四
拙者が返答に困っていると、耳に気性の荒い若い男の声が入ってきた。直後に壁を叩く音。不穏な空気でござるな。
「なんだろう……本を落とした音、じゃなかったよね?」
「左様。様子を見てくる。ゆうきは此処で待っておれ」
けどと反論を述べかけたゆうきから背を向け、拙者は音の聞こえた方へと歩き出した。音の方へ近寄ると、微かに男の呻き声が聞こえてきた。これは、放ってはおけぬ。
「其処で何をしておる」
叫んでもよいぐらいだったのだが、バスでの移動の際、ゆうきがトショカンでは大きな声を出しては駄目だと言っていたのを思い出し、あくまでも静かに言い放った。声の人物は数名の若い、玉虫色の髪をした連中だ。微かな呻き声を上げた方の男は、黒髪に黒いものを耳に引っ掛けた……そう、確かメガネと言う小道具を耳から引っ掛けた男がいた。眉を下げ、黒髪の男は此方へ救いを求めるような視線を向ける。
「んだよおっさん、こっちは忙しいんだよ」
「おっさん?」
「お前のことだろうが」
「もしや拙者のことか?」
ゆうきのこともあり、少々おじさんと言う言葉に傷つきある。改めて尋ねると、若人達はゲラゲラと笑い飛ばした。
「頭おかしくなたのかおっさん」
「相手がこうして丁寧に尋ねているのに、いきなり笑うお主達の方が頭おかしいと思うのだが……」
「なぁ聞いたか? お主だってよ」
玉虫頭の若人達は、更に声を出して笑いあった。そう言えば、今のところお主や拙者と言っている人間はいなかったな。どうやら話し方も変化しているらしい。
「と、徳磨さんっ!」
声と共に服の裾を引っ張られる感覚を覚え、感覚の方へと体を向けると、引っ張った主がゆうきであることが分かった。
「ゆうき、どうして此処に」
「ゆうきぃ? んだ、其奴お前の子供かよ」
「んんや。弟分だが」
玉虫色頭の若人達はとうとう腹を抱えて笑いだした。何がそんなにおかしいのだろうか。その間に黒髪の青年の腕をすかさず掴む。感覚の鋭さが分かる。
「ほ、本当です。この人意外と若いですから! あと、武闘家ですし」
ゆうきが後付けすると、大爆笑していた玉虫色の若人達がピタリと笑いを止めて拙者を見た。拙者は侍と言ったのだが。まぁ、打撃も加えられると言えば加えられるが。
「……本当かァ?」
一人の玉虫色頭の若人が拙者に近寄って睨み付ける。一度首を捻ると、舌打ちを一回した。
「いや、無ェなァ。お主なんて言う奴が戦えるわけが無ェ」
何故お主と言う呼び方だと戦えないと決め付けるのであろう。此方の時代では強い者程拙者と言っている気がするのだが。妙な見分け方だ。玉虫色頭の長らしき若人が片手を前へ出し、人差し指を己に向けてクイクイと動かしている。
「来いよ。やれるモンならやってみなァ」
随分と自信があるようだなぁ。見た目以上に強いのかもしれん。此処はひとまず彼を何とか連れて逃げる手を考えるべきか。負け戦はしたくは無いでござるしな。
「不要な争いはしたくは無い。彼を何もせず返してくれれば、拙者は何もしない」
「彼を何もせず、ねェ……」
しまった。この言い方からして……案の定、玉虫色頭の長が拳を作ろうとした。拙者が駆け寄り、その拳を掴むと掴んだ手を引っ張り上げ、浮いた長の腰を足で踏みつけた。計三人いる他の面々も飛び交ってきたが、此処は狭い本棚の間。黒髪の男の手首を引き、走り出すと、男達は本棚に衝突した。
「行くぞっ!」
「うっ、うんっ!」
エスカレーターへと足を乗せて走り出すが、おかしなことに周囲の視線が怪訝そうだ。
「徳磨さんっ、乗る方逆だよ!」
