揃って前を向いている。スラが広場の石畳の上をぴょんぴょんと跳ねながら、自分の定位置を探していた。ウーゴは広場の壁際に立ち、木の体をそのまま建物の一部のように見せていた。ダクトは食堂の入り口の前で丸くなっていた。


 空ではグリフが円を描いていた。


 さらに遠く、山の稜線の上に、大きな翼が一瞬見えて、また消えた。ゼルガだった。姿を見せずに、空から見ていた。


 そして、砦の裏手の崖から、ドラゴが顔だけを出して広場を覗いていた。エルクの念話に「こっちに来いよ」と言われたらしく、不満そうな顔でのっそりと広場の後方に移動した。ドラゴが来ると、後方の空気がぐっと変わった。


「揃ったか」


 クラウが前に出た。


・・・・・


「皆に聞いてもらいたいことがある」


 クラウの声は、広場全体に通った。


「ここは砦跡だ。かつて誰かが建てて、誰かが捨てた場所だ。俺たちはここを借りて、ここを直して、ここを自分たちの場所にしてきた。それは間違いじゃなかったと、今日ここにいる皆を見て、改めて思う」


 レオルが腕を組んで聞いていた。ラミアの長が静かに目を細めた。


「ここは何のための場所か。王国と戦うための砦ではない。モンスターを支配する場所でもない。人間だけの村でもない」


 クラウは全員を見渡した。


「種族に関係なく、共に生きる意思のある者を受け入れる場所だ。それだけでいい。それが俺たちの方針だ」


 広場がしばらく静かだった。


 最初に動いたのはレオルだった。重い腕を組んだまま、短く言った。


「それだけあれば十分だ」


 ラミアの長が頷いた。老婆が「そうじゃな」と言った。ケインが唇をぎゅっと結んで頷いた。


 クラウが一歩引いた。


「次は、代表のエルクから話がある」


・・・・・


 エルクは広場の中央に押し出された。


 全員の視線が向いた。人間もリザードマンも、ラミアも。それぞれの顔が、それぞれの角度から、エルクを見ていた。


「……えっと」


 エルクは懐から紙を取り出した。クラウが前日に手伝って書いた、簡単な原稿だ。


 読み始めた。


「このたびの、辺境共生領の発足にあたり……ここに集まった皆に、改めて感謝を……申し上げ……」


 詰まった。


 次の行に何が書いてあったか、読んでいる途中で分からなくなった。


 エルクは紙を見た。字がある。読めた。でも次に何を言えばいいかが頭から飛んでいた。


「……あの」


 エルクは紙を下ろした。


 全員がまだ見ていた。


 エルクは少しの間、自分の前を向いた。それから、顔を上げた。


「えっと……ここでは、誰かを道具にしたり、勝手に傷つけたりするのはだめです」


 クラウが横で小さく息を吐いたが、黙っていた。


「皆でご飯食べて、寝て、困ったら助け合って……そういう場所にしたいです」


 広場が静かになった。


 一秒、二秒、三秒。


 老婆が笑った。しわくちゃの顔で、くくっと声を出して笑った。


 それにつられるように、レオルの後ろの戦士の一人が「ふっ」と鼻を鳴らした。


 スラが広場の石畳の上でぴょんと跳ねた。


 ケインが口元を緩めた。ラミアの子供が何かを感じ取ったように、親の腰から顔を出した。


 笑い声が、広場にじわじわと広がっていった。クラウが困ったような笑い方をした。ソウが「もう」と呟きながら笑った。メルが「エルクらしい!」と大声で言った。エネが嬉しそうに目を細めた。


 それから、拍手が起きた。


 どこから始まったか分からなかった。ただ、気づいたら広場全体に広がっていた。リザードマンの大きな手が叩く音と、人間の手が叩く音と、ラミアたちが鱗で打ち合う音が混ざって、ざわざわとした温かい音になった。


