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母の恋人  作者: jinxx.
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母と娘の真実6(最終章)

 何日もかけて、旅行の準備はしておいた筈なのに。今朝になって、足りない物が沢山あることに気付いた。聡の性格が羨ましい。放浪生活が長かった聡は、「なんとかなるさ」精神なのだ。


「聡、私の携帯は?ね、私の携帯は?」


 どこかで、ずっと携帯が鳴っていた。けれど、どこに置いたか分からない。鋭い機械音が、苛立った心を擦り上げる。


「なんで、こんな時に電話なんか!」


聡が枕の下から、見つけ出す。電話はカズミからだった。


「カズミ、もうホテルに着いたの?」

「繭美、遅いじゃない、どうしたの?」

「旅行の荷物、色々足りなくて!」

「行った国で何とかなるって!早く来なよ!亜矢香も待ってるよ。亜矢香なんか凄いよ!結婚式を仕切る気満々だから!」

「目に浮かぶよ」


今日は、私達の結婚式だ。とうとう、この日がやって来た。

 車の中で、私達二人は黙り込んだ。聡もきっと、この十年間を思い返している。音楽を聴こうとスイッチを入れたら、横から伸びた手に乱暴に消された。


「――何よ」

「君って人は……。あの時の僕達が、こうして結婚することに感動しないの?」

「するけど、でも」

「でも?」

「――ううん、何でもない」


すると、車が急停止した。怒らせたのだろうか?しかし運転席の聡は、頭を抱えて焦っている。


「やべー、忘れ物」

「え?何?」

「ほら、テーブルに置いてたじゃん。僕が何度もドレスと一緒にしといてって言ったのに、案の定、忘れた」

「え、なんだっけ?」

「祐子さんの、コサージュだよ!」


慌てた聡が、苛々と車をターンさせる。母お手製のビーズのコサージュは、両親が式を挙げた時にウエディングドレスに飾った物だった。私は母のドレスとそのコサージュで、式に臨みたかったのだ。


「大丈夫。まだ時間あるし」

「う、うん」

「何?縁起が悪いとか言わないでよ」

「――そうじゃないよ」


大丈夫、大丈夫、大丈夫と、聡がまるで暗示をかけるように呟く。


「心配しないで、奥さん」

「まだ、奥さんなんて呼ばないでよ」


戯けてみせて、心の中に広がり始めた、厚い雲を吹き飛ばしたかった。


「車で待ってて」


聡がマンションに消えてからも、その事を考えていた。私はカズミがいうように、色んな色を塗り重ねて来た。でも。幾ら表面が良い色だったとしても、あの色を忘れても良いのだろうか?塗り重ねることは、つまり、それを単に覆い隠しただけではないか?


「お待たせ」

「――顕子、よ」

「え?」


何?と上の空で、聡がエンジンをかける。細かな震動が、私の不安を掻き立てる。


「私の母は、顕子って言うのよ」

「知ってるよ。何だよ、今更」


無意識なんだ。さっき聡が母を、「祐子さん」と呼んだのは。それでは尚更、悪い。ふと、出てしまう程、聡は母をそう呼んでいたということだ。


「さっき母のことを、祐子さんって呼んだよ。祐子は、母の日記だけに登場する偽名なんじゃないの?」

「え……?」

「あれは、母の妄想なんでしょ?日記の中だけの妄想の名前を、貴方は何故知ってるの?」

「今頃どうして、その話を蒸し返すんだ?もう、勘弁してくれよ」


本当は今頃ではない。一緒に暮らす中で、あの色がちらちらと視界の端にあるのに気付いていた。けれど、私は必死で、その上から色を重ねていたのだ。信じたかった、信じたかった、信じたかった。


「聡は、母の日記を読んだこと、ないんでしょう?ねぇ、貴方の目的は何?私達親子への復讐?」


聡は答えない。私を納得させてと、心の中で叫んだ。どんな嘘でも良いから、私を前に進ませて。しかし、聡は答える変わりに、深い溜息を吐いた。それが、答えか。


「車を停めて!」


車のドアを開けると、六月の湿気を含む空気が私を包み込んだ。


「繭美、説明させて」

「――説明、することがあるの?」


 逃げなければならないと思った。分かったんだ。私はずっと、あの無菌室にいた。十年経っても、何も変わっていなかった。カズミと、亜矢香と、祥子さんと、パパと、そして聡で、私の偽りの世界は作られていた。延々と続く、作られた無菌室。


「ママ、どうして……」


走るしかなかった。それしかなかった。聡の声が聞こえる。けど、振り返らない。


走る。


走る。


走る。


けれど、何処に行けばこの部屋から出られるのか、全く分からなかった。






◆8月13日◆


 

 今日は娘、優美の三回目の誕生日。聡はまだ帰って来ない。


 パパが帰って来るまでケーキは食べないと、優美は睡魔と戦いながらさっきまで起きていた。可愛い優美。でも、もし、優美がお腹にいなければ、私はあのまま聡の元から逃げていた。走り続けた足が止まって止まったのは、やはり優美を父親のない子にしたくなかったからだろう。

 優美が生まれて暫くは、聡は模範的な夫だった。しかし、直ぐに帰りが少しずつ遅くなって、土日も何かと理由をつけて出掛けるようになった。


 父親のない子にしたくない。確かに、法律上は優美には父親はいる。しかし、実際はいないも同然だ。たまに顔を合わせても、聡の乱暴な物言いに優美は怯えて泣き出してしまう。

 優美が生まれてから、私は聡の機嫌をとるようになった。聡が気に入るようなファッションや、インテリアや、全ての全てを彼に合わせている。けれど、 聡は私に興味がない。興味がないどころか……。


 最近の日記を読み返すと、母の思いに私の心が重なって行く。何を間違えてしまったのだろう?何年も私を思ってくれていた聡は、それが手に入ると興味を失った。いや、聡にとってこの結婚は、母への仕返しの延長なのだろうか。そもそも母と私と、そしてその娘を不幸にすることが、目的だったのだろうか。


 ママ、ママ、ママ、ママ、ママ、ママ――。私はどうすればいい?このまま、虚しい気持ちを抱えたまま、生きていかなくてはいけないの?


 まるで土の中に埋められたように、孤独で息苦しい毎日。いつも心の中で、母を呼んでいる。


「ママ、私を助けて」


――お願い。誰か私を、引き上げて。
















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