65.変化
公爵を救ってから数日が過ぎた。
別荘で目を覚ました。
その朝は、
妙に静かだった。
鳥の声も、庭を渡る風の音も、
どこか遠い。
軽く食事を済ませ、身支度を整える。
腰まで緩やかに流れる白銀の髪は、
丁寧に編まれ、
鏡に映る自分は、いつもと変わらなかった。
準備を終えたところで、
ミゲルの部屋へ呼ばれた。
扉を開けた瞬間、ミゲルに手を取られる。
そのまま部屋の奥へ導かれた。
そこには、ミゲル、カイル、サシャ、そしてグレン。
四人が揃うのは、珍しい。
空気が重く、誰もすぐには口を開かなかった。
胸の奥が、ひやりと冷える。
「フェリ、落ち着いて聞いて」
最初に声を出したカイルの顔は、
血の気が引いて真っ青だった。
「……また、お父様に何か?」
癒しの魔法が足りなかったのだろうか?
心が曇る。
ミゲルに促され、カウチに座らされる。
カウチは異国から取り寄せた美術品のようだ。
良くない知らせに備えて、
肘掛けの装飾に置いた指に思わず力が入る。
「ちがう……」
ほっとする間もなく、
カイルが息を吸い、続ける。
「公爵領で、領地戦が起きた。
北の穀倉地帯を含む土地だ」
――失うわけにはいかない。
公爵家の命脈とも言える場所。
ミゲルは、わたしの手を握ったまま
隣に腰を下ろし、静かに補足する。
「相手は、王妃の遠縁にあたる貴族だ。
毒とは直接関係ないだろうけど……
婚礼への嫌がらせだろうね。
公爵が伏せっていると知って、狙われた」
当主が倒れる。
それは、こういうことだ――
弱みを見せればすぐに狙う者がでる。
わたしにも、
もう分かっていた。
カイルはひざまずき、
わたしの膝に手を置く。
「当主代理として、
兄貴が前線に出るって言ってる」
「えっ」
周りの空気が薄くなった気がした。
カイルの声が、かすれている。
「止めてくれ。
剣なんてまともに振れもしないのに、
俺が何を言っても聞かない……
でも、フェリなら」
「アスラン兄様が……」
アスランが、戦地へ?
胸が締めつけられ、
心臓が裏返りそうになる。
「もちろん、
王室としても援軍は出すよ」
ミゲルは穏やかな声で続ける。
「アスランは、代理を立てる形で説得するといい。
ここに、適任がいるからね」
そう言って、ミゲルは騎士のグレンに視線を向けた。
「グレン。
領地戦の代理指揮官を、引き受けてくれるかい?」
わたしも、扉の近くに控えていたグレンを見て言った。
「お願いできる?」
「聖女様の仰せのままに」
グレンは一切の迷いなく、深く頭を下げた。
「……すぐに、公爵家へ向かうわ。
アスラン兄様を説得する」
カイルの表情が、はっきりと安堵に緩む。
わたしが立ち上がると、
ミゲルが少しだけ笑った。
「相変わらず、行動が早いね」
玄関へ向かう足取りは、自然と速くなる。
すぐにサシャが並び、低い声で告げた。
「馬車は、すでに用意してあります」
――だと思った。
サシャらしい。
「ありがとう」
歩きながら、サシャと並んで話す。
「軍事力に差のある相手に、
領地戦を仕掛けるなんて……
相手も無謀よね。
息子二人が聖女の伴侶だから、
反撃しないとでも思ったのかしら」
「ミゲル様もおっしゃっていましたが、
国を挙げての婚礼への牽制でしょう。
揺さぶり、です」
「つまらないことをするのね。
王妃様も」
「皆が力をお貸しします。
ご心配なさいませんよう」
玄関から外に出ると、
ねっとりとした、風のない
朝の空気に包まれる。
湿気のせいなのか、
なぜかドレスの裾が重い。
崩れそうな不安を抱えながら、
それでも、
まだこの時のわたしは、
アスランを説得できると、
簡単に考えていた。
――アスランは、
わたしを置いて行かない。
そう、信じていたから。
公爵家へと向かう馬車の先には、
黒い雲がたちこめ、
じきに雨が降り出した。
次回
アスランとのクライマックス
『答え合わせ』
更新は金曜日です。