 エルクは少し困った顔をしながら、それでも笑っていた。


・・・・・


 集会が終わって、広場が一気に賑やかになった。


 食堂から炊き出しが始まり、大工の兄弟がリザードマンの戦士たちと何か相談していた。ラミアの子供が広場を走り回っていて、スラが追いかけていた。老婆がリザードマンの戦士に薬草の使い方を教えていた。ケインがエネに何かを話しかけていた。


 その中でソウがクラウに聞いた。


「それで。正式な名前、まだ決まってないわよね」


「ああ。辺境共生領は仮称のままだ。今日のところは名前の話はしなかった」


「じゃあ、あのまま?」


「しばらくはそれでいいと思ってる。正式名称を急ぐより、今日みたいな日を重ねる方が先だ」


 その時、老婆が二人のそばを通りながら言った。


「クラウ坊。名前はもう決まっとるんじゃないの?」


「え?」


「皆、そう呼んどるよ。さっきもケインたちが話しとった。リザードマンの兄ちゃんたちも言っとるし、ラミアの子たちも歌うように言っとるよ」


 クラウが「何と呼んでるんですか」と聞くと、老婆はにこにこして答えた。


「モンスターの国、って」


・・・・・


 クラウはしばらく黙っていた。


 それから、エルクを探した。エルクは広場の端で、ドラゴとスラとライとメアと一緒に座ってお茶を飲んでいた。


「エルク」


「なに?」


「研究会の名前が、そのまま国の名前になりそうだな」


 エルクが少し考えてから、笑った。


「分かりやすくていいんじゃない?」


 クラウは何も言わなかった。


 空を見た。グリフが円を描いている。遠く、山の稜線の向こうに、ゼルガの翼が一度だけ翻った。


 研究会。モンスターの国研究会。学園の小さな部室で、クラウたちがのんびりとモンスターと人間の共存を研究していた、あの頃の名前。


 その名前が、本物の場所の名前になった。


「……悪くないな」


 クラウが呟いた。誰にも聞こえない声で。


・・・・・


 夕方、広場に焚き火が焚かれた。


 輪を作って座る人間と、輪の外に並ぶリザードマンと、水場の近くに集まるラミアと、それぞれの場所にいるはずが、食べ物が行き来するうちに少しずつ席が混ざっていった。


 誰が決めたわけでもなかった。


 薬草係の老婆とリザードマンの戦士が一緒に串焼きを食べていた。ケインがラミアの子供に果実の切り方を教えていた。エネが笑いながら何かを話していた。


 エルクは焚き火を見ながら、ライを肩に乗せてお茶を飲んでいた。


「ねえ、メア」


 隣に座っていたメアに声をかけた。


「なんでしょう」


「今夜、何か見える?」


 メアは少しの間、前を向いたまま静かにしていた。


「今夜は……見えません」


「いいものが? 悪いものが?」


「どちらも。今夜だけは、先が真っ白です」


 エルクは焚き火を見た。


「そっか。じゃあ今夜は、ただいい夜だね」


「……ええ」


 メアが静かに笑った。


・・・・・


 深夜。


 砦の石畳の上は静かだった。焚き火は燃え尽き、全員が眠っていた。


 地下への階段を下りた先、誰もいない通路の奥の部屋に、あの壁画があった。


 人間と竜と蛇の種族が共に歩く絵。空に裂け目が開いて、影が降りてくる絵。


 その絵の中の、影の部分が。


 静かに、少しずつ、黒く染まり始めた。


 墨が滲むように、ゆっくりと。


 誰かが触れたわけでもなく、何かが変化したわけでもなく。ただ、地上で何かが生まれたことに、この場所が、古い記憶として反応するように。


 壁画の影が、深くなっていった。


・・・・・


 遠く離れた、暗い場所で。


 声がした。


 老いた声だった。疲れた声だった。しかし、消えてはいなかった。


「……また、共存の国が生まれるのか」


 誰に語りかけるでもなく、その声はそう言った。


 悲しいのか、怒っているのか、懐かしんでいるのか、分からなかった。


 ただ、一度目ではないことだけは確かな、そういう声だった。


 沈黙が続いた。


 それから、また静かになった。

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