72. 昔からそうなってる
「兄貴は無事だ」
カイルはそう言って、
それ以上は続けなかった。
結婚式間近、
季節はもう秋になっていた。
きっと、
もっと多くのことを……
領地戦から戻ったグレンから
カイルは聞いているはずなのに。
「グレンはちゃんと、
アスラン兄様を助けてくれたのね」
「兄貴はやはり領地にとどまって、
王都には帰らないそうだ」
「そう……」
わたしは窓の外に視線を向けた。
淡い光の中で、
整然と手入れされた庭木が
風に揺れている。
アスラン兄様は――
国境に近い領地で、
今どうしているのだろう。
秋の乾いた風に、
喉を痛めているかもしれない。
ああ、
あの優しい声はもう
聞けないんだ……
静かな海のような瞳も、
ためらいながら触れた唇も……
全部、もう
わたしのそばにはない
そうか、
そういうことなんだ……
初めて、
涙がこぼれた。
「フェリ……?」
「やっと、わかったの」
声が震える。
「これから先、
わたしには
何ひとつないんだわ。
アスラン兄様は、
なにも……」
恋を失ったからじゃない。
アスランという存在が、
わたしの人生から消えること。
その喪失を、
わたしはやっと理解した。
ずっと出なかった
涙が、
あふれる。
「フェリ」
カイルの手が
わたしの濡れた頬に伸びる。
「……俺が、引き戻す」
カイルは振り絞るように
言葉にした。
「兄貴を、
フェリのところに
連れてくる!」
けれど、そんな言葉では、
わたしの涙は止まらない――
「だから……
だから、
くそっ……」
次の瞬間、
強く
口づけられた。
カイルは女性に優しい。
だから、
珍しい、乱暴な仕草。
「俺は、
少しは兄貴に似てるだろ」
カウチに押し倒される。
突然の激しい口づけに、
驚いて、
涙が引っ込んだ。
確かに、黒髪で痩身、
端正な顔だちも兄弟でよく似ている。
海のような
アスラン兄様の緑の瞳と、
中央に赤が差す
カイルの緑の瞳は違うけれど。
カイルなりに、
わたしを慰めたかったのだろう。
短絡的な発想で……
「カイルと
アスラン兄様は、
全然ちがうわ」
カイルの動きが止まる。
「それを言われたら……
あーもう、
どうにもならん」
そのまま、
ばたりと
わたしの上で脱力する。
重い……
剣術を嗜むがっしりとした身体も、
アスランにはないものだ。
「ごめん、フェリ」
不思議と心がほどける。
カイルの柔らかな髪が
首すじにくすぐったい。
「わたしは、
こんなカイルが
好きなのよ……」
いつも泣かすくせに、
わたしの涙の止め方を
誰よりも知っている。
カイルは顔を上げる。
少し赤い。
「なんで、俺が慰められてるの?」
「わたし達、
昔からそうなってるから……」
わたしの口元は、
かすかに綻んでいた。
**
――14年前
カイルのピンクのこぶた
「ぼくのだいじな、
ピンクのこぶたぁ……
なぁい!」
六歳のカイルが、
癇癪を起こしたように声を張り上げる。
「カイル」
二つ年上の兄、
アスランが困ったように
眉を下げて言った。
「その子豚のぬいぐるみは、
ずいぶん前に――
お母様の棺に入れただろう」
「……おかぁさま?」
きょとんとした顔になる。
カイルには病気がちだった
母親の記憶がほとんどなかった。
「カイルが、どうしてもって言ってね。
みんなが止めるのも聞かないで……
忘れてしまった?」
「そんなの、ぼく、しらない!」
カイルは叫ぶと、
返事も待たずに駆け出した。
「お母様のことも、
スゥのことも覚えてないのか……」
小さな足が中庭の小径を駆ける。
ぼくの、だいじなピンクのこぶた。
おきゃくさんに、みせるんだ。
あの女の人。
おとうさまが、
あたらしいおかぁさまだって、
ゆってた。
あたらしいおかぁさまって、
なんだろう?
――どこに、いったんだ?
部屋の中にはなかった。
いつもつまみ食いする、
厨房にも。
アスラン兄さんの部屋にも、
なかった。
どこ? どこ?
――あんなにだいじにしてたのに
どうして、ないんだろう?
涙がでそうになる。
その時、
白い花をつける木の下で、
丸くなった
白いかたまりが見えた。
見慣れないモノに
ゆっくり近づく。
それは女の子だった。
白銀のやわらかそうな髪。
白い服。
カイルより、少し年下。
小さな身体を縮めて、
泣いている。
「……おまえ、だれ?」
女の子は、顔をあげた。
涙で濡れた紫の大きな瞳。
「おかあさまが、いないの」
大粒の涙が溢れおちる。
「ここ……どこ?」
「……まいご、か」
女の子は、
こくりとうなずいた。
「おかぁさま?
しってるぞ。
おとうさまのとこにいる」
「ほんと?」
「つれてってやる」
女の子は白い肌。
頬も、鼻も、唇も、
あざやかなピンク色……
「わたしフェリ」
フェリはくしゃくしゃの笑顔をみせた。
その瞬間、
カイルの胸が、きゅっと縮んだ。
――あ。
ぼくの、ピンクのこぶた。
やっと、みつけた!
――もう、なくさない、
ぼくだけのピンクのこぶた。
カイルは、
土のついたフェリシアの
小さな手を強く握りしめ、
立ち上がらせた。
なくさない
ぜったいに――
ぼくのフェリ




