48.ギグの道
用意された白い部屋で、
柔らかなカウチに座って待つ。
いつも使う部屋と違うのは、
粛清の影響があるのかもしれない。
カイルのことで、食事は喉を通らない。
サシャがずっと手を握ってそばにいてくれている。
サシャの白い魔力がゆっくりと流れ込んで聖痕は落ち着いていた。
窓の外が真っ暗で、
時間の感覚がなくなる頃、
カイルたちの無事を知らせる伝令が届いた。
安堵で崩れ落ちそうになる。
「もう時間も遅いです。
横になって、休まれた方がいいでしょう」
サシャが心配そうにわたしの頬に触れる。
いつも冷たいサシャの手が今夜は温かく感じる。
ベルとの魂抜け、
魔法陣での移動、
短い間に慣れない魔法にさらされて、
普通とは違う疲れがどっとわいてきた。
だけど、
気持ちは落ち着いて、
やっと視察でのことを話せる。
「サシャ、聞いて。
――わたし見たわ」
顔を上げる。
「名目だけの視察でも……
ほんの一部でも、
大地の揺れで、
どれだけ悲惨なことが起きているか、
見て来られたの」
そして――
わたしは聖痕の手を握りしめた。
「勇者にも、会ったの」
その一言を口にしただけで、
息が苦しくなる。
あの冷たい眼差し。
女神を憎む声。
――あれが、
世界を救う勇者。
「……勇者に?」
サシャの瞳が、見開かれる。
「怪我の功名ね。
おかげで、わずかな時間だけど、
接触できたわ」
「女神さま――」
サシャは敬虔な祈りの仕草をした。
「勇者を
遣わしてくださったことを
感謝いたします」
シャラリと
女神のペンダントが揺れる。
「どのようなお方でしたか?」
興味深げにわたしに問いかけた。
「……赤毛の大男で、
歳は三十前くらいかしら」
苦々しく、思い出す。
わたしに振り下ろした大剣。
「魔剣を持っていたから、
確かよ」
――勇者が、
わたしを愚かと言い、
女神を、
元凶と嫌っていることは……
女神を盲信するサシャには言えなかった。
「サシャ。
あなたは、女神の神託を聞いたことはある?」
「私なぞ、滅相もありません。
近年、神託を賜ったのは大神官様のみです」
即答だった。
「女神は……」
勇者は女神が仕組んではじめたと言った。
その意味を知りたい。
「聖女の呼びかけに、
応えてくれるかしら?」
サシャは言葉につまった。
そうだ。
神が人と話すかどうかなんて、
誰にもわかるわけがない。
女神のお告げによって創られ、
使命を負わされたわたしですら、
女神の声を聞いていない。
だから――
わたしは、意を決して言った。
「父に、大神官に会わせて。
話を聞きたいの」
「大神官様は、
いつも聖女様を気にかけておられます。
きっと、お喜びになられるでしょう……」
(本当に、そうだろうか……?)
「明日の朝に手配します。
今夜はゆっくりお休みになってください」
そう言って、
わたしの髪を一房
そっと手にすくい取る。
「サシャ……?」
「……本当に、
貴方が無事でよかった」
サシャは祈るように呟いて、
その髪に口づけた。
――
ひとりになって寝台に横になる。
空気がわずかに冷えた気がした。
「ギグ……」
名を呼ぶと、影が揺れた。
魔法陣を抜けてからずっと、影に気配を感じていた。
「はい、聖女様」
静かな声とともに、
闇から浮き上がるように人の形になる。
手を伸ばすと、
子供の頃から変わらない仕草で、そっと手を握ってくれる。
――ギグの手だ。
疲れた身体に安堵が広がる。
わたしはランプの灯りに揺らぐ、
ギグの灰色の短い髪を見つめた。
「灰色の村は……あなたの故郷なの?」
ギグは灰色の瞳を伏せた。
「いいえ」
短い否定のあと、間があった。
「同じ闇魔法を使う一族ではありますが――
俺の故郷は国境近くの集落です。
ずっと前に、
戦争に巻き込まれて……
滅びました」
微かに、つないだギグの指に力が入る。
きっとこれは、何度も語っても、
今なお癒えない記憶だ。
わたしはその手を握り返す。
「じゃあ、あの人たちは、
あなたの家族じゃないのね……」
「俺は孤児として神殿に保護され、
仕えるようになりました」
淡々とした口調。
「……ねえ、ギグ」
わたしは胸の奥のざわめきを、
押さえながら続けた。
「わたしに『道』を造ったのは、
いつ?」
「……あなたが生まれて、
まもなくです」
息を、大きく吸う。
きっと、ギグは――
あのベルほどの年頃だったはずだ。
サシャと同じように、
そんな幼い頃から、
ずっと、わたしの知らないところで……
「生まれたばかりのわたしと、
契約させられたのね」
声が震える。
ギグはすぐには答えなかった。
やがて、
ギグの声がわずかにかすれた。
「大神官様により、
俺はあなたの影と紐付けられました。
それからは、常に……あなたの姿、
気配、心の揺れを感じています」
「それって……
呪いのようなものだわ……」
わたしは、
灰色の村で聞いた言葉を思い出す。
否定は、返ってこなかった。
「だから、
今回のように『道』から、
弾かれるのは、初めてでした」
ギグは静かに続ける。
「護衛を離れたこと……
申し訳ありませんでした」
弾かれたのは『道』に、
ベルが入り込んだせいだろう。
わたしは首を振った。
「違うわ」
矢に倒れた若い騎士、
ハロルドを守れと命じたのは、
わたしだ。
「あなたは、
わたしの願いをきいて、
彼を守ってくれた」
沈黙。
「……ギグ」
影を見つめながら言葉を選ぶ。
「あなたは、
わたしが『呼べば』
道を通って影から現れる。
でも、
普段は……道を通じて、
わたしを
『見る』だけ
『感じる』だけ」
灰色の村での記憶が浮かぶ。
ベルは、わたしの影に入り込み、
現れて、そして――
すぅっと消えた。
「影の中に、
あなた自身は……
いないわよね?」
答えはない。
子供の頃はギグのことを、
守護精霊のように思っていた。
訓練された鮮やかな暗殺の腕、
豊富な教養。
いつ訓練を?
教育を?
考えてみれば、
いつも影の中にいるなんて、
おかしなことだ。
わたしは、踏み込んだ。
「……あなたの『本体』は、
どこ?」
つないでいたギグの手がゆるむ。
「それとも、こうかしら?
いつも、戻る場所はどこ?」
次の瞬間、
手が離れ、
ギグの気配は音もなく薄れる。
「待ちなさい、ギグ!」
影に向かって呼ぶ声が、
部屋に響く。
「わたしが――
あなたを助けるわ!」
返事はない。
けれど、影の奥が、
かすかに震えた気がした。




