49.父である人
「カイル様は今は安全な場所にいます。
ですが、反聖女派の拠点を壊滅させる作戦に参加してから戻る予定です。
聖女様の騎士も同様です」
翌日の昼には、そう報告が上がってきた。
カイル、
どうしてそんな危険なことを――
心配を通り越して、
(もぉ、勝手なんだから!)
と、イライラとした気分になる。
サシャがそっと、
よく冷えたお茶をわたしの前に置く。
こんな時、サシャは何も言わない。
ただ、わたしの気持ちを優先してくれる。
昨夜も、わたしを独り占めできる夜だったのに、
何一つ求めず、ゆっくり休ませてくれた。
すぐに、自分のペースに巻き込んで、
ベッドに誘おうとするカイルやミゲルとは違った。
――
朝の祈りが終わった頃、
大神官の謁見の間に向かう。
聖女のための謁見の間もあるけれど、
そこは人目につく作りだった。
大神官用は密談に向いている。
二人きりで話したかった。
「――聖女様」
壮麗な間に、大神官の声が響いた。
高い天井のステンドグラスから降り注ぐ光が、
純白の石床に淡く反射している。
大神官は上座から降り、
迷いのない動作でわたしの前にひざまずいた。
一分の隙もないその仕草は、
人間というよりは、
精巧に造り上げられた自動人形のようだ。
その姿はあまりにも完成されていて、
信仰の象徴として、
彫像にしてしまっても違和感がない。
出生の秘密を知った、あの日。
自分がこの人の『娘』であることを突きつけられた時から、
わたしは会うのが、ずっと怖かった。
「聖女様に、ようやくお会いできました」
顔を上げた大神官は、
噂に違わぬ容貌だ。
銀色の髪は一本の乱れもなく整えられ、
年齢を感じさせない端正な顔立ち。
気品ある仕草、高価な衣服、
光を受けてきらめく装飾品――
まるで、信仰と権威を纏った『美術品』のよう。
その瞳には、血の通った人間を見る温かみなんか欠片も感じない。
ただ、絶対的な神格を仰ぎ見るような、
陶酔した光だけでわたしを見ている。
あれほど血の繋がった父と会うのが嫌だったのに、驚くほど冷静でいられた。
「お身体に、聖力は蓄えられましたか?」
最初に向けられた言葉が、それだった。
実の娘に、真っ先に問うのが、それ。
――やっぱり
この人にとって、
わたしは愛情を持って接する娘ではなく、
聖力を貯蔵するためだけに存在する、
『聖なる器』に過ぎないのだ。
期待して来たわけでもないのに、
その事実は、わたしの心に小さな傷をつけた。
わたしが何も答えずにいると、
大神官はわずかに表情を変え、
探るように続けた。
「サシャは……
よく聖女様にお仕えしていますか?」
話題を変えたつもりなのだろう。
わたしの機嫌が気になるようだった。
「丹念に磨き上げましたから。
房事の作法に至るまで、
抜かりなく仕込んであります。
きっと、
ご満足いただける伴侶となっているはずです」
――一瞬、意味が理解できなかった。
胃の奥が掴まれたみたいに揺れた。
「……え?」
吐き気が込み上げる。
サシャを、わたしの大切な伴侶を、
あの月の夜、
わたしの心を欲したあの苦しい告白を、
聖女のために犠牲にした幼い子供を、
『道具』のように語るその口。
冷静でいようと、
考えてきた言葉はすべて吹き飛んだ。
「……その言い方」
声が、震える。
「わたしの大切な伴侶を……そんな下衆な言葉で蔑めるなんて!」
わたしは一歩踏み出した。
「大神官と言えども、許しません!」
空気が、凍りつく。
「聖女様……そのような意図では……」
しかし、大神官は怯えるどころか、
わたしの怒りさえも『聖女の神聖な揺らぎ』として楽しんでいるかのように、
静かに目を細めた。
言い訳めいた声が耳に入る前に、
怒りがはっきりと形を取った。
――何が、父よ。
こんな人を、
わたしやサシャに似ているなどと思った自分が、
心底腹立たしい。
「女神の神託は、どこで聞いたの?」
言葉を畳みかける。
「聖女に関するお告げよ!」
大神官は一瞬だけ逡巡し、それから答えた。
「……それは、私個人の礼拝堂にて。
ですが、二十年も前のことになります」
「ギグは、どこ?」
わたしはもう1人、この男が犠牲にした人の名前を告げた。
大神官の顔はただ、困惑したままだ。
「……はて?
ギグ、とは?」
この人、ギグの名前を覚えていない……
一人の人間の人生を束縛しながら、
その道具に名前があったことすら忘れている。
胸の奥で何かが弾けた。
「あなたが、わたしの影に縫い付けた子供よ!」
声が高くなる。
「帰りに連れて行くわ。いいわね?」
わたしの激昂にも、
大神官は彫像のように美しく微笑んだままだ。
その微笑みは、
暴れる幼子をあやす慈愛ではなく、
不可解な神の振る舞いを無条件に全肯定する狂信者のそれだった。
少しだけ目を伏せ、それから静かに答えた。
「……聖女様の御心のままに。
聖女様がお望みならば、それこそが神意」
――ただただ、従順。
それが、余計に腹立たしい。
もう、話にならない。
この人を通して女神を知らなくたっていい。
それなら……
聖女としてではなく、
器としてでもなく。
――わたし自身の意志で。
わたしが、直接、
女神に聞いてやる!




