十
今日は沙絢と茉理の一件で多く時間を使ってしまった。外を出た時には既に夕焼け空が迎えておった。希羅に、あの黒光りの箱……ポルシェで送ってもらい、家へと帰ってきた。風呂と食事を済ませた。今回もお袋の味で、とても美味であった。ソファにゆうきと二人座り、テレビをボーッと視界に移していると、徐にゆうきが話し掛けてきた。
「昨日も今日も凄いことありすぎて……てんてこまいでしたね」
「よくよく考えるとそうでござるなぁ。明日は平穏に……それにしても、拙者はどうすればこの世界から戻れるのであろうか」
「今更!? ……けど、僕はもう少し徳磨さんと一緒にいたいなぁ」
揺れる瞳でゆうきが言った。そんな目をされては言い返せん。……ううむ。しかし、拙者は戻らねば。拙者は、拙者がこの世界へ来たことに、何か意味があると感じるのだ。……だから、もう少しこの世界を目で肌で感じ、大切なことを学んで帰らなければ。
「拙者はどうしても帰らねばならぬのだ。だがなゆうき」
悲しそうな顔をするゆうきに顔を向け、拙者は言葉を続ける。
「親友は、如何程離れた地点にいても、ずっと親友だぞ」
「徳磨さん……うん、そうだよね」
眉を下げ、ゆうきは寂しそうに笑って返した。
「それじゃあ、明日に備えて寝ようか。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
ゆうきが消灯し、二人は眠りにつくことにした。
翌日の日曜日、起きて食事を終えたところにタイミング良くピンポンと室内に音が響いた。ゆうき曰く、これはチャイムと呼ばれる人がやって来たことを教えてくれる優れ物だそう。
ゆうきの母上が戸を開けてからしばらくして、チャイムを鳴らした主がやって来た。
「希羅さん!」
入ってきた人物は希羅であった。ゆうきは嬉しそうに駆け寄って挨拶した。希羅は目を細め、愛しそうに微笑んでおる……ように、見える。
「食事も終わったみたいですね。先日は結局デパートの中へ入れませんでしたし、今日こそ行きませんか?」
「行く! 徳磨さんも行くよね?」
「そうでござるな。希羅、案内役頼んだぞ」
「ええ」
拙者達は食事の皿を片付けた後、母上と別れを告げて外へと出掛けた。
昨日来たデパートへと再度やってきた拙者達。同じ建物だが、本当に高いでござる。ちょっと小さいくらいの城だったら余裕で越えてしまうなぁ。あまり長く見上げていると、建物が伸びているような錯覚にあう。
希羅が歩きだすので、拙者とゆうきも歩きだす。
中へ入れば、人がやたらと多いでござる。下手をすれば、其処らの道路より沢山いるのではないだろうか。仲睦まじい男女や、微笑ましい家族連れ、楽しそうな友達達。此処は幸せに満ちた場所のようだ。
「人が多いですね……移動が面倒そうだ」
「ですねぇ」
おや。二人は拙者とは違う考えを持っていたみたいだ。ううむ、確かにこれだと買い物以前に進むのも大変そうでござる。
「……あ、ど、どうしよう。僕ちょっとトイレ行きたくなってきたんだけど……」
「トイレでしたら案内しますよ。あ、徳磨さんを一人にすると色々心配ですから、ついて来て下さい」
何故拙者が一人だと心配なのだろうか。それ程拙者は幼子のようなのだろうか。……何か納得いかぬ。拙者は待てと言われれば忠犬の如し待てるのだぞ。
言い返そうとした頃には二人は既に便所へと向かっていた。拙者は仕方なく二人の後へと続いた。
数名並んでおったが、其処は男女の違いか、男は皆便所から出てくるのが早い。お陰でゆうきも便所に無事間に合ったようだ。ゆうきが便所から出てくる頃には男便所はあっけらかんとしており、女便所の人数も並ばなくとも良い程に減っておった。
「お、お時間かけさせちゃってごめんなさい。それじゃあ」
