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78. ステンドグラス


「……本当は、会わせたくないな」


ミゲルがそう言ったのは、

イスファの皇子のことだった。


「オズワルド皇子は、母の叔父の息子だ。

つまり、母の従兄弟に当たる。

……少し、僕に似ているよ」


確かに、遠目に見たオズワルド皇子は黒髪に浅黒い肌で、

年の近いミゲルとどこか雰囲気が似ているように思えた。


だが、約束の時間になっても

オズワルド皇子は姿を見せなかった。


会う段取りを整えたはずのミゲルが、

なぜか安堵したように息を吐く。


「少しだけ、

待っていてくれるかい?

探してくるよ」


そう言って席を外すミゲルを見送りながら、

わたしは思う。



――イスファの皇子とは、

ふたりきりで会わなければならない。


色仕掛けででも、

伴侶にしなくてはならないのだから。



ひとりになると、

アスラン兄様のことを思い出して

涙が溢れそうになる。



心を落ち着かせようと努めながら、

東屋でぽつんと腰掛けていると、

聞き慣れた声が背後から降ってきた。



「フェリシア。話がある」


王宮内の警備は、

王室騎士団に任されており、

わたし個人の護衛は薄い。


もっとも、

王宮は強固な結界に守られている。


――外敵に対しては。


しかもここは王族専用の庭園。


特別に招かれた者しか入れない場所だ。


「マーカス殿下……いえ、

これからはお義兄様、ですわね」


まさか、

こんな形の『敵』と

遭遇するとは思わなかった。


間が悪く、

グレンがちょうど席を外していた。


胸の奥に、

嫌な既視感が走る。


婚約解消を告げられた、

あの日とよく似ていた。


さすがに、

裏庭へ連れ出されることはなく、

マーカスはわたしを、

王妃の豪奢な温室へと誘った。


王妃個人のステンドグラスの温室。


何度、ここでいびられたことか。


辛い記憶が、いくつも蘇る。


花を愛でるための温室の天井には、

なぜか、

極彩色のステンドグラスが

嵌め込まれている。


とくに高価な、

毒々しいほど濃い赤が多用され、

幾度となくお茶会が開かれる、

王妃の自慢の場所だ。


今日も赤い光が差し込み、

本来の花の色を、

台無しにしていた。


「皆、下がれ」


マーカスが人払いをする。


王宮の護衛は王子には逆らわない。



聖女になったわたしに対して、

マーカスのいまだに

偉そうな態度は変わらない。


胸のムカつきはあっても、

それでも今なら分かる。


わたしは、

婚約を解消されて当然だった。


なぜなら、

わたしはずっとアスラン兄様を

愛していたから。


青春を台無しにされたと恨んだけれど、

マーカスだって、

他の男に心を向けたままの女といて、

楽しくなんかなかっただろう。


……気の毒なマーカス。


最近、ほんの少しだけ、

そう思えるようになった。



「話というのはな、

私の恋人、アンナのことだ!

お前が修道院へ追放したんだろう!」


声は荒々しいが、

予想どおりの内容だったので、

わたしは驚かなかった。


「アンナは、自らの意思で

女神に仕える道を選びました」


彼女は元々、神殿の女官で、

マーカスに近づいたのも神殿の任務だ。


マーカスとわたしを破談させるために、

恋人のふりをしていただけで、

アンナには愛情なんて微塵も無かった。


彼女は今、南の神殿で、

静かに祈りの生活を送っているはずだ。



「お前はっ!聖女の力で、

アンナの心を操ったのか!」


「マーカス殿下、そんなことができるなら、

まず、あなたにこんな口は利かせませんわ」


激昂したマーカスの手が振り上げられた。



――殴られてもいい。


一発殴らせれば、

多少は彼の気も済むだろう。


聖女への無礼は明白になり、

二度と公の場で会うこともなくなる。


王妃の弱みも、確実に手に入る。



覚悟した、


そのとき。


マーカスの目元を、

冷たい風がかすめた。



彼は思わず目を閉じ、

体勢を崩す。



――風魔法?


王宮内では、

外部魔法は使えないはず……



「女を殴るのが趣味なのかぁ?

ここの王族は」



花を震わすハスキーな声に

背中がぞくっとした。


温室の奥から、

黒髪の男が姿を現した。



「オズワルド皇子!?

正気か!イスファの者が

我が国で魔法を使うなど――」


マーカスの声は、明らかに動揺している。


護衛は、今ここにはいない。


マーカス自身が遠ざけたのだ。



「正気なのは、俺のほうだ。

外からは堅牢でも、内側は容易い」


オズワルド皇子が手にしていた石が、

音を立てて崩れ落ちる。


「ほら。

なんと、脆弱な」


それは、王宮を守備する

内部結界の『守り石』だった。


こんな所にあったのね……

知らなかった。


オズワルド皇子は、

足元の王妃自慢の紫の薔薇を

なんの躊躇もなく


踏み荒らしながら

近づいてくる。



会いたいと思ってた

異国の皇子が目の前にいる!


わたしは動揺した。


オズワルド皇子って……

ミゲルに全然

似てないじゃない!



寝所で淫靡な雰囲気を

まとった時ですら

常に品が良く、

優しい口調のミゲル。


わたしの夫たちは、

こんな荒々しさとは無縁だ。


皇子とはいえ、

こんな粗野な男を

どうやって誘惑しろと?


サシャ、

無理だよ……



「ははははは!

