57. 伴侶の印の力
泥で汚れたドレスは、
「ごめんなさい、お願いするわ」
と、わたしが言うと、
馴染みの侍女たちは笑顔で頷いて運んでいった。
ミゲルはそのまま、
王宮に滞在することになり、
わたしは夜も更けてから、
ようやくカイルとの約束通り、
別荘へ戻った。
別荘は、ひどく静かだった。
カイルの部屋に入ると、
明かりは消えたまま、
大きな窓は開け放たれ、
雲も月もない夜空に、
星だけが降るように瞬いている。
この星のどこかから、
女神は来たのだろうか。
テーブルの上に積まれた、
美しい封筒といくつもの手紙が、
湖からの風に揺られ、
カサカサと音をたてている。
きっと、
イライザからの手紙だ。
女神を、信じないわたしは、
イライザの安息を、
いったい何に祈ればいいのだろう。
手にしたランプの小さな灯りを頼りに、
部屋の奥を探す。
――いた。
カイルは壁に背を預け、
頭を垂れたまま床に座っていた。
片脚は立て、
もう一方は長く伸ばしている。
片手には、
ワインの入ったグラスが、
力なく指に引っかかっていた。
「不思議ね、こんな時でも、
カイルは女性を惑わせるように見えるわ……」
ランプの光に照らされた彼の身体は、
どこか退廃的な色香を漂わせていた。
――イライザは、
こんなカイルも愛したのだろうか。
「汚れをきれいにしたからかな。
血も泥も全て洗い流した。
だけど……」
力なく言って、
立ち上がろうとした拍子に、
赤い葡萄酒がこぼれ、
カイルの白いシャツを染めた。
「きれいにしても、また汚れる。
たぶん、
血の跡は消えないな……」
わたしは彼の隣に腰を下ろし、
そっと手を取る。
「反聖女派に襲われて、
わたしだけ逃げてしまって……
心配したわ。
厳しい攻防だったのでしょう?」
思い返すと、
涙が出そうになる。
「まぁね……
でも、グレンもいたし、
援軍にも助けられた。
伴侶の印にも……」
葡萄酒の匂いと、
かすかに残る鉄の気配が混じる。
わたしを、
移動魔法陣から王都に帰すのは、
はじめから決まっていた。
カイルは、わたしを帰す直前、
『王都は今はもう安全だ』って言っていた。
「カイルは、大神殿での粛清が
終わったのを知ってた。
旅の途中も、サシャと連絡を
とっていたのよね」
「そうだよ。
サシャはああ見えて、
やきもち焼きだからね。
フェリが襲われたと知った晩に、
大神殿内の裏切り者を粛清したんだ」
サシャから漂う
血と煙の匂いを思い出す。
「そこでサシャが使ったから、
伴侶の印の力の使い方も、
伝令の中に書いてあった」
カイルはわたしを見ず、
ランプの光が届かない暗がりを見つめたまま続ける。
「確かに、あの時は窮地だった。
選別したかのように、
複数の者が光に包まれたよ……」
カイルの手が、震えた。
「みんな聖なる光に焼かれた」
「俺は人を殺すのははじめてじゃない。
領地戦に親父の代わりに行ったこともある……
『女神が与えた守りの力』ってサシャは言ってるけど、
俺は……その力が恐ろしい」
伴侶を守る力が選別するのは、
偶然なのか、
それとも――
そう決まっているのか。
その時のわたしには、
まだ分からなかったけど……
カイルの震える大きな身体を、
強く抱きしめる。
「その力が、
カイルを守ったなら、
わたしは、それでいいわ……」
それが、
世界を救いたいはずの
わたしの、
本音だった。