ゆうきの言葉を遮るように、バチンッと肌を叩く音が聞こえてきた。すぐ後に、子供の泣き声が聞こえてきた。声の若さから行けば、ゆうきよりも幼いだろう。
「……え?」
低く、小さい声で、怪訝そうにゆうきが声を出した。これは泣き声に対してではなく、その前に聞こえてきたバチンと言う音に対してなのだろう。希羅も女便所の入口を一睨しておる。
「……トイレと言う個室ならば、他人も干渉もしづらいでしょうからね、虐待かなんて分からない。卑しいやり方ですよ」
「この穏やかな時代でも、そんな奴がおるのか」
「全然。戦争こそなくとも、犯罪は何時だって。まぁ、虐待はあまりにも分かりやすいものでないと犯罪と捉えらないですが」
「でも……うわぁっ、まだ叩く音聞こえるし、僕らが静かにしてるからか、他人の声が聞こえないのを良いことに何だかエスカレートしてるような……うっ」
ゆうきは顔を顰めて言う。確かに、これは酷いな。
「ですが、個室では本当に何をしているのか見えなく、虐待だと一概に言えないのも事実。それでも、ゆうき君は何とかしたいと?」
「もちろん」
希羅は数分近く考えた末、「急いで戻って来ますから、見張っていて下さい」と拙者に言って二人でいなくなってしまった。さっき一人だと心配だと言っておったのに、今度は一人取り残すのか。分からん奴でござる。
ゆうきと希羅がいなくなってから十分程時間が経過したが、まだ女便所の中にいるらしき二人が出てくる気配は無い。途中、「泣くんじゃないわよ!」と叱るおなごの声が聞こえてきた。同時に、肌を叩く音も。泣くんじゃないと叱るが、その叱りが小娘に手を上げること、か……。
それが一つの教育だと言われれば何とも言えないが、それを普通おなごが小娘にはしないだろう。親子となれば、特に。男が叱り、おなごが宥める。拙者の時代は、そのイメージが強く植え付けられるのだが。
「すみません、此処の中だと時間がかかると思い、近くの服屋へと車を走らせて早々に選んだのですが……遅くなりました」
控えめな希羅の声が聞こえてきた。声の方へと向くと、二人の姿に目を疑う。
「お主達、声を聞かねばおなごだと思っておったぞ」
ゆうきと希羅は、拙者がデパートや道中で見てきたような女々しい格好をしているのだ。希羅は短いスカートと言う物を履きながらも、その下に黒く、薄く透けた布を履いている。そして黒い髪が肩元まで伸びておる。いわゆる、かつらでござるな。ゆうきは膝下まであるスカートを履いている。元々少し長めの髪だったからだろう、そのままの髪を二つに結われていた。
「……何でこんな格好を」
「ゆうき君がどうしても助けたいと言ったからです。では、今はトイレも彼女等だけのようですから、早速乗り込みましょうか」
希羅に連れられ、ゆうきは中へと入っていく。だが、どうやって相手へ伝えるのだと言うのだろうか。
心配しながらも女便所の入口を眺める。虐待らしき対話や効果音が聞こえてからひと呼吸置いたような間で、個室の中の女性の声とは違う、大人の女の「ちょっと、出てきなさいよ」と言う声が聞こえてきた。
声の後、十分程音が無かった。出る気配も無さそうだと思っていたところに、ガチャリと音が聞こえてきた。
「……何でしょうか」
この声は、個室内にいたおなごの声だ。その声の後、また聞き覚えのない、「とりあえず、此処から出ましょう」と言う声が聞こえ、四人のおなご……のうち二人は女装した男だが、ともかく四人がトイレの外へと出てきた。
「徳磨さん、お待たせ。此処はガヤガヤしててうるさいから、ちょっと外へ出ましょうか」
聞き覚えのないおなごの声は、どうやら希羅が発していたらしい。スマートフォンをさりげなく口元に付けて言っている辺り、声を変えているのはこのスマートフォンなのだろう。