拙者は走りながら辺りを見ると、確かに上がっていく方向が右と左のエスカレーターでは逆になっている。このまま走っていけばすぐに下へつくのだが、なんせ人が多い。人の間を縫っていくのも申し訳無いので、仕方なくエスカレーターを走って上がっていくと、一時的に動けなくさせた玉虫色頭の連中がもう起き上がって来ていた。
「や、やばいよ徳磨さん!」
「承知の上!」
拙者は抱えていた男性の腹の上にゆうきを乗せ、辺りを見る。上りも下りもエスカレーターは人が多い。もう少し拙者が細ければ難無く行けるかもしれぬが……仕方あるまい、別のルートを探すことにしよう。
「エスカレーターは混む、他に行けるルートは無いか!?」
「えっ!? えっと……此処そんなに来ないし……あ、エレベーターとか」
「あっちに」
困惑気味に返答するゆうきの後から、先程狙われていた黒髪の男が声を出した。ゆうきも、「え」と声を出して男を見る。
「非常階段があります。エレベーターは案外降りるのに時間が掛かりますから、向こうがエスカレーターを駆け下りればすぐに追いついてしまうと思います。普段は防火扉になっていて壁に見えますが壁に丸い捻るタイプのドアノブがありますので」
急に多くの情報を伝えられ、頭がぐちゃぐちゃとしてきた。ただでさえバスやエスカレーターで頭を痛ませていたと言うのに。今度はドアノブか。何だか虫みたいな名前の物でござるな。
「まずは彼処の白い壁のところまで行って下さい」
「御意!」
歩幅を広げ、小さな風を作りながら白い壁の下へと向かう。途中、女性の下半身に履いていた布が巻き起こり、甲高い悲鳴が聞こえてきたような気がする。……何だかすまぬ。
「この細い柄の様な部分を掴んで回して下さい」
「ほ、細……?」
「良いです、降ろして下さい!」
「お、おう」
玉虫色頭の連中に囲まれている時と態度が違うように感じるのだが。黒髪の男はゆうきを拙者の腕の中に入れてから降り、白い壁だった戸を開かせた。不可思議な扉でござる。
「何ぼさっとしているのです! 行きましょ」
「させるかよっ!」
逃げる前に追いつかれてしまった様だ。ゆうきを急いで腕から離し、拙者も臨戦態勢をとる。今度は一人ずつ此方を狙うつもりらしい。だが、此方としては却って好都合。一人の頬に拳を入れ、一人の腹に拳を入れ、一人の背中に足を乗せた。残るは長一人。
「と、徳磨さん格好良いよ!」
「ソイツも俺様の前には無意味だっつーの!」
駆け寄り、長が手を振った。そのまま手を掴もうとしたが、手に持っている刃物の存在に気づくとすぐさま身を避けた。拙者の行動に男が口元をニヤリと上げ、拙者の後ろへと足を進ませる。
「危ない!!」
黒髪の男の声に振り向くと、長はゆうきへと刃物を向けて走っていた。黒髪の男の声に即座に反応したゆうきが後ろへと下がったところを、長の方を後ろから掴み、そのまま地面へと背中を叩きつけた。長の手の力が一瞬抜けた隙に刃物を抜き、ゆうきへ手渡す。ゆうきは刃の部分を柄の部分へと折り畳んで己の服の中へとしまいこんだ。
「俺一人程度にムキになるなんてバカ馬鹿しい」
「んだと!?」
「今のお前等が俺に牙を向ける権利は無い」
黒髪の男はスマートフォンを取り出し、其処から音を流した。画も動いているな。ってこの画と音……拙者と此奴等の始終が出ているではないか。
「てめぇ……」
「行きましょう」
「行くって?」
ゆうきが黒髪の男へと尋ねると、黒髪の男は振り返りもせず、「とりあえずついて来て下さい。貴方がたには礼をしたいので」とだけ答え、そそくさと歩きだしてしまった。
拙者とゆうきは顔を互いに見合わせて首を傾げ、男達がまた動き出す前にと、白い扉を閉めてから走り出した。