俺を結界の奥まで招き入れるとは、

随分と無防備な国だな!」


ハスキーで

よく通る大きな声。


異国の衣をまとった、

鍛えられた体躯。

浅黒い肌。


さらりと流れる黒髪と、

射抜くような、

強い漆黒の瞳。


見慣れた温室に漂う

魔法の気配も

まったく異質だ。



皇子が、

筋肉質な右腕をまっすぐに

天に向かって伸ばす。


指先から、

強烈な光が放たれた。


――それが合図だった。



ガシャァーン!!



天井の

ステンドグラスが、

砕け散り降り注ぐ。


光まで、はじけて。


同時に、

オズワルド皇子が素早く

防御魔法を張り巡らせる。


色とりどりの破片は、

わたしたちを避けて飛び散った。



巨大な黒い影が、


わたしたちの上に落ちる。


一頭の

飛竜が――


――舞い降りてきた!!



風が吹き込む。



王妃自慢の花々もガラスも、

わたしの周りで渦を巻く。



飛竜の力強い翼の

その大きさに、


巻き起こす風に


唖然とし、


降臨祭以来の、

めちゃくちゃさに、


わたしの心は、

踊った。



風が止み、足元には

ガラスの破片が散らばっている。


割れた天井からは、

青い空が覗いている。


あの、

胸くそ悪い

ステンドグラスが――


粉々に砕けた!!


思わず、笑いが込み上げる。



「聖女は、いただいていくよ。

ありがとう。

実に、ステキな贈り物だ」


皇子はそう言って、

わたしを引き寄せる。


「え?!」


軽々と片腕に抱き上げた。



《くそっ、なんて綺麗なんだ》


瞬間、

イスファ語らしき言葉が

耳元で囁かれた。



遅れて護衛騎士たちが

駆け込んでくる。


マーカスは尻餅をついたまま、

ただ呆然とその場に残された。


黒い皇子は

一騎の飛竜の手綱を掴み、

わたしを抱いたまま、

ひらりとその背に躍り乗る。


――遠い西、


異教の帝国イスファの


飛竜。


御伽噺の存在。


そういえば、


聖女も同じだわ、

御伽噺――



飛竜が、羽ばたく。


オズワルド皇子の

たくましく強い腕に

思わずしがみつく。


激しく地面を打ちつける風。


風が渦を巻き、

わたしを包み込む。


身体が宙に放り出されるような

浮遊感。


汗と、

乾いた異国の風の匂い。


「落ちるなよ、聖女サマ」


飛竜が、上昇する。


ぱっと、

視界が開けた。


――空を、

飛んでいる。



上空には、

ほかに

騎手の乗った二頭の飛竜が

控えていた。



「せいじょ……さまっ」


足元から、

風にかき消されそうな声が聞こえた。


「……お?

人が飛竜の脚に掴まってるな」


皇子の言葉に、

恐る恐る下を覗き込み、

息を呑む。


「グレン!!」


いったい、いつの間に?


どこで掴まったのか。


わたしたちを乗せた飛竜は、

容赦なく高度を上げていく。


「オズワルド皇子、お願い!

グレンを助けて!

こんな高さ、

落ちたら――」



グレンの伴侶の印は、

落下からは守ってくれない。


わたしは皇子にすがりついた。


「死なせるつもりは、

最初からないさ」


オズワルド皇子はニヤリとして、

指先をぱちんと弾いた。


発動した魔法は、

降臨祭のときにわたしを包んだ

あの波動に似ていた。



皇子の琥珀色の魔法が

グレンの身体を包み込み、

引き剥がす。



グレンはゆっくりと降下し、

やがて、

高い木の枝に引っかかるのが見えた。


「聖女さまぁぁぁ――!」


遠ざかる叫び声が、

かすかに届く。


「擦り傷くらいはできただろうが、

命に別状はないだろ」


オズワルド皇子が笑う。



眼下には、

追撃に出た騎馬隊が見える。


別の飛竜の騎手が、

地面へ向けて魔法を放った。


追撃隊の前方で、

光が弾ける。



「……まさか、

雷を落としたの?」


「当ててねぇよ。

光で馬を脅かしただけだ。

あんた、心配性だな」


――あんなに簡単に、


魔法が使えるなんて



皇子は呆然とするわたしを

強く抱き寄せ、

周囲に防御魔法を展開した。


身体に受けていた風がピタリと止む。


「ただの風避けだ」


「これを――魔法をずっと、

張ったまま?」


「当たり前だろ。

じゃなきゃ、

凍えて吹き飛ばされる。

飛竜に乗るには必須なんだよ」


「当たり前?

この魔法が、必須……?」


顔が熱くなる。


この膨大な魔力。


この規格外の魔法。



――勇者の力と合わせれば、

本当に、

暗黒竜に対抗できるかもしれない。


サシャが、

異教徒を伴侶にと勧めた理由が、

今なら、

はっきりと分かる。



あはは……めちゃくちゃだ。


王国とは、

魔法の力が違う。


次元が、

まるで違う。



強い瞳の皇子の

横顔を見上げる。



彼は他の飛竜の仲間と

合図を送り合っていた。



飛竜が速度をあげる。



王都が、

足元に流れていく。


王宮も、神殿も、

すべてが、

小さくなっていった。



わたしは、


ただ

ただ、


この身体の奥から

湧き上がる興奮を

抑えきれず、



身を乗り出す。



そして、

はじめて見る


広がる世界に


目をみはった。





次回

王国編最終話

明日更新です。

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