56.ミゲルの告白
わたしはとにかく、
カイルが無事に王都に戻ったのが嬉しかった。
血や泥で汚れた姿で、
わたしに会いに来たカイルを、
白いドレスのまま、
抱きしめた。
腕の中の体温は確かで、
気持ちが緩んで少し涙が出た。
「別荘に戻って、
きれいにして待ってて……
今夜は一緒にいるから。
本当に……無事でよかったわ」
囁くと、カイルは一瞬、
何か言いたそうに唇を動かしたが、
結局うなずくだけで、
黙って部屋を出て行った。
カイルを送り出す重い扉が閉まる音が、
やけに大きく響く。
――ミゲルと寝室に移ると、
空気が変わった。
厚い絨毯に足音が吸い込まれ、
ボリュームのあるベッドには、
上質な寝具が用意されている。
ミゲルは窓辺に立ち、
背中越しに王都を見下ろしていた。
「君は優しいね……」
わたしを見ずに、ミゲルが言う。
「子供をあやす母親みたいだ」
「そんな母親、
あなたも、わたしも
知らないわ」
王族や貴族の母親は、
自分で子育てをしない。
「……そうだね。
そんな母親は市井の話か、
御伽噺の中だけの存在だ」
一瞬の沈黙。
「聖女は、母親にはならない」
「そう。女神に選ばれたから、
子孫は残せないわ」
わたしは冷静に答えた。
それは、
誰もが知っている決まりだ。
祝福のように語られながら、
誰も疑わない呪い。
ミゲルがゆっくり振り向いた。
「君は……王宮で、
僕が何をされていたか、
知らないよね」
「国王陛下に、
よく呼ばれていたのは知ってるけど……」
ミゲルは金色のまつ毛を伏せて、わたしから視線をそらした。
「……父にね、
子を残せと、
命じられていた。
夜伽を、試されていたんだよ」
「え……?」
わたしは
突然、王宮特有の甘い香の匂いを感じて、めまいがした。
ミゲルはいつのまにか
息がかかるほどそばにいた。
わたしをベッドの縁へ
そっと座らせる。
柔らかな寝具が、
わたしの重みで沈みこんだ。
「君の伴侶になるまで、
普通に触れ合っていた女たちなのに……
今は、嫌悪感しかないんだ。
不思議だよね」
彼は、わたしの前にひざまずいた。
青い瞳が、縋るように揺れる。
「僕を誘惑しに、
何人も送り込まれたよ。
中でも、
イライザは執拗だった」
「……あの日も、
裸で僕の部屋にいた」
ミゲルは、
視線だけでベッドを示す。
「君が今、座っている……
そこだよ」
「……ここ……?」
背筋に冷たいものが走り、
声が震えた。
「必死すぎてね。
あまりにしつこいから、
ちょっと……
強く押しのけただけなんだ」
ミゲルは、
手をわたしに向ける。
「だけど……あぁ、
少し、
憎んでしまっていたかもしれないな」
淡く、
しかしはっきりと浮かぶ、
伴侶の印。
「その瞬間、ここが光って」
「彼女は、
その光に包まれて……
黒焦げになった」
淡々とした声。
まるで、
雨が降った話でもするように。
「伴侶の力って、すごいね」
「……イライザは、
そんな理由で死んだの?」
ミゲルは首をかしげた。
無垢にも見える、
幼い仕草で。
「側妃の子の僕は、
もっと凄惨なことも見てきた。
だから……泣かないで、
フェリシア」
わたしは、首を振る。
こみあげてくるものを堪えた。
ここでわたしが泣いたら、
偽善だ。
カイルを愛して、
壊れていったイライザ。
この胸の痛みが、
彼女への哀れみなのか、
それとも、
取り返しのつかないことへの
恐怖なのか――わからない。
「遺体は、客間に移したよ。
侯爵家の令嬢だからね。
ちゃんと帰してあげないと……」
「でも、父はやっと諦めた。
そして、君と僕のことを認めた」
「……結婚式は、
そういうことなのね」
わたしが迷えば、
躊躇すれば、
大地は揺れ、
厄災は広がり、
もっと人が死ぬ。
それでも――
聖女の力で、
知った人が焼け落ちるなんて。
簡単には、
受け入れられない。
「……褒めて」
ミゲルは、わたしの膝に額を押しつけ、
震えた。
「ちゃんと、操を守った。
それとも……
僕が汚れていた方がよかった?」
「誰かが汚れるなんてことは、
ないわ」
絞り出すように答える。
「じゃあ……
わたしは汚れてる?」
「……愛があるところは、
汚れないよ」
青い潤んだ瞳でわたしを見る。
ミゲルが愛を信じるなら、
気休めでも安心させたかった。
「わたしは……
あなたを愛するわ。
だから、
あなたのせいじゃない。
あなたのせいじゃないわ……」
ミゲルは、
強くわたしを抱き寄せる。
「僕も愛してるよ」
――彼が、
わたしの髪に顔を埋めながら、
微笑んでいたことに、
わたしは気がつかなかった。




